第三章 愛するということ
3-1 「ヘイル」
§
望まぬ帰郷。いや、正確に言えば、予期せぬ帰郷だ。
一刻も早く竜笛を取り戻さなければならない。聖竜を呼びたい。……セオドアの無事を確認したい。
アマルは落ち着かない時間を過ごすことになった。考えようによっては軟禁状態だったが、シファが戻ってくるまで堪えるしかないと己へ言い聞かせ続けた。
ようやくシファが竜の里へ帰ってきたのは、二日後のことだった。
長であるシファが竜の里に到着したという連絡を受けて、アマルは実家を飛び出した。
里の入り口に立っていた
「お姉さま、本当に大変でしたのね」
シファが同情するようなまなざしをアマルへ向けた。
「お、おかえり。シファ」
アマルの心臓は早鐘を打っていた。全力で走ったからか、シファの表情のせいかはアマル自身でも分からない。
どんな風に言葉をかけていいかも、分からなかった。
参道で見つかったときは傷の痛みもあって気が動転していたが、シファとは、もう何年も会話がなかったのだ。
「お、遅かったな」
「すみません。端的に申し上げますと、お姉さまは不慮の事故で亡くなったので、身代わりとして皇国サニアの竜巫女となるように言われました」
「は!?」
気まずさは一瞬で吹き飛んだ。代わりにふつふつと怒りが沸いてくる。
シファが静かに説明を続ける。
「形見として、竜笛も預かっていると。まったくどの口が言っているのかしら」
「ふざけてる」
宮殿だって、シファでは竜笛を扱えないことを知っているはずなのだ。双子であっても竜笛で聖竜を呼べるのはアマルだけ。それが、竜巫女という存在なのだ。
「続きはおじいさまも交えながら話しましょう。今後のことも含めて」
「あのさ」
少しだけ言い淀み、意を決してアマルは顔を上げる。
「セ……、聖剣の騎士のことは、何か、聞いたり見たりしなかったか?」
「お姉さまの婚約者のことでしょうか」
「ぎゃっ!?」
(婚約者。そうだった。色々とありすぎて忘れていた)
「何故そんな動揺されるのですか。婚約者なのでしょう?」
「えっと! それは、そう! なんだけど!」
「竜巫女の死亡によって婚約は
「……」
さらりと答えてシファがアマルを追い越す。ふわり、と宮殿特有の甘い香りが通り過ぎた。
アマルは、口の中が渇いて、言葉が上手く出てこない。
最悪な状況がいくつか脳裏に浮かぶが、強引に打ち消した。
(いや、きっと嘘に違いない。セオドアは生きている。無事でいる……!)
アマルは小走りで、シファに続いて実家へと向かった。
居間では祖父が食事の支度をしているところだった。
小麦粉を水で溶いたものを、薄く丸く伸ばして焼く。それを何枚も繰り返していた。
そこへ焼いた薄切り肉や温野菜を好きに載せて巻いて食べるのが、竜の里での普段の食事だ。
「ただいま帰りました」
「おかえり、シファ。無事に帰ってきてくれて何よりだ。早速食事にしよう」
「あたしもっ、手伝うよ」
率先してアマルは器に盛られた焼き肉や温野菜を運んだ。三人でテーブルを囲む。
冷めたての皮に、アマルは温野菜と肉を同じ割合で乗せてくるんだ。
祖父は野菜のみ。シファは肉が少なめ。
大きく口を開けて一気に頬張る。
(……味がしない)
アマルは表情を曇らせた。
今朝までははっきりと感じられた味覚が朧げになっているのは、緊張しているからか。それとも、セオドアの安否が気にかかるからか。
隣でシファの説明を静かに聞き終えた祖父は、口を開いた。
「……いつかはこんな日が来るだろうとは思っていた。女帝は大陸のすべて……聖樹さえも手中に入れようと考えているのだろう」
シファへ当主の座を譲ったとはいえ、長年竜の里を守ってきたのはふたりの祖父だ。
宮殿が
「あたしは、なんとかしてセオドアと再会する。そして、竜笛を取り返す」
アマルは、食べかけの肉巻きに視線を落とした。
「ちなみに」
「ん?」
「セオドアさまとは、どのような方ですの?」
ぎゃっ、とアマルは動揺して肉巻きを手から滑らせそうになった。
「
「……聖竜……」
(
アマルは遠い目になる。
今までセオドアに関する話を一切振ってこなかった祖父も、口を開いた。
「お前が婚約したとき、聖竜が里にも現れて説明してくださったのだよ」
「じいさまにも?」
祖父が首を縦に振った。
「セオドア・ロキューミラ。クラド王国で聖剣に選ばれた騎士。第五騎士団の長。そして、国王と聖女の間に生まれた第三王子でもあると。しかしそれは肩書や性質にすぎない。どのような人間なのか、お前の口から聞かせておくれ」
「……」
アマルは俯いて、手元の肉巻きを見つめる。
「あいつは聖竜を呼べなくて聖堂から追放されたときに助けてくれた。ううん、それだけじゃない。あたしが本物の竜巫女だって信じてくれた。初対面だっていうのに、あたしの言葉を、信じてくれたんだ」
嘘つき呼ばわりされることが許せなかった。
理不尽な仕打ちには耐えられなかった。
そこへ光を点してくれたのだ。セオドア・ロキューミラという人間が。
「命の恩人なんだ。一生かけてもこの恩は返しきれない」
「よほど好きなのですね」
アマルは顔を上げて、はにかんだ。
「淡々としているようで、すごく感情豊かで、人情家。真面目で、仕事に対してひたむきなんだ。そんなあいつが、……好きなんだ」
好き、という言葉に、力を込める。
一瞬シファの瞳が丸くなった、気がした。
ばさっ!
三人が食事を終えるのとほぼ同時に、慌てるようにして鷹が飛んできた。
部屋の中の、壁から飛び出した一本の棒の上に留まる。口には書簡を加えていた。宮殿と竜の里の連絡方法は、主に、鷹を介して行われるのだ。
書簡をするりと解き、シファが目で追う。
「大至急、宮殿に来るようにとのことです。現れない場合は竜の里を見つけ出して連れて行くと。なんと浅はかなのでしょう。何人たりとて血族でない者はここへ辿り着くことができないというのに」
シファがアマルへ書簡を差し出した。
竜巫女になるようにと命令口調で書かれてある。信じられない話だが、皇族は聖竜に対して最悪の手を使おうとしているのだ。
「お姉さま。体力は回復しましたわね?」
「あぁ。元通り動けるようになった。竜笛を取り戻しに行こう」
アマルはシファの前で大げさに体を動かしてみせた。
こほん、と祖父が咳払いをする。
「怒りというのは持続するものでもなければ、させるべきものでもない。落ち着いて、己の本質を見失わないように」
「おじいさま。……すみません」
「お前たちの望みは何だ?」
(……望み?)
アマルはシファを見ることが出来なかった。
(それは、きっと)
アマルにはシファの考えていることは分からない。
子どもの頃から聡明な妹だった。己の望みを殺して、周りを優先し、最善を追求する。それがシファだ。
だから
そう思うと、何も言えなかった。
「憎しみや無力感に飲み込まれぬよう、行ってきなさい」
孫たちの気持ちを知って知らずか、祖父は、穏やかに語りかけてくれるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます