2-9 竜の一族

   §


 アマルはシファにより『荷物』となった。文字通り、大きな籠に隠れて都を出る作戦だ。

 シファが、怪我を負ったアマルでは歩くことが難しいと判断したためでもある。


 アマルはこわばったまま尋ねる。


「本当にこんなのでうまくいくのか?」

「わたくしのところにまだ何も報せが届いていないうちなら、何とでもなりますわ。大人しく荷物のふりをなさってください」

「荷物のふりって」


 アマルは微妙な表情を作りかけ、シファの策が無難だと大人しく従う。


「わたくしも後から参ります。それからどうするか決めましょう」

「……うん」


 籠に蓋がされると、視界が一気に暗くなった。

 男衆が声をかけてきたのと同時に、持ち上げられて変な浮遊感が生じる。


「アマル様、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく」


(まさかこんなかたちで里帰りすることになるなんて)


 しくしくと痛む傷口に、布の上からそっと触れる。

 瞼を閉じて籠にもたれた。


 竜の一族、と呼ばれる血族が存在する。

 始祖はかつての聖竜と結ばれなかった人間であり、聖竜がその者の幸福を祈り、加護を授けた一族だ。

 彼らは人とは違う力を持ち、人里離れた山奥に住んでいると言われている。

 竜の里と呼ばれる場所は、どこにあるのか皇族ですら知らないし、知ることを許されていない。


 皇国サニアと神域の森の境界近くにある巨大な岩が連なる場所がある。

 その岩の窪みが、竜の里への入り口。

 聖竜によって意図的に隠されているので、竜の一族以外は立ち入ることができないのだ。


(シファ……)


 数年ぶりの、偶然の再会だった。

 ぎこちない。うまく言葉が出てこない。


 やがて、着きましたよ、という言葉の後に、蓋が開いた。

 眩しさにアマルは目を細めて、それから、籠の中で立ち上がる。気合を入れるように両頬を叩くと、男衆に礼を言って籠から出た。

 目の前こそが目的地。

 岩をくり抜いたような、簡素な造りの平屋だ。


「ただいま」


 返事はない。

 気にせず、アマルは奥の部屋へと進む。そして入り口で立ち止まった。


 坊主頭の老人が、薬研やげんの手を止めた。突然の来訪者へとゆっくり顔を向ける。

 丸眼鏡の奥の黒い双眸が、わずかに見開かれた。


「シファではないな。アマルか」


 ほとんど水分を感じさせないしわがれた声だった。

 アマルとシファ、ふたりの祖父であり、先代の里の長でもある。


「うん。アマルだよ。ただいま」

「何故ここにいる。クラド王国へ亡命したと聞いたが」

「……色々あって、シファに助けてもらった」

「そうか」


 祖父はそれ以上追及してはこなかった。

 開け放たれた窓から涼しい風が入ってくる。


 祖父の視線が、アマルの顔から下へと降りてきて、右足で止まった。


「怪我を、しているのか?」

「……うん」

「こちらに来なさい」


 アマルは部屋の中へ入る。室内は、薬草の香りで満ちていた。

 祖父の前に座ると、ためらわず傷口を見せた。


「膿んではいなさそうだな」


 祖父が立ち上がると背後の棚からいくつかの薬を取り出す。


「あまり無茶をするな」

「ごめん」


 その場で調合された薬を塗られて、清潔な白い布を巻かれた。


「ごめん。竜笛を奪われた。必ず取り返す」


 しばしの、沈黙。

 ゆっくりと祖父が口を開いた。


「シファはどうした」

「宮殿へ行ってから帰ってくるって言ってた。いろいろと調べてくれるらしい」

「そうか。それまでゆっくり休むといい」


 祖父が一旦言葉を区切る。


「何か食べたい物はあるか?」

「気を遣わなくてもいいよ。いつも通りがいい。久しぶりなんだし」


 アマルは実家の外に出た。

 空は淡い青色。さんさんと陽射しが降り注いでいる。小高い丘の上にあり、集落が一望できた。

 岩に囲まれた小さな地域だ。畑を耕す者、走り回る家畜、風に揺られる果樹園。


 砂と原色ばかりの皇国サニアや、雲に覆われたクラド王国とはまったく違う空気。

 アマルは、記憶となんら変わりのない光景に鼻の奥が熱くなる。


「本当に帰ってこられるなんて……」


 懐から、金のスティックを取り出す。

 血は拭いて消毒もした。何事もなかったかのように輝きを放っている。アマルはぎゅっとスティックを握りしめた。


(いつか)


 不意にこみ上げる想いがあった。


(セオドアを、連れてこられたら)


 無理なことは承知している。竜の里は、一族以外が足を踏み入れてはならない。それがしきたりだ。

 それでも自分が生まれ育ち、竜巫女に選ばれた場所を知ってもらえたらと思った。


 打ち消すように首を左右に振る。


(だめだ。最近、弱いな)


 両親は、双子が十歳のときに世を去った。

 以降二人を育ててきたのは前当主である祖父と、集落の人々だ。


 ある意味、わがままに育てられたとも言える。それはアマル自身否めない。

 しかし、それが強さでもあると自負してきた。


(人を好きになるって、弱くなることなのかな……)


 風がアマルの髪や服の裾を揺らしては去っていく。


(もしそうだとしても)


 アマルは束ねた髪へ、金のスティックを挿した。

 それから、深呼吸を一回。


(セオドアを好きにならなければよかったなんて、あたしは絶対に思わない)


「今度はあたしが迎えに行くから、待ってろよ!」

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