1‐2 異文化交流のはじまり

   §


 栗毛の馬に乗って――正確にはセオドアの前に乗って補助されながら、アマルは無事、クラド王国へと入った。

 入国手続きはすべてセオドアたちが行ってくれたため、アマル自身は大きな苦労をせず亡命に成功した。

 そして。


「ひま、だ」


 アマルは今、王国騎士団の客室にいた。

 衣服は用意されたクラド王国のものに着替えた。上は体に沿うように作られたデザイン、下はボリュームのあるスカート。サニア皇国の衣類とは、形だけではなく材質まで違う。

 淡い紫色は、アマルの褐色の肌に合っているような気がして、ひと目で気に入った。


 が正式に決まるまで王国騎士団内に滞在することになるのだ、とエドワードから軽い口調で説明されたのは数日前のことだ。

 二人ともアマルが本物の竜巫女かどうか疑ってはいるようだが、馬に乗っている間、エドワードは友好的にアマルへ話しかけてくれた。


 エドワードによると。

 セオドアとエドワードはの解明のため、クラド王国と皇国サニアの国境付近で調査を行っていたらしい。そこで、聞いたことのない笛の音が二度聞こえてきたため不審に思ったセオドアが、先行してアマルの元へ駆けつけたそうだ。


 クラド王国は日照り続きの皇国サニアと違って、薄い雲に覆われた土地だった。

 建物の造りもどことなく違う。

 皇国サニアでは天井が半球状で高さもある。民家だと屋根がなく平らな造りも多い。一方でクラド王国の建物は視界に入る限り、とんがり屋根のものばかりだ。

 亡命志願中ということを忘れてアマルが好奇心の赴くままに質問を重ねていたら、最終的にエドワードから笑われてしまった。


「ひまだ……」


 聖堂では竜巫女として救いを求める人々へ祈りを捧げてきた。

 一日四回、聖堂で舞を披露する。その他、すべてのスケジュールは分刻みで決められていて、自由時間なんてなかったのだ。


 アマルは天井を見上げた。

 シャンデリアのさらに上には優美な絵が描かれている。恐らくクラド王国の歴史に関するものだろう。

 乳白色を基調とした室内。天蓋付きのベッドは、皇国サニアの物に割と近い印象を受ける。

 チェストの取っ手は金色の薔薇。ライティングデスクと椅子も備えつけられている。右奥の扉の先には、なんと、バスタブがあった。

 世話係として任命されたという女性から教えてもらったことは、どれもこれも新鮮だった。


 アマルは立ち上がると出窓に近づき、レースカーテンを引く。

 ガラス越しに太い木の幹が見えた。出窓を開ければ室内へ風が入り込んでくる。アマルにとって一番驚きだったことは、空気が、湿気を含んでいることだった。


「よっ!」


 アマルは張り出した棚に飛び乗ると、そのまま木へ向かって――跳んだ。

 彼女の体重を受け止めた太い枝が派手にしなる。幹側に腰かけて、さらに広がる景色へ目を向けた。騎士団の敷地は広く、複合施設というよりはひとつの町になっているらしい。


 さまざまな種類の小鳥が数羽、アマルの元へ集まるようにして肩や頭に止まった。


『あたしを歓迎してくれるのか? ありがとう』


 サニア語で語りかけると、呼応するかのように小鳥たちがさえずりはじめる。


「一体何をしているのですか」


 地上から声。

 立っていたのは、セオドアだった。若干呆れたような表情をしている。


「異文化交流だよ」


 木の幹に手をかけてするするとアマルは地上に降りた。

 セオドアは背が高いため、アマルからはどうしても見上げる形になってしまう。

 今のセオドアは、マントを外して文官のような出で立ちをしていた。出会ったときにはしていなかった細長い眼鏡をかけている。


「許可なく部屋から出るのはやめてください。あなたは今、我が国の保護下にあります。勝手な行動は認められていません」

「ごめんなさい。風が気持ちよくて、つい」

「風が……? 気持ちよくて……?」


 セオドアの顔からは、理解できないという困惑が見てとれた。 


「皇国サニアでは、許可なく聖堂から出てはいけなかった。ここでも同じだということを忘れてた」

「……竜巫女」

「あんたを困らせるつもりはなかったんだ。部屋に戻るよ」


 素直な謝罪に、セオドアはさらに困惑しているようだった。

 アマルが頭を下げて踵を返そうとしたとき。


「あれ? 、竜巫女殿とふたりで密会か?」


 軽やかな声がアマルを縫い止めた。通りがかったのは、エドワードだ。

 呆れたようにセオドアが応じる。


「馬鹿なことを言うんじゃありません」

「ごめんごめん」

「これから副官会議では? 遅刻が常習化すれば指導の対象となりますよ」

「だー、分かってるって」


 セオドアとエドワードの会話はだいぶ砕けたものだった。

 エドワードがアマルへ顔を向けて、片目を瞑ってくる。


「俺とテディは従兄弟なんだ。業務時間外は割とこんな感じ」

「はぁ」


 アマルはなんとなく理解する。テディ、というのはセオドアの愛称のようだ。


(とはいえ、今も業務時間内では?)


 エドワードがセオドアを指差した。


「こいつ、無愛想に見えるけどいい奴だから」

「エド!」

「それでも困るようなことがあれば俺に相談して? じゃあまたね~」


 嵐のごとく、あっという間にエドワードは去って行った。

 かえって部屋に戻りづらくなったアマルは話題を探す。


「えっと。そういえば、初めてってやつに入った。温かい水に浸かれるなんて、贅沢だな」

「温かい水……? 湯のことでしょうか」

「湯?」

「クラド王国では、熱した水は、湯と言います」

「へぇ! じゃあ、冷やした水は?」

「……冷水でしょうか」

「そこはそのままなんだ」


 ぷっとアマルが吹き出す。つられるように、セオドアも若干緊張を和らげた。


「サニア語では、湯という言葉はないのですか」

「うーん。あたしは聞いたことがないかな」

「人と人の、異文化交流ですね」


 アマルの言葉を反芻するセオドアに、アマルは満面の笑みで返した。


「ははっ。そうだな」

「ちなみに、皇国サニアでは風呂の習慣がないということですが、普段、体を清潔に保つためには何をしているのでしょうか」

「水は貴重だから、たっぷりとは使えないな。基本的に濡らした布で体を拭くくらい。位の高い人間は毎日、それ以外だと数日に一回。においが気になってきたら香をつけたりする」

「香をつけたぐらいでは汗のにおいなどはごまかせなさそうですが……」

「そういうもんだって思って育ってきたから、あまり気にならないのかもな」

「なるほど」


 セオドアは少し考えてから言葉を続けた。


「クラド語に興味があるようでしたら、教育用の本を貸しましょう。暇つぶしにもなると思いますよ」

「いいね。本を読むのは嫌いじゃないんだ」


 その言葉通り、部屋に戻ったアマルの元へ、世話係が初級のクラド語教本を届けてくれたのだった。

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