1‐3 聖竜、聖剣、聖樹。

   §


 暇を埋めるようにクラド語の教本を読んでいたアマルを、セオドアが呼び出した。

 面会場所は第五騎士団の執務室。当然ながら場所を知らないアマルは、世話係に案内してもらった。

 窓から抜け出たことはあるといえ、客室から公に外出するのは初めてだったため、廊下ひとつとっても興味深いものだった。世話係を質問攻めにしたが、彼女は丁寧に解説してくれた。


 クラド王国の騎士団は五つから構成されている。

 そして、騎士だけではなく関係者を含めるとかなりの人数となるため、壁の中にひとつの都市を形成している。ここは、一種の要塞都市になっているのだという。

 そんな説明をしてくれた世話係は、部屋の隅で静かに控えている。


「こんにちは、竜巫女。調子はいかがですか」

「ぼちぼちかな」


 今日もセオドアは眼鏡をかけている。つまり、文官モードだ。

 手前にあるソファーへアマルを促すと、ローテーブルを挟んで向かいに腰かけた。

 アマルは部屋を見渡す。執務室の左右の壁は本棚になっていた。アマルへ貸与した書籍がここから持ち出されたものだということは容易に想像できた。

 奥の壁には出窓があり、淡い青空と白い雲が見えた。


「貸してもらった本、どれも面白いよ。ありがとう。ちなみに、ここは団長の仕事部屋?」

「はい。しかし、読書が面白いとは。軟禁を強いている身としてはそれを聞いて安心しました」

「そんな。助けてもらったのはこちらの方だ」


 アマルは手のひらをセオドアへ向け、ひらひらと振った。


「それで用事って何なんだ? あたしで役に立てることがあるなら、大歓迎だよ」

「では、早速」

「早っ!」


 反射的に答えてしまい、アマルは今度は両手を口元に当てる。それから力なく、ごめんなさい、と呟いた。しかしセオドアは特に言及してこなかった。


「まず初めに。我々の調査で、あなたが聖竜を呼べないという理由で皇国サニアから追放されたことは判っています」

「……!」


 アマルは一気に血の気が引くのを感じた。

 同時にそれは当然だとも理解する。竜巫女とはサニア皇国に留まらず、大陸全体で重要な存在なのだ。簡単に国から国へ渡るなんてできない。

 それを、分かっていたはずなのに、失念していた。


「あ、あたしは」

「安心してください。皇国サニアで偽者だと烙印を押されたそうですが、我々はあなたが本物の竜巫女だと考えています。そもそも皇国サニアで干ばつが起きるまでは、あなたが聖竜を呼んでいたのでしょう?」

「……うん。だけど、どうして」

「我がクラド王国には聖剣があります。そして、その聖剣が、鞘から抜けなくなっているのです」


 そう告げるとセオドアは出窓の前に置かれている剣を取りに行き、ローテーブルに置いた。

 アマルとの初対面の際、腰に佩いていた剣だ。澄んだ金色をした鞘と柄の装飾は武器とは思えないほどに繊細。まるで剣ではなく、芸術品だ。


(きれい……)


 改めてアマルは大剣に見惚れて、息を吐き出した。


「私こそが聖剣を解き放った、聖剣に選ばれし者なのです」

「……えっ? えっ、これが!? 聖剣!?」


 アマルは目を見開いてセオドアと剣を交互に見る。


 この大陸には神が創造したとされる、三つの聖なる存在がある。

 聖竜、聖剣、聖樹。

 基本的には、それぞれ決まった国に属してはいない。時代と共に場所や所有者が移動するのだ。その内のひとつが、ふたりの視線の先にあった。


「クラド王国では、現在原因不明のが蔓延しています。私に課せられた使命は、聖剣を鞘から抜けるようにすること。そして、眠り病の原因を突き止め、罹患者を目覚めさせることなのです。皇国サニアでも異常が起きているということは、聖樹にて何かが起きている可能性があります。竜巫女と私でへ向かえば、聖樹へ辿り着けるのではないかと我々は考えています」


 皇国サニアでは、聖竜を呼べなくなった。雨が降らず干ばつが広がった。

 クラド王国では、聖剣を抜けなくなった。眠り病が蔓延した。

 繋がっていると考えるのが当然だ。

 そして、聖樹は神域の森のどこかにあり、常人では決して辿り着くことができないと言われている。


(……だから、すんなりとあたしをクラド王国へ連れてきてくれたんだ)


 アマルはようやく腑に落ちる。

 竜巫女という立場でこんなに簡単に隣国へ亡命できたのは、やはり相応の理由があったのだ。


「ただ、神域の森は一度足を踏み入れてしまえば何があるか誰にも分かりません。そのような危険な場所に、あなたをお連れしていいものかどうか、ずっと悩んでいました」

「行くよ!」


 アマルは立ち上がると即答した。まっすぐセオドアを見つめる。


「あたしと団長でなきゃ、大陸の問題を解決できないかもしれないんだろう? やるよ。あたしだって、このまま聖竜を呼べなくていいなんて微塵も思ってないんだから」

「感謝します」

「待って、頭を下げるのはやめてくれ。助かったのはこっちだし、聖竜を呼べないことに理由があるかもしれないって判っただけでだいぶ楽になったよ」


 へらりとアマルは笑うが、対するセオドアは表情を崩そうとはしなかった。


(うーん。この人の表情筋って活動し忘れてないか?)


 感情を出しすぎるとかつて注意されてばかりいたアマルにとっては、興味深くもあった。出会ってから数日経つが、セオドアの表情から喜怒哀楽が伝わってきたことがない。


「……うぉぉぉぉ!!!」

「とりゃぁああ!!!」

「ん?」


 ぱっとアマルは窓側へ体を向ける。

 不意に外から野太い悲鳴が聞こえてきたのだ。声だけではなく、何かが激しくぶつかり合う音も響いている。

 

「何か変な声がしないか?」

「声? そうですね。今ちょうど、団員たちが鍛錬中なのです」

「それって見学可能?」

「かまいませんが、面白いものではないと思いますよ」


 そうは言いつつも、セオドアはアマルを屋外鍛錬場へと連れて行った。

 場所としては中庭。天井がないため、執務室まで声が聞こえてきたようだ。防具に身を包んだ男たちが威勢よく訓練に励んでいる。

 アマルは瑠璃色の瞳を輝かせた。


「おぉぉ……!」

「……面白いですか?」

「すごく! あたし、子どもの頃は武術家を目指していたんだ」

「……は?」


 セオドアの理解が追いついていないようなので、敢えてアマルは放っておく。

 すると団員たちは団員たちでセオドアたちに気づいたようで、一斉に駆け寄ってきた。


「お疲れさまです!」

「団長、お疲れさまです」

「そちらの方が皇国の竜巫女様ですかっ?」


 実に騒がしい。そして誰もが子どものように、セオドアに話を聞いてほしいと頬を上気させている。セオドアが団長として慕われているのは明らかだった。


「稽古を放棄するのはいただけませんね。集中できていない証拠ですよ」

「すみません!」

「最近鍛錬場になかなか来てくれないからっ」

「手合わせしてくださいよ、団長ー」


 セオドアはアマルへ視線を向けた。

 客人を置いてよいものかという迷いとして受け取ったアマルは、勢いよく左手を挙げる。


「あたし、見てみたい。団長は強いのか?」

「それはもう。第五騎士団にいるのがもったいないくらいに」

「こら、お前」


 若い団員の発言は何やら失言だったようで、先輩団員が諫める。

 セオドアは特に言及せず、上着を長いすへ丁寧にかけた。外した眼鏡は上着の端に置く。


「分かりました。練習用の剣を貸してください」

「はいっ!!」


 団員たちの表情が輝いたのは、汗が飛び散ったからだけではないだろう。

 一人が輪から外れて、アマルを長いすへと案内する。


「竜巫女さま。どうぞ座ってご覧ください」

「うん。ありがとう、そうさせてもらうよ」


 アマルは上着のかけられていない側に腰かけた。

 男たちが離れていくと、とたんに気温が下がった……ような気がした。

 団員たちが、セオドアを取り囲むようにして中央へ歩いて行く。全員背が高くて筋肉質だが、セオドアの身長は他の団員よりも頭ひとつ抜けていて、目立つ。


 ふと、アマルは空を見上げる。いつの間にか空は白い雲で埋め尽くされていた。

 建物の外に出たのは木に登ったとき以来だ。部屋の窓は開けるが、自身で風を受けるのとは違う。


(クラド王国の空気は、軽くて心地いいな)


 いつの間にか団員たちが輪になってセオドアを取り囲んでいた。

 どうやらセオドアはまとめて全員を相手にするようだ。練習用の疑似剣を構えると、一気に雰囲気が文官から武官へと変わった。


「……!」


 息を呑んだのはアマルの方だ。

 和気あいあいとした空気は風に吹き飛ばされてしまったようだ。今や、誰から攻撃を仕掛けるかという緊張感に包まれている。


 たんっ。


 誰かが踏み込む音が静寂を破った。

 輪からは縦横無尽に攻撃が繰り出されるというのに、セオドアは一瞬早く全員の攻撃を疑似剣で受け流して払い捨てた。セオドアの流れるような動作は、まるで踊っているかのようだった。

 団員たちはあっという間に尻もちをついたり前につんのめって転んだりして、地面に伏していた。これが本物の剣ならば全滅していただろう。


「鍛錬が足りませんね」


 涼やかにセオドアは断言した。

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