1-4 名前で呼んでくれないか

 多勢を相手していたセオドアだが、少しも息が上がっていない。


「エドワードに言って基礎訓練の量を増やしましょうか」

「げっ」

「どうか撤回を」

「か、勘弁してください。副官はただでさえ……」


 この場にいないエドワードの名前が出されると、半数以上が恐れおののいた。アマルに対しては友好的にしか見えないため、恐怖の対象になっているとはまるで想像ができない。

 長いすに向かって、セオドアが歩いてくる。


「お待たせしました。部屋までお送りします」


 アマルは勢いよく立ち上がると、らんらんと瞳を輝かせた。


「団長ってすごく強いんだな!」

「ありがとうございます」

「あたしと手合わせしてくれよ」

「……は?」


 セオドアが長いすに置かれた眼鏡へ手を伸ばし、止まる。

 アマルは息の上がった団員たち目がけて走って行った。それから、地面に落ちたままの疑似剣を拾う。想像以上にずっしりと重たさを感じて、アマルは笑った。


「重っ。どうだ? になってるか?」


 大笑いしながらアマルは両手で柄を持ち、構えてみせる。

 セオドアが早足でアマルへと近づき右手を伸ばした。


「疑似剣を返してください。それはあなたのような御方が持っていいものではありません」

「少しくらいいいだろう。軟禁されているおかげでなまってるんだ」

「竜巫女に怪我をさせる訳にはいきません」

「分からないよ? あたしが勝つかもしれない」


 わざとらしくアマルはセオドアを挑発する。

 ざわっ、と団員たちがざわめく。まさか、竜巫女がこんな破天荒だとは思ってもみなかったようだ。


「いくよっ!」


 ぽいっ!

 次の瞬間、アマルは疑似剣を前方へ放り投げた。

 これには流石のセオドアも面食らう。たしかにアマルにとって疑似剣は重たく、とうてい振り回せるような代物ではなかった。だから使った、フェイクとして。

 誰よりも高く跳び上がったアマルはセオドアの背後へ軽やかに着地した。そのまま半回転してセオドアへ足払いをしかけようとしたところで――決着はついた。


「ぎゃっ!」


 アマルの体重ではセオドアを転ばせることなど不可能だった。セオドアに手首を掴まれ、地面に縫いとめられてしまった。

 まさしくセオドアがアマルを押し倒したようにも見てとれる、状態。

 セオドアの前髪がさらりと落ちてアマルの鼻先に触れる。

 吐息がかすめる、そんな至近距離。


「私の勝ちです。……これくらいで勘弁してください」

「……は、い」


 セオドアが苦虫を嚙み潰したような表情で請う。

 彼の影が体に落ちたアマルには、頷くことしかできなかった。

 すると固唾を飲んで見守っていた団員たちが快哉を叫ぶ。


「うぉおおお!」

「見たか、今の。団長も竜巫女様もすごいぞ!」


 団員たちが熱気とともにふたりを取り囲んだ。

 そのときには既にセオドアはアマルから離れていた。証人が多いとはいえ、竜巫女に危害を加えようとしたことは紛れもなく事実で避けるべき事態なのだった。


(うわぁ。びっ……くりしたぁ……)


 アマルも上体を起こす。心臓が早鐘を打っていた。

 幸いなことに一瞬すぎて恐怖心はなかった。というか、セオドアの掴み方が、あまりにも優しかったのだ。

 攻撃されたとは思えなかった。まるで、悪戯好きの子どもをあやすような動作だった。

 裏返せば、敵としては足らないということでもある。


(初めてまともに顔を見たけど、美術品みたいに整ってた……)


 アマルはちらりとセオドアを盗み見た。

 整いすぎた横顔の輪郭。喉仏の形まで、美しい。


「竜巫女。手を」

「あ、あぁ。ありがとう」


 セオドアはいつの間にか眼鏡をかけて上着を羽織っている。少し屈んで手を差し伸べてくるので、アマルは素直に応じた。

 大きな手だ。長い指は節くれだっていて、顔とは対照的に男性みを感じさせる。


「どこか痛むところはありませんか」

「どこか……」


(心臓?)


 動悸は激しいまま。何故か体温も上昇してきた気がする。とはいえ、思ったことをそのまま口に出すと政治問題に発展しかねない。

 そのためアマルは質問の返しとしてまったくおかしな行動に出た。


「竜巫女って呼ばれるのはいやだ。団長にも他のみんなにも、アマルって呼んでほしい」

「……はい?」


 セオドアの眼鏡が、ずれたように見えた。


「いいですね! アマル様!」

「アマル様。これからも顔出してくださいよ」

「待ちなさい、皆」

「団長は呼んでくれないのか?」


 アマルがじっとセオドアを見つめる。


(いや。喜怒哀楽は薄いけれど、困ってるのは判った。というか、あたしが困らせているのか)


 唐突に気づいたアマルが発言を撤回しようとしたとき。


「……。……アマル様。あまり、無茶を言わないでください」


 とんでもなく優しい口調で、セオドアがアマルの名前を初めて呼んだのだった。


   §


 鍛錬場見学をきっかけに、アマルは自室でなく第五騎士団の食堂で食事を取ることを許可された。

 ただしセオドアがいるときのみという条件付き。世話係は常に部屋の隅で控えている。

 いくら騎士団が『紳士たれ』という教育を受けているからといって、『間違い』が起きてはならないからである。


 紳士たれ、と同じくらい騎士団には『清貧たれ』という思想が根付いている。

 今日の食事内容はぬるくなった豆のスープと焼いたかたまり肉、それから、パン。

 黄金色に透き通ったスープには、色とりどりの煮豆が入っていた。

 少しかたくなったパンを浸して食べるとちょうどいいと教えてもらい、アマルは初めてパンをスープに浸した。


「すごく美味しくなった。こうすればよかったのか」

「今までお一人でしたものね」

「皇国だとどんなものを召し上がっていたんですか?」


 同じテーブルについた団員がアマルへ問いかけた。


「小麦粉を水で溶いて薄く伸ばして焼いたやつで肉を巻いたりとか。野菜なんかは、蒸し焼きにして食べていたかな。特にいもは蒸すとほくほくして美味しいんだ」

「いもってのは野菜なんですか?」

「えっ? 野菜、じゃないのかな? 植物の根っこだから、野菜じゃなのかもしれない。熱いうちに食べればほんのり甘くて調味料も要らないよ。蒸し焼きにする余裕がないときは、干し肉とか、干しぶどうとか」

「干し肉は俺たちも食べます。遠征のときなんかは欠かせない」


 別の団員が会話に入ってくる。


「今度の遠征はアマル様もついてこられるんですよね」

「うん」


 聖樹遠征のことだと理解して、アマルは大きく頷いた。


「干し肉なんて食べさせていいのか心配だったけど、安心しました」

「そんな気遣いは要らないよ。あたしだって最初から聖堂暮らしだった訳じゃないし」


 盛り上がる会話に、こほん、とセオドアが咳払いをしたので、皆居住まいを正した。

 とはいえ和やかに食事は進み、惜しむ団員たちへ手を振りながらアマルは食堂を後にした。客室へ送り届ける役目は、当然のようにセオドアが担う。


「団長、ありがとう」


 静かな廊下にアマルの声が響いた。


「今日は久しぶりに声を上げて笑った。すごく楽しかった」

「私は久しぶりに肝が冷えました」

「それはー、ごめんって」


 いきなり攻撃をしかけたことを指しているのは明白で、アマルはわずかにうなだれる。

 それから鼻を動かした。


「……なんだか、水のにおいがしない?」

「雨ですね」

「雨!」


 弾かれるようにアマルは駆け出した。ちょうど鍛錬場への扉があり、セオドアの制止も効かずアマルは中庭へと飛び出す。

 セオドアの言葉通り、ぽつぽつと雨が降り始めていた。

 鍛錬場の中心に立ってアマルは曇天の夜空を見上げる。雨粒が、頬や額に当たる。


「アマル様。濡れたら風邪を引きます。早くお戻りくださ――」


 長椅子の後ろに立ったセオドアが、アマルへと呼びかけ、言葉を止めた。

 泣いていたのだ、アマルが。


『……どうしてここでは雨が降るのに……』


(サニアでは、一滴も降ってくれないんだ)


 言葉にすると止まらなくなりそうだったから、必死に堪えた。

 竜巫女に選ばれてからは毎日が必死だった。聖堂で、救いを求める人々に向けて祈った。王宮に求められるまま聖竜を呼び出し、国の繁栄を願った。


 分かっている。聖竜にとっては、人間の決めた境界線なんて意味はないということを。

 しかしアマルは皇国サニアで生まれ育った。祈る先は、サニアにしかなかったのだ。


 自分が竜巫女に選ばれたことに理由がないというのはなんと残酷なことか。

 もっと適した人物がいたというのに。

 だからこそ、自分は竜巫女として完璧に務め上げなければならないというのに――


「アマル様」


 セオドアが近づいてきて、自身の上着をアマルへと被せた。これ以上雨に濡れないようにという配慮がひしひしと伝わってくる。


「明日は遠征会議です。早く自室へお戻りください」

「うん。そうだな」


 泣きそうになるのをごまかすため、アマルは、セオドアの上着をぎゅっと握りしめた。


(あたしはもう一度、聖竜を呼べるようにならなければならない。そして、サニアに雨を降らせるんだ)

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