1-8 聖樹の真相

「大陸の命運は我々にかかっているのです」


 念願の聖樹を前にしても、セオドアは落ち着いているようだった。

 アマルは浮かれてしまった己を密かに恥じて、居ずまいを正す。


「そうだな」


 アマルは聖竜を再び呼ぶため。皇国サニアに雨を降らせるため。

 セオドアは聖剣を鞘から抜けるようになるため。眠り病の原因を突き止め、解決するため。

 聖樹の異状を突き止める必要があるのだ。


「ここを起点として二手に分かれようか?」

「最初に、何が起きるか分からないから危ないと説明したのをお忘れですか」


 とはいえ、勢いをぴしゃりと否定され、アマルは言葉に詰まった。


「恐らく一周するだけで日が暮れてしまうでしょう。なおさら危険です」

「分かった。じゃあ行こうか、団長」


 アマルが幹に沿って歩き出す。しかしセオドアは立ち止まったまま。

 ふしぎに思ったアマルが肩越しに振り返ると、セオドアは、神妙な面持ちをしていた。


「前々から思っていたのですが」

「ん? どうした?」

「アマル様は自分を名前で呼ぶよう言ったのに、私のことは『団長』と呼ぶのですね」

「だって団長は団長だろ」

「エドのことは、エドワードと名前で呼ぶのに?」


(団長はいきなり何を言い出したんだ? もしかしてこれも幻なのか?)


 突拍子もない話に、アマルは思い切り眉をひそめた。しかし請われたからには要求に答えようと、唇を動かす。


「セ、オ、ド、ア、様?」

「敬称は要りません。私はあなたの上司ではないのですから」

「それならあたしのこともアマルって呼んでくれよ、セオドア」

「……」


 一次回答は、沈黙。

 アマルは大股でセオドアへ近づいていくと、思い切り見上げた。

 美しい双眸には澄んだ光。


「おーい。セオドア?」

「さぁ、行きましょうか」

「おいおい。あたしへの様付けをやめる話はっ?」


 すたすたと歩き始めたセオドアに追いつこうと、アマルは足に力を入れた。

 聖樹の根は太く大地にしっかりと根を張っている。ブーツのおかげで足の裏が安定しているとはいえ、足元自体は不安定。

 アマルはなんとかセオドアへ追いつくと、横並びで歩きはじめた。


「なぁなぁ、セオドア。セオドアってば」

「しつこいですね、貴女も」

「話を振ってきたのはそっちだろ?!」


(分からん。全然分からん!)


 セオドアはいつも通り。どうやら本物のセオドアらしい。

 アマルは一旦、名前で呼ばれることを諦めるのだった。


(まぁ、いっか。つまらない訳じゃないし、どちらかというと楽しいし。……セオドアといると)


   §


 朝に神域の森へ足を踏み入れてから、徐々に空の青色が淡くなって、白や黄色が混じりはじめた。

 空気もさらに冷えてきた。日没が近いのだ。泉に飲み込まれたことによる時間のロスは不明。

 聖樹の樹皮を慎重に観察していたセオドアたちだったが、視界が悪くなってきたため、効率が落ちてきた。


「調査を中断して野営の準備をしましょう。不便を強いますがご容赦ください」

「全然問題ないよ。子どもの頃はよく森で寝てたし」

「えっ……?」


 セオドアは驚いたようだが追及はしてこなかった。

 アマルが窓から木へ飛び移れるわんぱくさを知っているので、彼なりに納得したようだ。


 なるべく平らな地面を探し、小枝や石をよけて、均した後に薄い布を敷く。火は使えないため用意しておいた蓄光石を布の四隅と中央に並べた。

 ほとんどの野営用の荷物は馬とともに泉へ呑まれてしまった。

 アマルはアマルで、慣れないブーツをとうとう脱いだ。マントを外してブランケットの代わりにする。


 食べ物は干し肉のみ。水は革袋に入れてきたわずかばかり。

 水をなるべく残すよう努めながら、ふたりは干し肉をかじる。


「根元や樹皮については、一般的な木々と変わりがなさそうですね」

「そうだな。おかしなところは今のところひとつもない」


 アマルは空を見上げた。葉の隙間から光は見えない。

 太陽はいつの間にか沈んでしまったようだ。ふたりがいる場所が明るいのは、かろうじて懐へ忍ばせていた蓄光石のおかげだった。


「疲れたでしょう。ゆっくりとは難しいかもしれませんが、どうぞお休みください」

「まだまだ元気だよ。夜営なら交代制でいこう」

「竜巫女に夜営の番をさせる訳にはいきません」

「本当に頑なだな」


 水を少しだけ舐めてから、アマルは続けた。


「森で寝てたって言っただろう。元々あたしは田舎の出なんだ。竜の里って呼ばれてる。そんじょそこらの町出身者よりも丈夫な自信があるぞ」

「……竜巫女は、血筋と聞いたことがあります」

「よく知ってるな。先代は祖母。三年前に亡くなって、次の役目があたしに回ってきた。集落全員、次はあたしの妹になるとばかり思っていたからびっくりしたよ」


 アマルは三角座りをして、両膝の間に顎を乗せる。


「妹がいるのですか」

「双子のね。名前はシファ。あたしが竜巫女になって、妹のシファが、竜の里の当主になった」


(シファとは、あたしが竜巫女になって以来、まともに話をしていないけれど)


 アマルは補足を飲み込んで言葉を続けた。


「聖竜は人間の事情なんて気にしないから」

「さぞ苦労されたことでしょう」

「ふふっ。どうだろうな? セオドアこそ大変だったろう、聖剣の主に選ばれるなんて」


 エドワードから聞かされた事情は伏せて、アマルは話題を振ってみる。


「私の場合は、選ばれたことで生き長らえた節もあります」

「生き長らえた?」

「暗殺されてもおかしくない立場にいましたから」


 詳細を語らない。それがセオドアの答えのすべてでもあった。

 アマルはそう判断して、そっと横顔を盗み見る。

 前髪が降りているし、俯いているせいで、表情は分からない。元々表情が乏しいので見えても判らなかったかもしれない。 


「聖剣は、人間に対する理由を持っていません。鞘から抜けなくても困りはしないし、抜けたからといってその人間に対する恩恵をもたらしてはくれません」

「分かるよ。聖竜だって同じだ。たまたまあたしの一族が皇国サニアにいるから応えてくれていただけで、かなりの気まぐれなんだ」


 アマルは懐から竜笛を取り出した。吹いてみても何も起こらない。


「つまり聖樹も、人間の営みに対して善悪で測れるような状態ではないのかもしれません」

「その影響で干ばつが起きたり、眠り病が蔓延しているってことか?」

「可能性のひとつです」


 今度は、セオドアが夜空を見上げた。


「……セオドア?」

「気づかなかったのですが、蕾がついていますね」


 つられてアマルは枝に注目する。すると、無数の蕾が淡く光っていた。それらはすべて今にも綻ぼうと、ふっくらとしている。


「聖樹って、花を咲かせるのか」

「文献では見たことがありません。もしくは、かなり長い周期を要するため、クラド王国の記録に残されていないのかもしれません」


 ふたりが見つめていると、ゆっくりと、少しずつ、蕾が開きはじめた。

 ひとつ咲いたのをきっかけにするかのように、どんどん開く白い花。闇が淡い明かりに照らされていく。

 輪郭は半透明。

 それはあまりにも幻想的な光景だった。

 

「きれいだ……」


 アマルには呟くことしかできなかった。

 目に見える範囲ですべての花が咲き誇ると、すっとセオドアが立ち上がった。


「セオドア?」


 セオドアが聖剣の柄に手をかける。

 すると、今までが嘘だったかのように、滑らかな摩擦音と共に聖剣が抜き放たれた。

 白い花の光を浴びて聖剣の刀身が輝きを放つ。


「……そういうことだったのですね」

「聖剣が……!」

「すべての異常現象は、開花のための養分となっていたのですよ」

「! 試してみる!」


 アマルも竜笛を吹く。

 すると、強い風が巻き起こった。何もない空間に金色の光が現れ、輪郭を作る。


 ――半透明の竜が、顕現する。


「……聖竜……!」


 聖竜は咲いたばかりの花々へ向かって上昇していく。やがて、口に白い花を加えてアマルの元へと戻ってきた。アマルが両手を差し出すと、ぽとりと花を落とす。

 声が周囲に響いた。


【じきに他の花も落ちてくる。蒸留させ、香を焚け。さすれば眠り病に対する妙薬となる】


 久しぶりだね、とアマルは涙ぐんだ後、鼻をすすった。


『聖竜のばか。今までどうしていたんだよ』

【聖樹の開花のため世話をせねばらななかった。我が巫女アマルよ、聖堂では助けてやれずすまなかった】


 つまり、セオドアの推測は正しかったということ。

 すべては聖樹の開花のため。

 サニア皇国の日照りも、クラド王国の眠り病も。

 そこに人間の事情は斟酌されない。神とは、聖なる存在とは、そういうものなのだ。


【サニアへは、そなたが真の巫女であるという神託と同時に、雨をもたらしてこよう】


 告げると同時に、聖竜は姿を消した。

 ぽと。ぽとり。言葉通り、白い花が地面へ降ってくる。雨よりも優しく、次から次へと、地面を明るく照らしていく――


「……なんて美しい光景なのでしょう……」

「セオドア!」


 瞳を潤ませたまま、アマルは聖剣を鞘に納めたばかりのセオドアへ体を向けた。

 花が降るなか、迷わず抱きつく。

 勢いがよすぎて、セオドアはアマルを受け止めることができなかった。そのままふたりは大量の花のなかに倒れ込んでしまう。


「アマル様!?」

「よかった。これで解決するよ、全部……!」


 いつの間にか、辺り一面、白い花のやわらかさと、甘い香りで埋め尽くされていた。

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