2-5 不穏な里帰り
安定した飛行だった。
大陸のはるか上空を、アマルと聖竜は文字通り飛んでいた。
多少の風は受けるものの、アマルは聖竜から決して落ちたりはしない。どんな乗り物よりも安全。竜巫女が聖竜に乗るとはそういうことなのだ。
地上を歩いているときはアマルの背丈よりも高い建物や自然が、高い場所から見下ろせばまるで模造品を並べた小さな箱庭のようだった。ある程度の高さまでなら、目を凝らせば人間や動物の動く様子も分かる。
遠くに馬の隊列が見えた。判別できなくても判る。先頭はセオドアだ。
アマルには無事を祈ることしかできない。進む方向が違うため、すぐに見えなくなってしまった。
(普段はあの大地に立ってにいるはずなのに、まるで、知らない世界がもうひとつあるみたいだ)
進めば進むほど、自分がいかにちっぽけな存在なのかを思い知らされる。あくまでも人間は神によって創られ、気まぐれで生かされているだけにすぎないのだ。
雲と同じ高さを進みながら、アマルは聖竜へと語りかけた。
「聖竜は、魔獣がどんな存在なのか知ってるか?」
【魔獣というのは人間による名付けであろう。我らの存在は善でも悪でもない。それを勝手に分類するのは人間だ】
「つまり、聖獣でもあると言いたいってこと?」
正解であり、不正解でもあると聖竜が答える。
(……難しいな)
聖樹開花のときも考えたが、アマルにはさっぱり分からなかった。
人間にどうしようもできないことや、関われないことは、たくさんあるのだ。
しだいに砂色の景色が目の前に広がりはじめた。
皇国サニア。アマルの故郷であり、皇子により追い出され、命からがら逃げ出した地だ。
一方でセオドアによって救われた場所でもある。
アマルは湧き上がってくる複雑な感情をぐっと飲み込んだ。
(もう二度と足を踏み入れることはないかもしれないと思っていたけれど)
聖竜が高度を下げていく。聖堂へ金色の聖竜が近づくと、人々が一斉に騒ぎ出すのが見えた。
降り立つ頃には、アマルを迎え入れる準備が整っていた。
「よくご無事で、竜巫女アマル様」
「お帰りなさいませ」
「アマル様、お帰りをお待ちしておりました」
聖職者、老若男女問わず誰もがアマルへ声をかけてくる。
アマルは険しい表情を崩さない。皇子から責められたときに助けてくれなかったのは、決して古い記憶ではない。
(いや、それはいいんだ)
首を振ってアマルは
輪の中から抜け、一人の老人がアマルへ近づいてきた。腕輪や足輪にはアマルのものより少し小ぶりな
両手を合わせ、教皇は深く頭を下げた。竜巫女へ対する最敬礼だ。
「……久しぶりだな」
「聖竜も、アマル様もお変わりないようで何よりでございます」
「女帝に謁見したいんだ。段取りをお願いしたい」
「かしこまりました。可及的速やかに」
アマルは緊張した面持ちを崩さない。頭上では、聖竜がアマルを守るかのようにたゆたっていた。
§
アマルの要求通り、その日のうちに女帝への面会が叶った。
改めてアマルは竜巫女の正装に着替えた。ふわりと薄い布が揺れる。セオドアから貰った金色のスティックは髪に挿したまま、アマルは小さな声で気合を入れる。
「よしっ」
竜巫女として聖堂で暮らした三年間の内、女帝に会った回数は指折り数えられる程度。宮殿を訪れることもほぼなかったため、アマルの目にはかえって新鮮に映る。
クラド王国と皇国サニアは神域の森で隔てられているだけだというのに、色合いや空気のにおい、色々なものが違っていた。
今も空間には甘ったるい香が焚かれている。
原色で彩られた広間の中央は、段差こそないものの紗幕で囲われている。その紗幕が、左右の家臣の手によって少しだけ持ち上げられた。
「遥々ご苦労であった」
歌うように労う言葉。鎮座する女性こそ、この国サニアの皇帝――女帝イーヴァ。
褐色の肌に映える濃い黒髪。黒瑪瑙のごとき美しい双眸。派手な柘榴色の紅が、にぃと歪む。
「竜巫女よ、これまでの無礼を許しておくれ。我が息子へは
「……そうか」
「しかし、まさか、すべてが聖樹の開花のためだったとはな。興味深い話よ」
謝罪まではいかない単なる現状説明。とはいえ、アマルは内心で、皇子に会わなくて済むということに安堵した。
「早速本題に移ろうか。クラド王国で魔獣が出たという話は聞いているな?」
女帝が盃を煽る。
「
「あぁ。竜巫女アマルの名にかけて、必ずこの大陸に平穏をもたらしてみせるさ」
アマルは膝を折る。それから、右の手のひらへ左の拳を当てた。
§
その日は聖堂の、元々アマルが生活していた部屋で夜を過ごした。室内は追い出されたときのまま残されていたおかげで、緊張せず過ごすことができた。
(すごく懐かしい気分になるのは、あたしがすっかりクラド王国での生活に慣れたからなんだろうな)
早朝。太陽が昇りきるのと同時に、アマルは聖竜と共に目的地へと向かった。
神域の森近く、人間の居住区ではないあたりへ近づくと、二足歩行の毛むくじゃらな生物の群れが見えてくる。
「あれが魔獣……」
焦げ茶色の毛並み。狼や熊に似ているようだが、目を凝らすと鷹や鷲のような翼が生えている。それらが数匹、どすどすと地面を揺らしていた。
「聖竜はあいつらと会話ができる?」
【やってみよう】
聖竜が口を開く。
風が吹いた。
人間には聞こえない音を聖竜は発したようだった。魔獣たちが立ち止まり聖竜を見上げる。口を大きく開けると、鋭利な牙がぎらついた。
「どう?」
【聖樹に実る果実を求めて現れたと言っている】
「なるほど……。そういうことか」
花が咲き、落ちれば、次に成るのは果実。
聖樹の花だけでも眠り病の人間を目覚めさせる力があるのだから、果実はそれ以上の効能をもたらしてくれるのだろう。
人間だけでなく、聖獣、に対しても。
アマルはすぐに考えを改め、聖竜へ話しかける。
「聖竜。人間を襲ったりはしないのか聞いてみてくれないか」
【――。危害を加えてこなければ干渉はしないそうだ】
アマルは拳を握りしめた。
「なるほど。もしそうなら、セオドアたちはかえって危ないんじゃないか? ここであいつらを説得して、それから第五騎士団のもとへ向かうのがよさそうだ」
【いいだろう】
聖竜が地面に近づき、そっとアマルは地面に降り立った。
(……でかい)
聖竜と共に現れたからか、魔獣たちは襲いかかってくることなく、ゆっくりとアマルの元へ集まってきた。
人間より遥かに大きな体つき。アマルは気圧されつつも背筋を伸ばした。
「あたしはアマル! 皇国サニアの女帝イーヴァから頼まれて、お前たちのことを調べに来た。話は聖竜から聞かせてもらった。聖樹の実が望みなんだろう? あたしの方で女帝へ話をつけるから、どうかこのまま人間は襲わず、神域の森へと向かって、聖樹の実を食べに行くといい!」
アマルの隣で聖竜が口を開く。
【承知したそうだ】
「よかった……!」
アマルは胸を撫でおろす。
そのとき。
――ざしゅっ
空気を切り裂く音がして、一体の魔獣が倒れた。頭部に刺さるのは赤色にぎらりと輝く矢。
「!?」
矢が飛んできた方向へアマルは素早く体を向ける。
崖の上。細長い塔のふもとで弓矢を構えていたのは、見知った顔。その姿に、アマルは血の気が引いていくのを感じた。
(ばっ、馬鹿、皇子……! 謹慎中じゃなかったのか……!?)
皇子が二本目の矢を構える。
「久しぶりだな、竜巫女アマル! ここで僕と共に魔獣を駆逐して、母上の元へ凱旋しようじゃないか!!」
「このっ、馬鹿! 何をしてくれたんだ!」
アマルは文字通り吠えた。
予想外だったのか一瞬だけ皇子の肩が震える。たたみかけるようにしてアマルは声を張り続けた。
「人間との間に不可侵条約を結ぶ話をしていたところだったんだ! よくも台無しにしてくれたな!」
「……はぁ?」
皇子が眉をひそめた刹那、別の魔獣が猛烈に羽ばたいた。
一直線に襲いかかる先は――皇子。鋭い牙と爪がぎらりと光る。
「うわっ! 何をする! やめろ!」
「……ッ、聖竜!」
アマルの叫びに応じて、聖竜はアマルを頭部へとすくって高く飛び上がる。
「皇子っ! 乗れ!」
魔獣に襲われ崖から落ちかけた皇子を背で受け止めるとそのまま勢いよく上昇する。
皇子が悲鳴を上げるがアマルには構っている余裕などなかった。
【下手に逃げるとあれらが人里へ向かう可能性がある。一旦ここに避難しろ。奴らが入ってこられないように細工を施しておく】
「聖竜は!?」
聖竜は塔の最上階へアマルと皇子を下ろした。
再び背に乗ろうとするアマルを、聖竜はやんわりと拒否する。
【再度対話を試みる。事を丸く収められるのは、現時点で我しかいないであろう】
アマルは唇を噛んで、拳を握りしめる。悔しさで鼻の奥が熱い。
「……ごめん。よろしく頼む」
会話ができるのは、聖竜だけ。聖竜の指摘通り、交渉決裂してしまった以上アマルにできることはない。
一方で地団駄を踏むのは皇子だった。
「何とかしてみせろよ、聖竜だろう!?」
【勘違いするな】
聖竜は皇子へと顔を向けた。ぎろり、と金色の瞳が怒りに輝く。
皇子はびくりと肩を震わせた。
【我はアマルの悲しむ顔を見たくないだけだ。聖竜と竜巫女とは、そういう関係なのだ】
「なっ……」
そして聖竜が、塔から離れて行った。
入れ替わるように、雨が降りはじめる。晴れの国とも呼ばれる皇国サニアでは非常に珍しいことである。
すぐに土砂降りになり、雷もどこかで轟き出す。
アマルはできるだけ感情を抑えて、皇子へ背を向けたまま、声を発する。
「余計なことをしてくれたな」
「わっ、私は、国と大陸の為に動いただけだ……」
流石に皇子も自分のしたことの重大さを解ったようだった。声が震えている。
「……魔獣討伐の英雄になれば、母上が私を認めてくれると思って……」
はぁ、と、アマルは大きく溜め息を吐き出した。
しぶしぶ座り込んだ皇子へと体を向ける。さらにしぶしぶ皇子へと近づいて、右腕を掴む。
「ぎゃっ!?」
「さっき襲われて怪我しただろう。手当てするから、静かにしてくれ」
右袖が避けて、腕には一本のひっかき傷が滲んでいた。出血はひどくない。アマルは小瓶に入った傷薬を白い布に含ませて、傷口へそっと当てた。
「しっ、染みるぅ」
「黙ってろ」
「……」
アマルの強い口調に、皇子はちゃんと口を噤む。
(……お人よしだって呆れられそうだよな)
誰から、というのは決まっている。
セオドアだ。淡々としているように見えながらも、呆れるに違いない、と思う。
(セオドアたちは大丈夫だろうか。討伐なんてしようとしたら、それこそ返り討ちに遭って……)
そして己の想像にぞっとして首を左右に振る。
アマルは距離を取って座り込んだ。膝を立て、両腕で抱え込む。そのまま額を両膝の隙間に埋めた。
外では雷鳴が轟き、豪雨も止む気配がない。
破裂するような音が鳴る度に皇子が喚くが、相手にしないことに決めた。
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