2‐6 ヒーローは窮地を救う
雷雨はまだ止みそうにない。
横殴りの雨が容赦なく塔の外壁に叩きつけられている。雷は、激しい光のすぐ後に破裂音を轟かせる。薄暗さと眩しさが交互に入れ替わる。
雨も雷も、乱暴に曲を奏でているようだった。
どれだけの時間が経っただろうか。
「おい、竜巫女!」
「何だよ」
薄暗い室内とは対照的な皇子の妙に明るい声に、アマルは顔を上げて眉を顰めた。
こんな状況だというのに皇子は満面の笑みを浮かべている。
「そうか。そういうことだったのか。ようやく分かったぞ」
「だから、何なんだ」
「お前の好意に気づけなかったのは私の落ち度だ。さぁ、隣へ来るといい」
「……は?」
(こいつ、急に何を言い出すんだ)
アマルは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。顔は引きつったまま、どうにも動かすことができない。
「すべて私の気を引きたくてやったことなのだろう。聖竜が呼べないふりをしていたことも、今なら許そう」
「何だって?」
怒りというのは沸騰するような衝動だ。
アマルは咄嗟に理解して無理やり飲み込む。皇子の的外れな推理と態度に、飲み込んだ怒りが吐き気となって昇ってきそうだった。
「二人きりなのだから照れなくてもいいんだぞ」
(……二人きりだからぶん殴ってもばれないか?)
きつくアマルは皇子を睨みつける。
しかし、それでも皇子は己の推理に酔っていてアマルを見ようとしない。あまつさえ瞳がぎらぎらと輝いていた。
「ん? どうした? 私の隣へ座れるのだ。この上ない光栄だろう?」
「ふ、ざ、け、る、な」
我慢の限界はあっけなく訪れた。
アマルは立ち上がると皇子をさらに睨みつける。
「この状況を見て何も感じないならお前は本当に愚かだ。皇国サニアは今、存亡の危機に瀕する瀬戸際なんだぞ。お前が! 守らなければならない! 国が!」
(悔しい。セオドアだったら、絶対こんな状況にさせないだろうに)
視界がぼやけた。こんなときに涙が出てくる自分に、アマルはさらに苛立ってしまう。
クラド王国の第三王子――セオドアと比べれば比べるほど、腹が立ってくる。
「な、なんだ。人がせっかく和ませようとしてるのに……。この私が
うなだれたのも束の間。皇子は、ずかずかとアマルに近づくと両手で突き飛ばした。
反撃されるとは思っていなかったアマルは、呆気なく尻もちをつく。
「っ!? 痛……」
「どいつもこいつも私をこけにしやがって……!」
次の瞬間、アマルは皇子に両肩を掴まれていた。
薄暗い視界を照らすように稲妻が走る。雨が一層激しくなり音を増幅させる。
皇子の指先に力が入り、アマルの肩にめり込む。
アマルは。
(気持ち悪い)
聖竜を呼べなかったときでさえ、追放されたときでさえ出てこなかった感情に、両目を固く瞑った。
(こわい)
「助けて!」
(――セオドア!)
どごぉ……んっ……
アマルの叫びと同時に、今までとは違う轟音が響き渡る。
塔に雷が落ちて穴が開いたのだ。雨が容赦なく入り込んでくる。
ぐらりと傾くふたりの体。塔そのものも崩壊がはじまっている。
ぱっと皇子の手がアマルから離れ、どんどん遠ざかる。
風。雨。光。音。すべてがゆっくりと動いて見える不思議な感覚。
(やばい。落ちる――)
すなわち、死。
アマルは覚悟するも、視界の奥に聖竜が見えて我に返った。聖なる存在はこんな悪天候でも光り輝いている。
『アマル! 今行きます!』
聖竜から何故かセオドアの声が聞こえた。
そして、セオドアが聖竜の背中に――立っていた。
(え!?)
スローモーションの景色のなか、アマルは驚きで目を見開いた。
この場にいるはずのないセオドアが聖竜の背を蹴って豪雨へと跳ぶ。人間ではありえない跳躍だった。
アマルの感覚が通常に戻り、セオドアを捉える。
『掴まってください!』
セオドアの声は、どんな雨音にも負けず、はっきりとアマルに届いた。
その腕がアマルへ真っ直ぐ伸びてくる。
アマルは必死に両腕を伸ばした。セオドアはそのままアマルを強く引き寄せる。そしてその二人を受け止めたのは――聖竜、だった。
「アマル。間に合ってよかったです」
セオドアがアマルを胸元へ収めたまま、サニア語で語りかける。
「ど、どうして」
「聖剣が導いてくれたのです。勿論、クラド王国の
【皇子はどうする】
「外交問題に発展しても困るので、助けてあげてください」
【チッ】
聖竜が舌打ちしたのは気のせいではないだろう。
「……セ、セオドア」
「何でしょうか」
「息が苦しい」
「! 失礼しました」
ようやくアマルはセオドアの胸元から解放される。
馬と同様に、セオドアの前に座るかたちになる。慣れているはずなのに、息苦しさに変わりはなかった。
(だけど、こわくは、ない)
なお、聖竜の尾の方で、皇子が失神しているのが見えたが、見ないことにする。
「壮観ですね」
セオドアの言葉に顔を上げる。
どうやら聖竜は一気に雲を突き抜けたらしい。眼下には雲の絨毯。視界は清々しいまでの青色で満たされていた。
雨音も聞こえない。とても、静か。
「それで、セオドア。クラド王国の辺境は」
アマルが振り向くと、前髪から雫を滴らせながら、セオドアが懐から何かを取り出した。
豪雨でも金色にきらきらと光る鱗。
それはアマルがセオドアへ贈った聖竜のものだった。
「金の鱗のおかげで聖獣たちと対話ができて、彼らの目的を知ることができました。彼らはすべて神域の森へと向かっていきました。ちょうどそのとき、聖竜が私を迎えに来てくれたのです」
「……そうか。よかった……」
息を吐き出すと、途端にアマルは己の髪や服に染み込んだ雨の重たさと冷たさに、体が動かなくなっていくのを感じた。
「……聖竜もありがとう」
陽ざしは肌についた水滴をたちまち蒸発させるだけでなく焦がしていく。
抗えない睡魔が襲ってきて、アマルはそっと瞼を閉じた。
§
次にアマルが目を覚ましたとき、視界に映るのは鮮やかな幾何学模様。長年見慣れた天井だった。
「えっ!?」
すなわち聖堂内の竜巫女にあてがわれた一室だ。
寝かされていたようで勢いよく上体を起こす。
「アマル様。お目覚めになられましたか」
「堂医を呼んでまいりますっ」
部屋の隅に控えていた侍女たちが騒ぎ、ひとりが部屋の外へ駆け出す。
アマルは座ったまま自らの手のひらへ視線を落とした。握って、開く。違和感はどこにもない。
とはいえ何故追放されたはずの自分がここにいるのか、頭にもやがかかっているようでうまく思い出せない。
(……そうだ。セオドアに、また助けてもらえたんだ)
ようやく記憶が戻ってくると、落ち着くことができた。
聖堂付きの医者が診察に現れる。大雨で体が冷えたことにより体が弱っていたのだと説明され、アマルは再び重たい睡魔に飲み込まれていった。
「ん……」
再び目覚めたのは、頬に何かが落ちたから。
そして、優しく甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「……セオドア?」
アマルはうっすらと、寝台の脇に誰かがいることに気づく。
頬に触れて寝台に落ちた何かを手に取る。
それは一枚の花びらだった。白く半透明で、きらきらと煌めいている。
「目が覚めましたか」
声はやはりセオドアのもの。
しかし、大きな花束を抱えていて、大きいはずのセオドアの胸から上はまったく見えない。
「これって」
「はい。聖樹の花です。
(今後?)
どこか引っかかる物言いだったが、敢えてアマルは触れなかった。
セオドアが傍らの台に花束を置く。それから一本の枝を抜き出して、アマルへと差し出した。
「しかし、最初に渡したいのはあなたです。アマルは誰よりも聖樹の花が似合いますから」
「なんだよ、それ」
照れながらアマルは口を尖らせる。そして、聖樹の花を受け取った。
「ありがとう、
――大好きだ。
次にセオドアに会ったら言う。そう、クラド国王と約束していた言葉が、つかえた。
かぁぁっと頬が紅くなり熱を帯びる。
「だ?」
「い、いや、何でもない」
「顔が赤いですね。熱があるのでは?」
「一過性だ、気にするな。ところで」
いたたまれなくなってアマルはセオドアから視線を逸らした。
「聖獣は? 皇子は、どうなった?」
「あなたが目を覚ましたら宮殿に来るよう、女帝から言われています。私も同席するようにと」
「それって、まさか」
セオドアから顔を背けていたアマルだったが弾かれたようにセオドアを見上げた。
セオドアが椅子に腰かけて、溜め息をつく。
「はい。日にちは早まってしまいましたが、我々の婚約を祝福する、そして今回の件に感謝する宴を催したいとのことです」
「一難去ってまた一難……」
すると、セオドアがそっとアマルの頭に、ぽんと手を置いた。
「ひゃっ!?」
「あなたなら大丈夫です。私もついていますよ」
淡い碧眼が穏やかに微笑む。
セオドアからぽんぽんと頭を撫でられるだけで、こわばっていた気持ちが解れていくようだった。
「そうだな。セオドアがいれば、何でもできる気がする」
「というかさっさと謁見を済ませてクラドへ帰りましょう。いい加減に
「あぁ。セオドアも早く帰りたいよな」
アマルが大きく伸びをする。
何故だかセオドアは遠くを見つめて何も言わなかった。
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