3-4 ふたりが再会に至るまで

   §


「おやすみなさい。アマル」

「……お、お、おやすみ」


 セオドアは、アマルを抱きしめる代わりに、両腕を伸ばす。

 分かりやすいくらいに顔を真っ赤にしたアマルを無理やり箱馬車に押し込め、己から遠ざけた。


 夜風がさまざまな熱を強引に奪っていく。一気に現実へと引き戻されるようだった。

 振り返った先には皇国サニアの煌びやかな宮殿。


(さて、伏魔殿とは言い得て妙。先方の狙いもあらかた見当はついていますが……)


 そんなセオドアに用意された客室は、小さな離宮だった。

 離宮に足を踏み入れたセオドアは、薄く微笑みを浮かべて言い放った。


「随分と舐められたものですね」


 食事中に焚かれていたのと同じ香のにおいが、鼻を掠める。

 媚薬の類であることは理解していた。もちろん、食事に何かが混ぜられていたことも。

 とはいえ、セオドアも王族の末端。ある程度の毒には耐性があるのだ。


 天蓋付きの寝台には当然のように先客がいた。

 肌の色が透けて見える大胆な寝間着。素肌を飾る、大ぶりの装飾。

 少し眠たげな瞳と艶のある厚い唇がセオドアを捉えた。


「お待ちしておりました」


 優雅に答えたのは、先ほど食事を共にした、この国の皇女ティーマだ。


「今宵のお相手を務めるよう女帝から仰せつかっております」

「婚約者がいると知っていながら?」

「えぇ、知っていながら、です。だって殿方とはそういうものなのでしょう?」


 ティーマは言葉こそ挑発的だったが、態度からは意欲が感じられなかった。

 寝室の入り口に立ったままセオドアは答える。


「主語の大きな理論ですね。あいにくですが、私は婚約者以外、眼中にありません」

「あら?」

「今までがどうだったかは存じませんが、小細工は通用しませんよ」

「あらあら」


 ティーマが驚いたように目を見開いて、口元に手を遣った。


「皇女ティーマ。貴女だって、このようなことは本意ではないでしょう」

「本意……?」

「この国の中枢はどこかおかしいと思いませんか」

「面白いことをおっしゃいますのね。そんな風に問うてきたのは、あなたが初めてですわ」

「私は真面目に話しています。王族の末端として、貴女にも思うところがあるはずでしょう」


 すなわち女帝の強権政治。皇子の放蕩。

 セオドアの言葉を、ティーマは真面目に受け止めたようだった。


「あたくしがいくらおかしいと思っても、どうにかすることなんてできません。兄は元々でしたが、母は父王の死から変わりました。母の考えていることは、もはや、さっぱり解りませんの」

「つまり、おかしいと思っているということでしょう」

「……それは」

「そういうとき、諦められない人間を、知っています」


 セオドアは不意にアマルのことを思い出す。

 理不尽に母国から追放された竜巫女。逆境にめげず、自ら、真実を勝ち取った人間だ。

 



『団長を信頼するよ。あのお日さまにかけて』




 セオドアとアマルが出逢ったばかりの頃、アマルは拙いクラド語で宣言した。

 クラド王国は薄曇りの国。

 だからこそ、『お日さまにかけて信頼する』というフレーズは、最大級の愛情表現となる。傍にいてもいなくても。あなたのことを想い、信じる。一生支えるという、意味になる。


(あなたこそ、私にとっての白日)




 セオドアはまっすぐにティーマを見据えた。


「ここが貴女にとっても、この国にとっても分水嶺ぶんすいれいとなるでしょう。貴女はどちらを選びますか?」

「そんなことも、言われたのは初めてですわ」


 するとティーマはシーツを体に巻き付けて立ち上がった。

 とろんとした瞳から、次第に光が生まれはじめる。


「母の呪いが発動します。今頃聖堂では兄が竜笛を偽物とすり替えている頃合いでしょう。聖竜はこの宮殿に封じられ、同時に、あなたの聖剣をあたくしが奪うというのが筋書きです。そんなことをすれば神から罰が下るに決まっているというのに」


 ティーマはこれまでののんびりとした口調から一転して、どこか冷めたようなはっきりとした物言いに変わった。

 もしかしたら、こちらの方が彼女の本質に近いのかもしれないと思わせるほどだった。


「私の聖剣は貴女に奪わせません。この時点で、女帝の書いた戯曲は破綻しています」

「いいでしょう。……選択肢を手に入れるために、あなたに協力しますわ。あたくしも辟易していたんですの」


 ティーマは続ける。

 離宮からセオドアを逃がすが、隠しておくこと。

 竜笛を取り戻すこと。

 そのふたつに陰ながら協力する、と。


「十分です。私は聖剣に選ばれた騎士。聖竜も聖樹も、人間の手中に納められるものではないことくらい、私が誰よりも知っています」


 そしてセオドアは、女帝の企みを砕くため、皇国サニアの宮殿に潜伏するかたちとなった。

 同時に想うのは離れてしまった竜巫女のことだ。


(アマル。貴女なら、きっとこの窮地を切り抜けられるはず。信じています)


   §


 アマルが聖樹の根の下に閉じ込められた。

 双子の妹、シファによって。


 セオドアがティーマからそんな報せを受けたのは、宮殿内に潜んで数日後のことだった。

 驚くことに、シファという人物は皇族側についたらしい。

 実の姉を裏切ってまで何か目的があるのだろうが、今のセオドアに情報はなかった。


(聖樹の根を利用するとは、よもや呆れてものも言えません。この国の皇族はどうしようもなく腐っています)


 ティーマから鍵を預かったセオドアはアマルの救出に向かっていた。


(準備はほぼ整いました。急いでアマルを助け出し、計画を実行に移さなければ)


 協力関係を結んでからのティーマは驚くほどうまく立ち回ってくれているらしい。

 女帝の強権政治に辟易している人間を集めて、密かに謀反の準備を進めていた。

 セオドアは表に立たず、最終的にはティーマが立ち上がることになっている。


 今、セオドアはティーマから用意された甲冑に身を包み廊下を急いでいた。

 顔も隠せるのはありがたかった。金髪と色素の薄い肌は、この国では異質だからだ。

 聖剣には布を巻いている。これもティーマに貸してもらった。


 すると前方に見慣れた衣装を着た人間が歩いていた。


「……アマル?」


 思わず口に出てしまったその名に、相手も反応して立ち止まる。高い位置で束ねた髪が揺れた。


 セオドアは竜巫女の衣装を着た女性をひとりしか知らない。

 しかし次に口をついて出たのは、否定だった。


「いや、違いますね……もしかしてあなたは、アマルの妹君、シファ嬢ですか」

「……」


 指摘を受けたシファは一瞬戸惑い、すぐさま左目の下を拭った。

 するとアマルにはない泣きぼくろが現れる。

 ふわり、とシファが微笑んだ。


「お初にお目にかかります。竜の里のシファと申します。もしや、あなたはセオドア様ですか」

「はい。セオドア・ロキューミラと申します」

「あぁ、兜は脱がなくて結構です。ここで外せば、誰に見られるか分かりませんもの」


 その言葉を受けて、セオドアは、何故シファがアマルを閉じ込めたのか尋ねるのは止めた。


「皇女ティーマの蜘蛛の巣にかかるどころか、協力して、うまく立ち回られているそうで。お姉さまとは対照的な性格でいらっしゃること。安心しましたわ」

「……貴女は私の敵ですか? それとも、味方なのでしょうか?」


 質問ではない。これは、確認だ。

 シファは再び笑みを浮かべた。

 同じ顔をしていてもアマルとは雰囲気が違う。


(二重スパイをしているということで間違いなさそうですね)


 そして、シファは言った。


「わたくしがお姉さまの下へお連れしましょう。護衛だと言えば、あなたのこともすんなりと通せるはずです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る