3-8 竜巫女と騎士団長は国を超えて愛を交わす

   §


 ようやく落ち着くことができたのは、日がとっぷりと沈んでからだった。

 宮殿の二階、バルコニーからは満天の星空が見える。

 藍色の空に散りばめられた光は宝石のように美しい。目を凝らせば、それら全てが違う色や大きさなのが分かる。


 やわらかな夜風を受けながら隣合っていたのは、アマルとシファだ。

 双子は質素な麻の服に着替えて髪を下ろしている。遠目から見ると、かつての取替え遊びのように、どちらがどちらか分からないかもしれない。

 そして、ふたりとも紙にくるんだ丸い蒸かし芋を手にしている。今日初めての食事だった。


「あちち。はふ」

「美味しい、というより、染みますわ……」

「同感」


 皇子と女帝の死。さらにはティーマの即位宣言。

 実に慌ただしく、忙しい一日だった。


 食事係が全員に向けて蒸かし芋を配り始めた瞬間に、盛大にアマルの腹の虫が鳴ったのはついさっきのこと。

 味付けは岩塩のみ。とはいえ、それで十分だった。


(人が死んでも腹は減るんだよなぁ)


 アマルは芋を咀嚼しながら、感慨にふける。

 女帝の死の直後は動揺していたが、その後の方が大変だったと思い知らされた。女帝がいなくなっても国は残る。民は生きている。

 アマルは、竜巫女として民のことを考える側の人間なのだ。


「血のにおい、取れましたね」

「うん」

「……」

「……」


 沈黙が気まずくないと思えたのはいつ以来だろう、とアマルは思った。

 しばらく無言のまま、ふたりは蒸かし芋を頬張った。

 なぁ、とアマルが切り出す。


「シファは聖竜を好きなんだよな」

「お姉様? 突然、何を言い出しますの?」


 シファが怪訝そうな表情をアマルへ向けた。


「あたし、ずっと分からなかったんだ。誰かを好きになること。テディ……セオドアに出逢って、あいつのことを知って、ようやく分かった。でも、まだ、ひとつだけ分からない」


 アマルは夜空を見上げた。

 星空を縫うように、ゆっくりと、金色の光が近づいてくる。


「人を好きになるというのは、弱くなることか強くなることか」


 恋を――

 知らなかった頃にはもう戻れないし、どんな風に毎日生きてきたのか、ふしぎなくらい朧気だ。

 己を奮い立たせてみても、ひとりでいられた頃に比べて弱くなったのではないかと、やはり不安はつきまとう。


「そんなの決まってますわ。その両方です。弱くもなるし、強くもなれます」

「……両方、か。ずるい答えだ」

「えぇ。恋というのは、ずるいものですから」


 バルコニーに聖竜が近づき、輪郭を曖昧にして人間の姿に変わった。

 褐色の肌と、肩まで伸びた黒い髪。白い絹の服の袖口は金の装飾で留められている。

 双子を見つめる黄金の瞳は、星よりも眩しい。


「お疲れさま、聖竜」

【我は何もしておらぬ】

「関与しないと言いながらも、叛乱の証人として民の前に立ってくださったではありませんか」

【それくらいはしなければ聖竜の名折れになってしまうからな】


 聖竜はふてぶてしそうに両腕を組んだ。


「素直じゃないんだよなー……」

「本当に」

【何だお前ら。というか、仲違いは終わったのか】


 アマルとシファは顔を見合わせた。それから、どちらからともなく笑う。


「そうだよ。終わったんだ」

「えぇ、そうですね」


 シファは聖竜へ近づくと、すっと腕を絡ませる。

 目を丸くして驚いたのは聖竜だ。しかし、シファは平然と言い放った。


「わたくしはヘイルと話すことがあります。お姉さまも愛しの婚約者さまのもとへ行ってらっしゃいな」

「はぁ? 話すことなんてな……いや、あるけど」

「愛しの、は否定しませんのね。では、ごきげんよう」


 セオドアはセオドアで、ティーマや重臣たちとまだ打ち合わせをしているはずだ。

 だから、今は探しに行かない。

 アマルはひとりバルコニーに取り残される。


(あたしはあいつを好きになってよかった。ひとりになっても、ひとりじゃないって思える。そうか、これが……)


 自然と口角は上がり、藍色の瞳は輝きを増していた。


   §


 なんだかんだアマルは精神的に疲れていたのだろう。残念なことに、翌日から熱を出して寝込んでしまった。

 聖堂で看病されたこともあり、毎日誰かしらがお見舞いに来てくれた。セオドアは当然のように毎日。国で最も忙しいであろうティーマも例外ではなく、アマルとティーマは誰にも邪魔されず今後について語り合った。


 そして、皇国サニアのから数日後。


 ようやくアマルは完全に回復し、聖堂を後にした。

 とはいえ、今後はクラド王国と皇国サニアを行き来することになるだろう。

 竜巫女とは国に縛られない大陸を守護する存在でもある。そんな、本来あるべきだった姿に戻るのだ。


「……ここか」


 聖域の森の入り口に、白いいしぶみがあった。皇子によって理不尽に殺された聖獣の墓だ。

 アマルは聖樹の花を墓前に置いて、両手を組むと瞼を閉じる。


「どうか安らかに眠りたまえ」


 アマルの隣でセオドアもまた、静かに祈りを捧げている。

 祈りを捧げ終わるのと同時に聖竜が現れた。

 アマルとセオドアは、ようやくクラド王国へと帰るのだ。


【迎えに来てやったぞ】

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

「ぴゅーっと帰るぞ。聖竜の背中はどんな乗り物より早くて安全なんだから」

【アマルにとってはそうかもしれんが、そこの馬の骨にとっては違うかもしれぬぞ】


 突然話を向けられたセオドアは静かに反応する。


「聖竜殿。常々感じていたのですが、私に対しての当たりが強すぎませんか?」

【当然だ。我にとってアマルは唯一力を引き出せる巫女であり、なにより、娘のようなものだからな】

「娘……」


 ぽかんとアマルが口を開ける。


「聖竜にとって、あたしは子どもだったのか」

【今さら気づいたのか】


 すると、セオドアがすっと片膝をついた。アマルに対してというより、聖竜に対しての敬意だ。


「最初に誓ったときから変わりありません。アマルとは生涯共に生きていきます」

「テディ!?」

【ふん。もしも今度アマルが傷つくようなことがあれば、そのときは覚悟しておけ】

「はい」


 セオドアが微笑む。その蒼い瞳には、穏やかな光が宿っていた。


【さぁ早く乗れ。さっさと送り届けてやる】


 急かされるように、アマルとセオドアは聖竜の背に乗る。


 ふわりと浮かぶ体。遠くなる地上。

 眩しい陽の光が降り注ぐが、心地よい風もまたふたりを包んでいる。


「壮観ですね」

「そうだな」

「上から聖樹を眺められるとは、なんという贅沢なのでしょう……」


 セオドアがしみじみと呟いた。

 一方、眼下に広がる景色を共に眺めながらアマルは考える。


(きっとあの辺りに、竜の里がある)


 セオドアへ教えることはできないが、見せたい景色を見せている喜びが、じんわりと胸に広がる。


「……あぁ、そうだな」


 そして、段々、空が雲に覆われてきた。

 クラド王国が近いのだ。


「クラド王国へ帰ったら、まずは報告書の山が待っているでしょうね。代理をしてくれていたであろうエドにもお礼をしないといけません」

「うぅ……お疲れさま……。でも、休めるときに休むんだぞ?」

「そうですね」


(気のない返事だなー)


 当分、セオドアは休む気がなさそうだ。

 アマルは敢えてツッコミを入れず、黙っておく。


「まぁ、ティーマもあたしを正式な客として招くって言ってたし、しばらくお互い忙しそうだな」

「結婚式は大分後になりそうですね」

「わっ!? けっ!?」


 驚いて体勢を崩しかけたアマルを、セオドアが後ろから抱きしめる。

 腹辺りに回された腕はきつく、熱がこもっていた。


「テ、テディ?」


 セオドアは、アマルの右肩に顔を預ける。

 アマルはさらに驚き、わずかに首を右後ろへ向けた。ふわりとセオドアの髪の毛がアマルの鼻先に触れる。


「名前を呼んでいただき、ありがとうございます」


 その低い声に、甘さが混じり、滲んだ。


「……へ?」


 アマルはわずかに微笑み、言う。


「何度でも呼ぶさ。だって、これからずっと一緒にいるんだろう?」


 するとセオドアが顔を上げた。

 お互いの瞳に、お互いの姿が映り込む。

 ふたりだけしか知らない、見せない表情。それが、恋ということ。

 どちらからともなくふたりは口づけを交わす。


「白日にかけて、あなたを一生、愛します」










     了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

偽者だと追放された竜乙女は隣国の騎士団長に溺愛される shinobu | 偲 凪生 @heartrium

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ