2-2 プロポーズ
§
(皇国サニアの宮殿より広くて豪華なんじゃないか?)
両開きの扉が厳かに開かれると、赤絨毯の先に玉座が見えた。部屋の両脇にはずらりと近衛兵が整列している。
側近らしき人間も左右に控えている。
張りつめた空気に呑まれそうになり、アマルは左に立つセオドアへ視線を遣った。セオドアは当然ながら慣れているようで、普段通り平然としている。
それだけで、アマルは安心することができた。
(何とかなる。だって、セオドアがいてくれるんだから)
「よく来たな!」
快活でよく通る声が響いた。
「堅苦しい挨拶は要らん。早く入れ」
「失礼します」
セオドアが一礼して歩き出す。アマルに歩幅を合わせてくれているようで、ふたりは並んで玉座の前まで進んだ。
ひとことでまとめると、豪奢な身なり。まさしくこの国で最も位の高い男は、すっと立ち上がると玉座から離れてふたりの前まで歩いてきた。真紅のマントが重たそうに床にすれ、両脇に控える側近たちが慌てた。
「余がクラド五世だ。竜巫女殿、この度は我が国へ平和をもたらしてくれて感謝する」
一国の王が玉座から降りて感謝を述べるなど、そうあっていいことではない。アマルにだって解ることだ。
「頭を上げてくれ……ください。あたしは竜巫女として、己のなすべきことをしただけだ」
ただでさえ慣れないクラド語の敬語を思い出そうとして、アマルは言葉に詰まった。
それがかえってよかったのか、国王はゆったりとした動作で手を叩いた。
「なんと謙虚な。しかし、それこそ正しい竜巫女の姿なのだろう」
「セオドアもいてくれたから」
アマルは顔をセオドアへ向けた。話を振られると思っていなかったのか、わずかにセオドアがこわばる。
国王は、すっと目を細めた。
「そうか。愚息が竜巫女の役に立ったのであれば何よりだ。セオドア。そなたもご苦労だった」
「……ありがとう、ございます」
アマルは二人を見比べる。親子はとても似ていた。体格だけではなく、雰囲気も近い。セオドアは持って生まれた高貴さを敢えて隠しているのではないだろうかとさえ思えた。……隠しきれてはいないが。
また、若干セオドアの方が色素が薄いのは、母親寄りなのだろうか。考えるが口には出さなかった。
すると再び会話の中心がアマルへと戻ってくる。
「ところで、今日呼び立てたのは感謝を述べたかっただけではない。実は、そなたを亡命者としてではなく、正式に我が国へと迎えたい」
さらに国王の言葉は続いた。にやり、と口角が上がる。
「可能であれば、この国に腰を下ろし、子を産んでほしいものだ」
「は?」
「お言葉ですが、陛下」
食いかかったのはセオドアの方だった。
「竜巫女をクラド王国の客人として受け入れるところまでは解ります。しかし、その後の人生を決める権利は、王といえど持ちえないと思います」
「何を慌てておるのだ」
国王の目尻に深い皺が現れる。口元に蓄えた髭を撫で、にやりと口角を上げた。
「余とてどこの馬の骨とも分からぬ者をあてがうつもりはない。そちとて候補に入るのだぞ、聖剣に選ばれし我が息子よ」
アマルは隣に立つセオドアを見上げた。
黙ったまま、国王を睨みつけている。
珍しく感情を露わにしている。怒りの感情。第三王子でなければ反逆者として捕らえられてもおかしくはないくらいだ。
対する国王は余裕しゃくしゃく。
アマルはふたりを交互に見た。
(なるほど。清々しいまでに政治の道具として見られているってことか。あたしも、……セオドアも)
「分かりました」
じっと何かを考えていたらしいセオドアは、顔を上げ、拳を握りしめた。
「それならば私は私自身の意志で、竜巫女へ婚約を申し込みます」
「……はい?」
予想だにしない宣言を受けて、アマルは口をぽかんと開けた。
セオドアを見上げると視線が合ったので、瞳で訴えかける。
(どうしたんだ? らしくないぞ?)
しかしセオドアには通じていない。真剣なまなざしをアマルへ向けると、すっと跪いた。
セオドアが自らの胸に左手を当てる。
「竜巫女アマル。私からの婚姻の申し入れを、受けてくれますでしょうか」
「え、えっと……」
(セオドアのことは嫌いじゃないし、あたしが了承することでセオドアの立場がよくなるのであれば歓迎したいとも思うけど……)
まごつくアマルに、国王が大声を被せてきた。
「聞いたか、皆の者! セオドアと竜巫女が婚姻を結べば我が国の安泰は決まったようなものだ。実にめでたい話よ」
国王の言葉を合図にして拍手が沸き起こる。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!?」
「早速皇国サニアへ親書を送るとしよう。今日は我が国にとって歴史に残る日となる」
当事者であるはずのアマルを取り残して、話はどんどん進んでいくのであった……。
§
文字通り、逃げるようにセオドアとアマルは執務室へ戻ってきた。
「……申し訳ありません……」
「あほテディ、まんまと陛下の罠にかかりやがって」
セオドアを一喝したのは、事情を把握したエドワードだ。
「ははは……。しかたないよ。セオドアはあたしを守ろうとしてくれたんだよね……。ははは……」
「だーかーら、そこまで含めて陛下の思惑通りなんだって」
アマルは長いすへ脱力するように腰かけた。
何故だかエドワードがアマルへ茶をサーブしてくれる。アマルは茶に口をつけた。香ばしさにほんの少しだけ疲労が和らいだような気はするものの、疲れは滲んでいる。
「ちなみに、アマル様はどうなんですか?」
「ん?」
「こいつとの結婚。ぶっちゃけ」
こいつ、と指を差されたセオドアは聖剣を立てかけたところで硬直する。
「嫌ではないけど。でも」
「でも?」
「セオドアだって好きな人くらいいるだろう? あたしなんかと結婚していいのか心配ではある……」
ようやく本音を吐き出したアマルは、長いすに沈み込んだ。
「そこは問題ありません。こいつも王族の端くれですから、そもそも恋愛結婚なんてできないんで」
「エド、殴りますよ」
「恋愛結婚できたら奇跡でしょうね。ということで、おめでとう、テディ!」
「エ、ド?」
軽妙な男たちのやり取りは、アマルの耳にはほとんど届いていない。
がばっとアマルは起き上がりセオドアへ体を向ける。
「セオドア!」
「な、なんでしょう」
「妾を作ってもかまわないからな」
今度は、ぶっと勢いよくエドワードが吹き出した。
「セオドアはあたしの命の恩人だ。セオドアが幸せになれるなら、どんなことでもするよ」
セオドアの表情が、こわばったまま固まる。
「アマル。勘違いをしています。私は」
――そのとき。
【許さぬ】
執務室に第四の声が響いた。同時に何もない空間に金色の光が収束していく。
セオドアとエドワードは突然の出来事に剣へ手をかけるが、制したのは立ち上がったアマルだった。
「待って。敵じゃない」
やがて顕れたのは――アマルと同じ褐色の肌と、肩まで伸びた黒い髪。服装もどことなくアマルの竜巫女装束に似ている。
そしてアマルと違い、黄金の三白眼を有した青年だった。
【さっきから黙って聞いておれば、どいつもこいつもアマルを物のように扱いおって。国ごと滅ぼしてやろうか】
「落ち着いて。あたしはそんなこと望んでないよ!」
アマルが宥めるも、青年は不機嫌さを隠さない。
「……まさか」
やがて金色の双眸から正体に思い当たったらしいセオドア。まだ把握できていないエドワード。
そんな彼らへ、アマルは青年の体を向けさせた。
「紹介するよ。聖竜だ」
「……」
「……」
しばしの、動揺と沈黙。その後、絶叫。
「聖竜だって!?」
【ふん。驚くのも無理はない。我がヒトへ擬態できることはどの文献にも記されていないからな】
「……これは、大変失礼いたしました。セオドア・ロキューミラと申します。神域の森では助けていただきありがとうございました」
セオドアの最敬礼に合わせて、エドワードもまた深く頭を下げた。
「エドワード・シーラスと申します。お目にかかれて光栄です」
【そうだな。光栄に思うがいい】
顔を上げたセオドアは、アマルへ問いかける。
「聖竜は竜笛がないと姿を現さないのではなかったのですか」
「えーと、そういう訳でもないんだ。聖竜の意志があればどこにでも姿を現すことはできる。竜笛は強制的な意味合いがあるのと、あとは、見栄え?」
「見栄え」
「信じられません……」
驚きを通り越して呆然としているセオドアとエドワードは一旦置いておく。
「聖竜。どうして急に姿を現したのさ? しかも人間の姿で」
【アマルが心配だからだ】
青年の姿をした聖竜は、セオドアとエドワードへ指を向けた。
【竜巫女がこの大陸にとってどれだけ重要な存在か、人間には分からぬであろう。人間は勝手に大地へ線を引き、所有権を主張するだけのくだらぬ生き物だからな。そんなもの、我にはどうでもいい。聖剣に選ばれし騎士よ。貴様はアマルを守ることができるのか?】
それからつかつかとセオドアの前へ歩いていき、睨みつけた。
人間であれば傲岸不遜という言葉がまさにぴったりな態度だが、実際に上位の存在である。
だからこそ、とでも言うべきか。
「守ります。過去だけでなく、今後生まれるであろう悪意のすべてから、守ってみせます」
【ふん。できるものなら、やってみろ】
「はい」
「聖竜。あまりセオドアを困らせないで」
「私は困ってはいませんよ、アマル」
うっ、とアマルは言葉に詰まる。庇えば庇うほど、アマルは墓穴を掘るような気がしてならなかった。
「アマル」
「な、なんだよ」
「私と結婚してください」
一回目より、丁寧に。
跪いたセオドアがアマルへ向けて、左手を差し伸べる。
その蒼く美しい双眸にはアマルしか映っていない。嘘偽りなく、アマルへ結婚を申し入れていることが分かる。
(優しすぎる。セオドアにとっては契約上の結婚だっていうのに)
アマルは鼻をすすった。
何故だか泣きたくなっていたけれど、それはそれでこの場が荒れてしまうことも予想がつく。聖竜にクラド王国を滅ぼされても困る。
だから、無理やり笑顔を作って、セオドアの手を取った。
「うん。あたしも、セオドアを幸せにしてみせるよ」
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