3-6 因果応報

   §


 皇子の部屋へ近づくと、扉の前には恰幅のいい護衛が立っているのが見えた。

 セオドアが手に持っていた甲冑を深く被り直す。


「アマルはここで待っていてください」


 そう告げると護衛へ近づいていって――会話を交わしてから、いきなりみぞおちを殴った。


(ええええ!?)


 セオドアは前のめりに倒れた護衛を受け止めて、担ぎ、廊下の壁にもたれかけさせた。

 再び甲冑を外すと今度は護衛へ被せる。それからアマルへ顔を向けて、手招きをした。

 あまりにも流れるような動き。アマルは手を叩こうかと思ったが、流石にやめておく。


「テディって、強いよな……」

「今さらどうしましたか? さぁ、入りますよ」


 アマルは背筋を伸ばして、扉を叩いた。

 返事はない。

 アマルとセオドアは顔を見合わせた。そして、セオドアが扉を開けて……すぐに閉めた。ぎゃあ、という悲鳴がわずかに聞こえたのは気のせいではないだろう。


「テディ?」

「見てはいけません」

「……」


 先ほどの悲鳴は皇子のものだけではなかった。察したアマルは、思い切り顔を歪ませる。


「あたしだって大人だし大丈夫だよ」

「貴女がよくても私が嫌なのです」

「あー、なんだかなぁ」


 毒気を抜かれたように、アマルは肩をすくめてみせた。

 そして、今度はアマルが扉を叩く。


「おーい。入ってもいいか?」

「アマル!!」


 セオドアが制するのを無視して、アマルは扉を勢いよく開けた。むせ返るほど焚かれた香のにおいが鼻につき、うぇっと顔をしかめる。

 一人では持て余しそうなくらい広すぎる部屋の中央に、大きな寝台が置かれていた。複数の女性がそこから奥へと走っていくのが視界に入った。

 当の皇子はといえば、……とりあえず、服は着ていた。


(いや、むしろ、今着たのかもしれないな)


 そして、皇子がアマルの存在を認識すると、不機嫌そうに眉をひそめた。


「シファか? 何の用だ?」

「あー……」


 アマルはぽりぽりと頬をかいて、左目の下のほくろをごしごしと擦って消した。


「残念だったな。あたしだ。竜巫女アマル、参上!」


 わざと大げさに、アマルは手を腰に当てて胸を張った。

 部屋が広いせいで、声を張らないと会話がしづらい。

 舞踏会を開けそうなくらいの空間。アマルとセオドア、皇子の間には十分な距離がある。


「……は?」


 皇子は、理解できないと言わんばかりにまばたきを繰り返した。口もぽかんと開けている。

 アマルの隣でぼそっとセオドアが呟く。


「もしかして、皇子は頭が弱いのですか」

「なんだ。今さら気づいたのか?」


 セオドアへつっこみ、アマルは溜め息を吐き出した。 

 ようやく理解した皇子が、目を見開いて、アマルへ向かって人差し指を向けてきた。。


「どどど、どうして貴様が!? まさか生き返ったのか!」

「おい。勝手に人を殺すな。この通り、生きてるぞ」


 それからアマルは、右腕を伸ばした。


「竜笛を返してもらいに来た。聖竜を怒らせるようなことはしないでくれ。お前だって皇族の一員なんだ。聖竜を閉じ込めようとしたり竜笛を隠すだなんて、どれだけ不敬なことかは解るだろう?」


 アマルは、新しく竜笛を作った、とは伝えない。

 皇子の唇が、拳が、わなわなと震えていた。徐々に顔も紅く染まっていく。


(恥をかかされたとでも思っているんだろうか。だとしたら、本当に哀れな男だ)


 アマルは溜め息を漏らす。

 皇子はアマルの隣に立つ青年が誰なのかも、恐らく気づいていないだろう。

 聖獣を攻撃したときや晩餐会など、セオドアと複数回顔を合わせる機会があっても、興味がなかったに違いない。


「不敬なのは、貴様だ!」


 皇子が叫ぶ。

 そして部屋の奥へ大股で進むと、何かを乱暴に掴んだ。


「俺を誰だと思っている? この国の第一皇子だぞ。次の皇帝になる人間なんだぞ!!」


 皇子が掴んだものはひとつではなかった。

 片手に、それぞれひとつずつ。ぎらぎらと輝きを放つ剣。

 今度はアマルとセオドアが目を見開く番だった。


「……まさか」

「聖樹の根から創らせた新たな聖剣だ。どうだ、かっこいいだろう」


 皇子が、うっとりとした表情を浮かべる。


「信じられません」

「同感だ」


「選ばれないのであれば、選ぶ側に立てばいいだけのこと。俺が聖剣の騎士ではないというのがそもそも間違いなんだ」


 まだ皇子は己の世界に浸ったままだ。両腕を大きく広げると、その分、聖樹の剣は輝きを増す。


「……残念です。貴方は、堕ちるところまで堕ちたようですね」

「何だ貴様」


 ようやく皇子はセオドアの存在に気づいたようだった。

 セオドアはまだ、聖剣の柄に手をかけない。


「クラド王国第五騎士団長、セオドア・ロキューミラ。貴殿とは何度かお目にかかっていると思います」

「そんなのもいた気がする。とはいえ、の聖剣の騎士だろう」


(馬鹿皇子め! 言うに事欠いて……っ)


 自分が偽者呼ばわりされる以上に、アマルは怒りで震えた。

 否定を叫ぼうとしたアマルを、セオドアは腕で制した。首を左右に振るセオドア。ここは抑えるようにという意志が伝わってきて、アマルは一歩下がった。


 皇子が右の剣先をセオドアへ差し向けた。


「剣を抜け。どちらが本物か思い知らせてやろう」

「……どうやらここまでのようですね」


 セオドアは瞼を閉じた。

 深呼吸の後、目を開き、流れるように聖剣を抜き構える。

 そして――次の瞬間、皇子の懐へ入り込んでいた。稲妻のように突風のように、目にも留まらぬ速さ。


 対する皇子は意外にも応戦していた。

 振るう剣は、岩のように、あるいは蛇のように。


 激しい剣戟けんげきだ。剣と剣がぶつかり合う度、空間には目に見えない衝撃が響く。


(テディ! 勝ってくれ……!)


 アマルには見守ることしかできない。これは国と国の代理戦争でもあり、矜持をかけた戦いでもあるのだ。

 やがて終わりは唐突に訪れる。


「ぐぁっ」


 皇子の左手から剣が落ちる。よろめき、体勢が崩れる。

 セオドアは間合いを詰めて聖剣を薙いだ。

 とはいえ皇子もぎりぎりで交わす。

 さらにセオドアの一撃。


 皇子の右手から剣が離れて、弧を描き――


 どさっ、

 どすっ。


 ――倒れた皇子の胸をそのまま貫いた。

 その瞬間、かりそめの聖剣は解けるように崩れて、粉が舞い上がった。


 甲高い悲鳴がこだまする。奥の女性たちのものだ。泣く者、失神する者、抱き合う者……。


 アマルもまた瞼を閉じた。そして、両手を組む。


(聖樹に貫かれたんだ。恐らく、致命傷だろう)


 皇子の絶命を確認したらしいセオドアがマントを外して、皇子の体にかけた。

 祈りを捧げてから、アマルに向かって歩いてくる。


「……終わりました」


 不本意そうな表情をしていた。

 セオドアだって、皇子を殺したい訳ではなかったのだ。


「そんな顔、しないでくれ。これは報いなんだよ」


 アマルは両手を伸ばして、セオドアの頬を包んだ。


「聖竜を、聖剣を、聖樹をないがしろにした。それはこの大陸では、大罪に値する」

「ですが」


 手を振り払うことなくセオドアは答えた。


「あなたも、とても苦しそうです。アマル」


 ひどく静かな声色だった。

 そのままセオドアは、アマルの手に自らの右手を重ねる。


(冷たい)


 その手の温度にアマルは静かに驚く。セオドアもまた動揺しているのだと感じた。

 だからこそ切り出す。


「女帝のところへ行こう。すべての決着をつけに行くんだ」


 皇国サニア出身の人間として、アマルの強い決意を。

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