ミルキーウェイ

第5話

 幼い頃に、父に連れられて、よく遊びに行った家がある。美冬の家から車で一時間ぐらいの、小さなアパート。そこには綺麗な女の人と、美冬と同い年の男の子がいた。

 年齢も誕生日も同じその男の子と、美冬は仲良しだった。その子のお母さんは、絵本の女神様みたいに綺麗で優しくて、美冬はその家に行くのが嬉しくて仕方がなかった。美冬の母親は入退院を繰り返していたし、笑顔を見せることすら稀だったから。

 家では寡黙な父も、そこでは朗らかで、四人で公園に出かけたりもした。

──玲音れおん

 美冬は、男の子をそう呼んでいた。玲音は「美冬ちゃん」と呼んでくれていたっけ。一度「美冬」と呼び捨てにして、お母さんに叱られていたのを憶えている。

 七夕の日には誕生日のケーキを買って来て、歳の数の蝋燭を立てた。

──私たち、双子みたいね。

 ある日、美冬はそう言った。最近アニメで知った言葉だ。男女の双子もいるんだと、覚えたての知識を披露した。

──そうだったら、いいのにね。

 玲音のお母さんは、そう言って、何故か少し寂しそうに笑った。

 あの日、美冬は何歳だったのだろうか。入学する予定の小学校が違うという話をしたのを憶えている。だとしたら、六歳の誕生日だったのかもしれない。

 だから、二人で吹き消した蝋燭の数は、きっと六本だ。赤、白、黄色、緑、紫。もう一本は、何色だったっけ。

──ハッピーバースデイ。


 美冬は目を開けた。どこからか雨の音が聞こえる。

 自分の部屋だ。意識がはっきりするにつれて、夢の記憶が消えていく。とても懐かしい夢を見たような気がする。けれど、もう思い出せない。

 枕元の時計を見ると、デジタル画面は午前八時を表示していた。イケアで買ったこの時計を、美冬は結構気に入っている。転がして向きを変えることで、時刻、アラーム、温度と湿度、タイマーがそれぞれ表示される。湿度は80%、部屋は薄暗く、カーテンの隙間から見える空は、黒い雲に覆われていた。

「雨だね」

 台所に向かって、そう声を掛けてみる。玲音は、もう起きているだろうか。

「そんなに強い雨じゃないよ」

 少しして、欠伸交じりの返事があった。

「買い物には行ける」

 そうだ。まだ冷蔵庫は空のままだった。



 細い糸のような雨の中、二人で商店街に買い出しに行った。

 喫茶店のモーニングサービスで遅めの朝食を済ませ、七夕祭りの幟が立つ商店街を歩く。吹き流しや提灯、でんぐりなどで飾られた笹が、重そうに枝をたわませているのを見るのが楽しかった。

「これで一安心」

 一週間分の食材と保存食を買い込み、荷物は両手いっぱいになった。

「何か今日、ちょっと寒いな」

 蒸し暑さこそ感じるものの、決して寒くなど無い筈だが、玲音は肩を竦め、少し震えている様にも見えた。昨夜、雨の中で長いこと待っていてくれたのかもしれない。風邪をひかなければいいのだが。

「なあ、織姫と彦星って、夫婦だって知ってた?」

 玲音が言う。

「知ってるわよ」

 天帝の娘である織女は牛飼いの牽牛と結婚した。二人は愛にかまけて仕事をなおざりにし、天帝の怒りを買った。天帝は二人を天の川の西と東に引き離したが、嘆き悲しむ二人を哀れに思い、年に一度だけの逢瀬を許したのだ。けれど雨が降ると天の川は氾濫し、二人は逢う事が出来ない。

「遠距離恋愛っていうか、単身赴任みたいなもんかな?」

「ちょっと違うと思う」

 自分に似ているとは思わないのだろうか。年に一度、七夕の日にやって来る。もちろん、二人はそんな関係ではないのだけれど。

「美冬先輩~」

 背中から、元気な声が聞こえた。振り向くと、大きなトランクを引き摺った派手な女の子が立っている。

「早紀ちゃん、お帰り」

 北海道へ旅行に行っていた、202号室の早紀ちゃんだ。

「よう、久しぶり」

 声を掛けた玲音に「チーっす」と笑顔を返し、早紀ちゃんは美冬に向かって敬礼のポーズをとった。

「江戸村早紀、ただいま帰って参りました」



 大荷物を下げた三人は並んでコーポレイブンへと帰り、昼過ぎになると早紀ちゃんは、204号室の本田真紀ちゃんを伴って美冬の部屋にやって来た。

「北海道土産、みんなで食べましょう」

 ルタオや六花亭のスイーツ、とうきびチョコ、じゃがボックルなどを次々と袋から取り出すのを見て、美冬は慌ててテーブルの上を片づけた。部屋の隅に置かれていた玲音の鞄が書類と雑貨で埋まる。

「波留都くんも誘ったんだけど、今から大学に行くんだって」

 二階の若者チームは、たまにこうして集まることがある。見るからにギャルの早紀ちゃんと、黒髪ストレートの真紀ちゃんが並ぶと不思議な感じだが、二人はとても仲がいい。

「お土産はもう貰ったのに、ありがとうね」

 美冬がそう言うと、早紀ちゃんは「いいえ」と首を振った。

「あれは誕生日プレゼントだから。玲音さんのと」

 棚に並べてある二つの瓶を見て、早紀ちゃんが鞄から何かを取り出した。

「名前書かなきゃ」

 綺麗な色のマスキングテープに、カラーペンで字を書く。『レオン』そして『ミフユ』。そういえば早紀ちゃんは最近、片仮名をよく使う。

──カタカナってカッコいいじゃないですか。

 アメニモマケズ、カゼニモマケズ。そう続けた早紀ちゃんは、屈託なく笑った。色々な事柄を素直に取り入れるのは、彼女の良いところだが、そのせいで昨夜は……。いや、もう言うまい。

「真紀ちゃん、今日は彼氏は、仕事?」

 ハスカップジュエリーを口に運ぼうとしていた美冬は、早紀ちゃんの言葉に手が止まった。この話題には触れたくない。また何か悪いことが起きそうな気がする。


「そうかあ。困った問題だね」

 真面目くさった顔で、早紀ちゃんが言う。声が少し震えているのは何故だろう。

「どちらかが一旦どこかに養子に行って、それから結婚したらどうかな?」

 玲音が訳の分からないアイデアを出した。

「江戸時代じゃないんだから」

 庶民の娘が武家に嫁入りする場合、一旦どこかの御武家の養女となり、それから輿入れする事があったらしい。絶対的な身分制度が存在した時代の、面倒くさい風習である。

「伊達巻ねえ……。腹巻よりはマシかも」

 世の中には、原マキさんという名前の人が多分いるだろうから、そんな事を言ってはいけません。天罰が下ります。

「そうねえ。確かに」

 真紀ちゃんも、同意しないように。

「本田スバルって、カッコいいじゃん」

「……そうかな」

 ええ。勤めている会社が違えば。

「いっそのこと、コイントスか何かで決めれば?」

 玲音がまた、いい加減なことを言う。

「それも良いですね」

 真紀ちゃんが言う。実は、本人たちにとっても大した問題ではないのかもしれない。そう思うと、ほっとした。

「ちなみに百円玉の表ってどっちだと思う?」

「100って書いてある方じゃないんですか?」

「それが違うんだなあ。桜の花の方なんだよ」

「そうなんですか?」

 話題は急激に逸れて行き、テーブルのお菓子が減っていく。玲音はとても楽しそうで、時々美冬と目を合わせ、屈託なく笑った。

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