夕化粧
第15話
商店街のイベントでメンダコの絵のカバーを掛けてあったのは、思った通り伊達さんの車だった。
「桜木さんに頼まれちゃって」
伊達さんは、そう言って頭を掻いた。
「実は、うちの会社もイベントに協賛してるんですよ。須藤さんが考えた鳥の雛も商品に入ってたでしょう」
あれは景品になったのか。桜木さんは個人的に気に入ってくれたのかと思っていた。
「もちろんオリジナルはオフィスに飾ってありますよ。小杉さんに頼んで他のバージョンを作ってもらったんです。須藤さんには内緒で」
内緒で……って。まあ、確かに著作権は会社にあるのだから、いいか。
「宝の地図の秘密も景品も極秘扱いでしたから、そのへんはご了承を」
そう言って頭を下げる伊達さんの横で、真紀ちゃんが笑っていた。
二人は無事仲直りしたのだろうか。どちらの名字を選択したのか少々気になったが、天罰が怖いので詮索はしないことにした。
七月も、もう終わりだ。
最近、玲音は頻繁に出版社との打ち合わせに出かけるようになった。美冬が出勤してから出掛け、夕飯前には戻って来る。鍵が一つしかないのでポストに入れて出掛けるのだが、やはり少々面倒なので、合鍵を作らせてもらえるよう大家さんに頼むことにした。
美冬が101号室を訪ねると、燈子さんの後ろから、可愛いピンクのポシェットを掛けた千鶴ちゃんが現れた。
「可愛いポシェットね。もしかして宝箱の景品?」
美冬が尋ねると、千鶴ちゃんは、ううん、と首を振った。
「これは、おじいちゃんにかってもらったの。けいひんは、こっち」
ホックを外してポシェットを開け、千鶴ちゃんは小さな黒いものを取り出した。
「カラスの、あかちゃん」
小さな手の中には、ふわふわした羽毛に包まれたカラスの子の縫いぐるみが入っていた。
友佳さんが発注したものだろう。しかし、アレンジするにしても、何故カラスだったのだろうか。そして、それが千鶴ちゃんの手に入ったのは、不思議な巡り合わせに思えた。
「ちーちゃんが、えらんだの」
そうか。特等以外の景品は、自分で選べるようになっていたのか。しかしカラスの子を選ぶ当たり、さすがは力一さんの孫だ。
「みっつ、いるのよ」
三羽でしょう、と燈子さんが訂正すると、千鶴ちゃんは燈子さんを見上げ、自信ありげに言い返した。
「カラスのこは、ひとつ、ふたつって、かぞえるのよ」
七つの子か。なるほど……。
「ごめんなさいね。美冬ちゃん、用事があったんじゃないの?」
幼い子供の発想に感心していると、燈子さんに声を掛けられた。
「あ、実は……」
合鍵の件を話すと、燈子さんは二つ返事で了承してくれた。
「ビューネくん、ずっと此処に住むの?」
尋ねられて、美冬は返答に困った。ずっとではない。その内にきっと、鍵を置いて出て行ってしまうのだろう。
黙ってしまった美冬に気を遣ったのか、燈子さんは急いで言葉を継いだ。
「もちろん構わないのよ。でも、子供が生まれたら出て行って貰わないといけない規則なの」
「え?」
言葉の意味を理解できずに、まばたきを繰り返す美冬に、
「本当は従兄じゃないんでしょう」
燈子さんは、そう言って、小さくウインクをした。
恋人どうしに見えたのだろうか。胸の奥に、嬉しさにも悲しさにも似た感情が生まれ、混沌としたまま流れ出す。曖昧に笑って頭を下げ、美冬はバイバイと千鶴ちゃんに手を振った。
玲音と一緒の一か月はあっという間だった。毎日が楽しくて仕方がなかった。とても幸せな仮初めの日々。いつまで続くのだろう。いつ、壊れてしまうのだろう……。
階段の踊り場で物思いに耽っているうちに、いつの間にか夕方になっていた。夏はまだまだこれからなのに、夏至を過ぎると少しずつ日が短くなっていく。
「美冬」
階段の上から、声を掛けられた。
「ちょっと出てくる。出版社の人と打ち合わせなんだ」
珍しく身なりを整えた玲音が、階段を降りて来るのが見えた。
「夕飯は食べてくるから」
「うん、分かった。行ってらっしゃい」
踊り場ですれ違って、降りていく後ろ姿を見送る。ドアを開けて部屋に入ると、誰もいない一人の部屋が、急に見知らぬ場所に思えた。
突然疲れを感じて、美冬は食卓の椅子に腰を下ろした。なんだか身体がだるい。何もしたくなかった。以前は自分だけの為にでも一汁三菜の夕飯を作っていたのに、全くそんな気にならない。急に張り合いが無くなったようだった。
──どこかへ食べに行こうかな。
商店街との兼ね合いだろうか。この近くにはコンビニもファミレスもない。それほど田舎ではないのだけれど、夜に開いている店は小さな居酒屋ぐらいだ。
ぼんやりしていると、ラインの音が聞こえた。玲音からだ。
『言い忘れたけど、たぶん出版社の人と飲みに行きます。遅くなると思うので、先に寝ててください』
理由もなく、気持ちが落ち込んだ。
──私も、飲んじゃおうかな。
とはいってもアルコールは置いていない。飲みに出るのも、誰かを誘うのも億劫だった。
──食べずに、さっさと寝ようか。
最近よく、昔の夢を見る。現実が充実していても、夢見が悪いと気持ちが沈むのは何故だろう。いや違う。目の前の幻影に甘えている美冬に、夢は真実を思い出させようとしているのだ。
そんなことを考えていると、少しして追伸があった。
『部屋の鍵を持っていないので、やっぱり起きててください』
──何だこれ?
急に可笑しくなって、美冬は笑った。
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