第26話 作戦会議

 午前の授業を終えて、昼。


 明智先輩から問答無用の招集命令を受け、海老原を含めた俺たち四人はいつぞやのしゃぶしゃぶ店に集合していた。

 議題はもちろん、大学で出回っている俺と皐の噂について。


「……で、本当に二人は行くつもりかい?」

「そのつもりです。行ってみないことにはあっちの要求もわからないので」


 薄切りの豚ロースを湯に潜らせながら問う明智先輩へ、俺も答えてからポン酢を付けた肉を口へ運ぶ。

 肉とポン酢が絡み合って、絶妙な美味さを口の中で作り出す。

 美味いなあ……こんな重い話題がなければもっと美味しく感じられていただろうに。


「寧々は危険だと思います。だって、その八雲って人は――」

「海老原さんの心配も理解できますが、流石にお店の中で暴力沙汰は起こさないでしょう。出される料理にも手を付けるつもりはありません」

「場所も場所だよな。八雲先輩が指定したとこ、完全予約制の高級焼肉らしいぞ?」

「見栄もここまでくると見上げたものだね。女の前ではいい顔をしたいってことかな。もしかすると銀鏡くんへのアピールという線もある」

「アピール? どうしてわたしに?」

「あいつは昔から人のものに並々ならぬ執着を抱く質なんだ。柏木くんの彼女を寝取ったのもそういうことだろう」


 ……傍迷惑な性癖だ。


 全員そう思ったのか、渋い顔になっていた。


「というかそもそもの話、柏木くんと銀鏡くんは付き合っているのかい?」

「……付き合っているように見えます?」

「少なくとも二人でデートスポットにはぴったりのテーマパークに行くくらい仲がいいことはわかるよ。しかも背景のこれはナイトパレードだろう? そんな場所に男女二人でいたら、誤解を生んでも仕方ないと私は思うけれどね」


 思わせぶりな視線に、俺と皐は揃って息を詰まらせる。

 隣では海老原がなぜか若干むっとしながら、うんうんと頷いていた。


 実際、明智先輩の意見はその通りだ。


「ああいや、もちろん二人が嘘をついていないことはわかっているよ。ただね、切り取り方次第ではどうにでも見えるってことを言いたかっただけなんだ」

「……そうですね。条件は揃い過ぎていますし、極めつけはあの写真」

「上手いこと撮ったもんだよな。銀鏡の顔が俺の顔で隠れてるから、キスしてるように見えなくもない」

「あのー……水を差すようで気が引けるんですけど、一つだけはっきりさせておきたくて」


 おずおずと手を上げる海老原。

 しかしながら、目には確固たる意志が宿っている。


「お二人は、その…………キス、したんですか?」

「してない」「してません」

「清々しいまでの即答だね」


 声を重ねての否定に笑うのは明智先輩だけ。

 質問した海老原は「ですよね……すみません」と、どこかほっと胸を撫で降ろす。


「つまり二人はあのバカか、バカにつられたバカの策略で貶められようとしている訳だ。柏木くんが浮気できるほどモテると本気で思っているのかねえ」

「フォローに見せかけて刺すのやめません?」

「冗談の一つくらい挟んでおいた方がいいかと思ったんだが、余計なお世話だったかな。大丈夫、キミは少なくとも今はモテモテだよ。美女三人を侍らせてのハーレムランチなんて、あのバカでもそうそう出来ないさ」


 いまいち喜べない褒め方をされている気がするものの、それはそれ。


「とにかく、本当に救えない連中だってことがはっきりした。現時点で判明していることがあれば共有して欲しい」

「それなんですけど、更科は八雲先輩が弁護士を雇ったって言ってました。なので俺が浮気をしたって話で進めるか、あるいは示談で金銭と俺の大学での評判を落とすか……あまり考えたくないですが銀鏡を狙っている可能性もあります」

「想定していましたが、本当にあり得るのでしょうか」

「じゅうぶんにあり得るね。むしろ本命だとすら私は思うよ」


 皐の疑問に明智先輩が是を返したことで信憑性が帯びてくる。


 八雲先輩が対話の機会を設けたのも、訴訟や示談をちらつかせて皐に脅しをかけるためか?

 これ以上噂を広められたくなければ別れて俺の物になれ……とか。


 八雲先輩としては要求が通ればそれでよし。

 通らなくても弁護士を通じてのあれこれで俺たちに痛手を与えられる。

 更科も自分の名誉が守られ、俺たちを合法的に貶められるわけだ。


「でも、目的がわかったところで寧々たちはどうしようもなくないですか?」

「そうなんだよなあ。事前準備で差をつけられてる感じだ。弁護士を呼ばれて議員の権力を使われたら、正攻法じゃあどうしようもない」

「これが金銭目的だったら楽なのですが、わたしたちを貶めることに全力を注がれたら……考えるだけでも嫌になりますね。四六時中あちらが雇った探偵みたいな人に影から監視される生活が始まりますよ」

「あいつなら金に糸目は付けずに、それくらいはやるだろうね。乙女のプライバシーを何だと思ってるんだ」

「……ちょっと怖すぎじゃないですかね。普通そこまでします?」

「器が小さい男なんだよ、八雲拓哉ってバカはさ」


 器が小さいと言われながらも、八雲先輩が明確に持っているものは脅威だ。


 権力。

 財力。

 ルックス。

 大学での地位。


 ――その全てが、俺にはない。


「だけど、悲観することはない。あっちがその気なら、こっちも動けばいいだけさ」

「……どうやって? 俺には弁護士を雇うような金も、伝手もありませんけど」

「はあ……キミの優しくて穏やかなところは長所だと認めるけれど、その鈍感さだけはどうにかならないものかね。何か忘れていないかい?」


 にぃ、と笑みを刻む明智先輩。


 そこで遅ればせながら、気付く。


 明智先輩は一帯の地主。

 であるならば相応に顔が効くし、八雲先輩とも知らない仲ではないと言っていた。


「寧々、わかりました!」

「……なるほど」

「あー…………本当に、いいんですか?」


 恐る恐る聞いてみれば肩を竦めて、


「こんな時くらい頼ってもらわないと逆に困るよ。私だって可愛い後輩がバカの手にかかるなんて見たくないし――普通にムカついているんだ。あのバカには誰の身内に手を出したのか、骨の髄までわからせる必要がある。そうだろう?」


 頼もしすぎる発言で、力になると表明してくれた。


「弁護士の方は私がなんとかしよう。相談内容は……そうだね、柏木くんがされた浮気と、今回の浮気の冤罪をかけられたことへの損害賠償請求とでもしておこうか。折角の機会だから目いっぱいふんだくるよ。依頼費用は請求したお金から貰えばキミたちの懐は痛まない。どうかな?」

「どうもなにも、それじゃあ明智先輩がタダ働きになりますけど」

「キミたち二人の名誉を守るための戦いだ。お金のことは気にしないし……勝てると確信しているんだから、費用なんて気にするだけ無駄さ。それに――これは私の後悔を晴らすためでもあるんだ。キミが彼女を寝取られた時に、私は何もしてあげられなかったからね」

「……ちゃんと慰めてもらったじゃないですか。コーヒーも貰いましたし」

「事後処理を戦果に数えるほど堕落してはいないよ」


 ……なんだろう、急に明智先輩が頼もしく思えてきた。


 相変わらず目の下には薄っすら隈があるから微妙に締まらないけど。


「銀鏡くんも気にしなくていいからね。キミも私の可愛い後輩だし、うちのバカが迷惑をかけているんだから、尻拭いくらいはさせてくれ」

「……であれば、よろしくお願いします」

「確かに承ったよ」


 皐との合意はすんなり進み、少しだけ気が楽になる。


 対抗策が出来たのは喜ばしいことだ。


 これで唯々諾々と要求に従わずに済む。


「寧々も手伝えることがあったら手伝います!」

「海老原も……ありがとな」

「これも先輩たちのためですから!」

「なら、寧々くんには私の手伝いをしてもらおうかな」


 なんて話が進むのを眺めていると、不意に目の奥が熱くなった。


 俺を大切に思ってくれる人がこんなにいたんだな。

 これは紛れもなく、友情と称するべき繋がりだと今になって思う。


 更科と付き合うようになってからは、何人かで一緒に行動することが多かった。

 恋人も、友達もいて、楽しい日々を送っていた。


 入学前に思い描いていた薔薇色の大学生活。


 でも、それは俺の思い込みでしかなかった。

 更科は寝取られ、友達だと思っていた奴らはみんな離れた。

 俺が一年で築き上げたと思っていたものは、全部幻だったんだ。


 けれど奇跡的な偶然で皐と出会い、散発的な付き合いだった明智先輩や海老原と仲を深めた結果、楽しい今がある。


 だから、俺は――


「俺のやるべきことは、まずは銀鏡を八雲先輩から守ることか」

「よくわかってるようでなにより。ほかにも余計な約束事をしないこと。私たちが不利になるような情報を零さない……とは言っても捏造や悪意のある切り取りをされるはずだから、完璧には出来ないと思った方がいい」

「わたしも一緒にいますから、その辺は二人で気を付けましょう」

「……ほんと助かるわ。交渉事なんて慣れてないから、銀鏡がいてくれると助かる」


 対人力は別として、理論的な話をするなら俺より皐の方が上だろう。

 俺に求められるのは皐が安定して思考する環境を作ること。


 胆力があっても、いざとなった実力行使が考えられる男女では圧が違う。


「あとは……折れないことかな。これは二人だけじゃなく、私と寧々くんもだよ」

「折れない、ですか」

「八雲は器が小さいが、無能じゃない。頭もそれなりに回る。悪知恵だって働く。腕っぷしもそこそこだ。それを本人もわかっているから、威圧的な態度を崩さないだろう。特に見下している相手には、ね。だから気持ちで負けたらダメだよ。あっという間に呑まれてしまう」


 いいね? と念を押す明智先輩へ、三人で頷き返す。


「当面の方針は決まったかな。細かいところは私が詰めておくから、柏木くんと銀鏡くんは今日の夜のことに集中してくれ。気を重くする必要はないよ。なんたって勝ちが決まっている戦だからね」

「一泡吹かせてやりましょう! 寧々も頑張ります!」

「……重ね重ね、ありがとうございます」

「本当にそうだな。明智先輩……そして寧々も」

「困ったときはお互い様さ」


 こういうことをすっぱり言えてしまうあたりは、本当に頼りになる先輩だ。

 海老原にも頭が上がらないな。


 どこかで埋め合わせをしないと……いつか恩で着ぶくれしてしまいそうだ。


―――

今回で10万文字超えたみたいです。一区切りまでもうちょっと続くので、お付き合いいただけますと嬉しいです。

……なのでね! もしまだフォローとか★を入れてないって人は入れてもらえるとね……?

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