第18話 申し開きがあるなら聞きますが

 ぴぴぴ、と手元で鳴る体温計が示す37.5という表示を眺め、


「……風邪ひくなって口酸っぱく言われたのに、なんでこんなときばっかり風邪ひくんだか」


 自分に対しての呆れを滲ませながら呟いた。


 ずぶ濡れになって帰った翌日の朝。

 起き掛けで全身の倦怠感と喉の痛みを覚えたため、体温計で熱を測ってみるとこの通り。


 疑いようがなく、俺は風邪をひいてしまったらしい。


 原因は自覚している。

 昨日、雨でずぶ濡れになったからだろう。


 とはいえ帰ってすぐに風呂に入って身体を温めたし、腹を出して寝てもいない。

 俺に出来ることはしていたつもりだ。

 前後で過度に食生活が乱れていたわけでもないし。

 それでも風邪を引いたなら、運が悪かったと諦めるしかない。


「今日は休んでおくか。怠いし、熱っぽいし、他の人にうつしたら申し訳ないし」


 致し方ない自主休講を決定したところで、寝落ちしないうちに今日の講義を受け持つ教授へ休む旨のメールを送信。

 あまり休み過ぎると単位が危ういけど、俺は基本的にはちゃんと講義に出席しているから大丈夫……のはず。

 被っている講義のノートは皐に頼むとして――


「……絶対呆れられるだろうなあ」


 昨日、皐から風邪をひかないようにと念を押されていた。

 なのにこれでは皐に白い目を向けられても何一つとして反論できない。


 どうせ同じ講義があるのにいない時点で何かあったとバレる。

 近頃は友達としての連絡を取る頻度が増えた。

 だから俺がいないことに気づいた時点でメッセージを送ってくるかもしれない。


 ……そこまで気にしてもらえていたら嬉しいな、という個人的な希望的観測が含まれているのは認めよう。


「病院も行った方がいいんだろうけど……こっちでかかったことがないからなあ」


 これがただの風邪ならそのうち治る。

 でも、俺は医者じゃないから不確実な判断しか下せない。


 しかし、この体調で慣れない病院まで行け、というのも中々にしんどい話だ。


 どうしたものかと頭の中で天秤にかけ――


「……悪化したら、でいいか」


 ひとまず保留にして、怠さに抗いながら起き上がる。

 それから、ついぞ使う機会のなかった常備薬を置いている救急箱を探し当て、風邪薬を取り出して使用期限を確認。

 日付的にはまだ一年は余裕があったため一安心だ。


「ただ、何か食べた方がいいんだよな。食欲は……微妙だな。ちょっと食べるくらいなら何とかなるか?」


 薬を取ってきた足のまま台所を漁ることに。

 昨日の夕飯の残りはないし、米も炊いていない。

 となると残る候補は常備しているカップラーメンくらいだ。


 棚を覗いてみると無事にワンタンスープを見つけたため、湯を沸かして食べてから薬を飲んだ。

 思ったより食欲があったのは不幸中の幸いだ。


 あと、喉が痛いのもスープ系だったから何とかなったのが大きい。

 固形だったらこんなにすんなり食べられなかっただろう。


 風邪を引いた時のために常備しておくか……簡単に風邪ひくつもりはないけどさ。


「薬も飲んだし休みの連絡もしたし、とりあえず横になるか」


 熱のせいか起きているのがしんどい。

 一時間と経たずにベッドへ逆戻りだ。


 スマホをぼんやり眺めている間に段々と眠気がやってきて――



「…………誰、だ?」


 ピロン、と響く通知音で、俺の意識が現実へと浮上した。

 熱に浮かされ、ぼんやりとした思考。

 朝はなかった悪寒まで感じることから、体調が悪化しているのを自覚する。


 そんな中でもぞもぞと枕元に置いていたスマホを引き寄せて画面を確認。


 どうやら今は昼過ぎで、通知音の正体は皐からのメッセージだった。

 今さっき届いたのは『無事なら返事だけでもしてください』とあって、数時間前には『大学に来ていないのですか?』という確認の文言が並んでいる。


 大学に姿を見せていないだけで安否確認をされるとは思っていなかった。

 それだけで皐が相当心配していることがわかって、ありがたいやら申し訳ないやらで胸がいっぱいだ。


 とりあえず「風邪ひいたっぽいから寝てた」と送り、これからどうしようかと考え始めた直後、またしても皐からメッセージが届く。


『容体はどうですか?』


 端的な質問。

 皐は俺が風邪を引いたのは自分のせいだと思っているのだろう。

 しばし考え、メッセージのやり取りを続ける。


『ほどほどだ』

『嘘じゃないですよね』

『嘘をつく理由がない』

『だったらわたしが慧さんの家に伺っても問題ありませんよね』


「……はい?」


 思わず上げた声はかなり掠れていた。

 喉も結構限界らしいことを知るが、今は後回し。


 ……皐が俺の家に来る?

 なんで? どうして?

 そもそも皐って俺の家知ってるの? 知らないよね??


『なんでそんな話に?』

『一人暮らしなら買い物にも出られないでしょうから、わたしが様子見も兼ねて届けようかと思いまして』

『いや、いいって。買い物くらい自分で行ける』

『これはお二人から頼まれたことでもあるので、大人しく家の場所を教えてください』


 皐さん、さては俺の意見を聞き入れる気がありませんね?

 二人から頼まれたってところでごり押しする気満々だ。


 俺へ物資を届けると言って家の場所を聞きだそうとしても教えないと思ったのだろう。

 会えば皐に風邪を移してしまうかもしれない。

 物資を受け渡すだけで大袈裟な、と思うかもしれないけど、それ自体は建前。


 本音は……正直、怖い。


 なんたって俺は皐から風邪をひかないようにと念押しされていたのに、見事に風邪をひいてしまった。

 しかも症状をほどほど・・・・と伝えている。

 自認としては間違っていないけど、それを皐が信じてくれるとも思えない。


 ……とか考えている時点で症状の度合は嘘だと白状しているようなものか。


 まあでも、物資を届けてくれるという申し出自体はありがたい。

 とてもじゃないけどこの体調で買い出しに出るのは厳しい。

 出先で倒れたら大惨事だ。


 物資だけを受け取る形なら風邪を移す可能性も低いか。

 茶の一つも出せないのは心苦しいけど、そもそも皐をこの部屋に招き入れるのが恐れ多いし気まずい。


『すまん、頼む』


 皐も本当に物を届けるだけで、部屋に上がっていくつもりはないだろう。

 そう思って皐へ家の住所をマップ付きで送ると『ありがとうございます。夕方伺います』とすぐさま返答があった。


 夕方か……起きてるかな。

 流石にインターホンが鳴ったら起きると思うけど、と頭の片隅にメモを残しておく。


 食欲もなかったため、また寝ることにして――ピンポーン、というインターホンの音で再び目を覚ます。


 背中に滲む汗の気持ち悪さと、体温の高さに相反する悪寒を覚えながらもなんとか起き上がり、ふらつく足で皐を迎えに玄関へ。

 ドアを開けると視線な空気が流れ込み、まだ明るい空を背にしてマスクをかけた皐が立っていた。

 右手には俺のために買ってきてくれたものが入ったビニール袋を提げている。


「慧さん、必要そうなものを届けに――って、大丈夫ですか?」


 皐は俺の顔を見ると、露骨に心配そうな雰囲気で声をかけてくる。

 声が妙に耳に入ってこないのは俺の体調が悪いせいだろう。

 しかもなんか、視界がぐにゃっとしているみたいな……


 なんて思っていると、身体がふらついてしまう。

 しかしなんとか壁を支えにすることで持ち直し、息をつく。


「慧さん。今、倒れかけましたよね?」

「……ちょっと立ち眩みがしただけだ。寝起きだし」

「立った直後なら立ち眩みで合っていますが、今のは眩暈です――と、そんなことを言いたいわけではありません。体調、相当悪いですね?」


 少しだけ、皐の声音が刺々しくなる。


「……別に嘘はついてないぞ? 連絡した時はほどほどだったからな」

「強がる必要がどこにあるんですか、全く。仮に連絡した時はもっと体調がよかったとしても、今の慧さんはわたしが見過ごせないくらい体調が悪いように見えます」

「……これくらいどうとでもなる。皐はうつる前に早く帰った方がいい。色々買ってきてくれてありがとな」


 とりあえず皐から袋を受け取ろうと手を伸ばすが、渡してくれない。


 なんとなく顔を上げる気になれなかったが、仕方なく皐の様子を窺うと、馬鹿を見るようなジト目が向けられていた。


「…………あのですね。風邪を引いた原因の一端はわたしにあって、ここまで体調の悪い慧さんを目の当たりにしたのに大人しく物だけ置いて帰ると思いますか?」

「風邪を引いたのは俺の体調管理が悪かっただけだし――」

「屁理屈はいいです。中、入りますからね」


 皐がそう言うと、俺が止める間もなく玄関へ踏み込んでくる。


 いや、いやいやいや。

 俺は物だけ貰えばどうとでもなるのに――


「申し開きがあるなら聞きますが、なにか?」

「……ありません」


 絶対に退かないという意思を見せつけてくる皐を追い返せるわけもなく、皐が入ってからドアが閉まるのだった。


―――

意外と強引だし断れないのも仕方ない(仕方ない)

ちなみに普通に書けてないので数日したら毎日更新が切れる可能性が微レ存(努力はする)

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