第17話 おかんみたいな

「――では、これで講義終了とする」


 昼前の講義が終わったところで、まずはその場で伸びを一つ。

 どうにも身体が凝っている感じがするのは、朝から感じていた視線のせいだろうか。


 原因は……わかりきっている。


「柏木さん、疲れていそうな顔をしていますね」


 真隣からかかる、もはや聞き慣れてしまった銀鏡の声。

 微かに笑っているような雰囲気を感じるのが、なんとなく新鮮だった。


 今朝がた名前で呼ぼう、という話になっていたのに「柏木さん」と呼んでいるのは、大学では注目を集めてしまうから――というのが一つ。

 他にも単純に慣れていなくて気恥ずかしかったのもある。

 そのため名前で呼び合うのは二人でいるときだけ、ということになった。


「……精神的にって意味なら間違ってはいないな。だってほら、今もめっちゃ見られてないか?」

「けれど、他人を気にして友達と楽しく過ごせないのは本末転倒だと言ったのは柏木さんですよ。これもその延長です。友達と並んで座って講義を受けるのは、とても自然なことでしょう?」


 というのが銀鏡の言い分であり、一般常識に照らし合わせると反論の余地は一切ないことは俺もわかっている。

 それに俺が言い出したことでもあるために、断るのは違うという判断になり、朝の講義から銀鏡と並んで受けていた。


 そうなると当然のように周囲からは注目される。

 その上、銀鏡が俺のことを誤魔化すでもなく『友達』と呼んでいるのも耳に入っているだろう。


 それでも直接言いがかりをつけてくる奴がいないのは、先日の一件があるからか。


 ……などと考えてみたものの、俺の中ではどちらがいいかなんて答えは既に出ている訳で。


「ま、こうなるなんてわかりきってたわけだし、銀鏡が気にする必要はない」

「では、このままお昼もご一緒にどうですか?」

「いいぞ。食堂? それとも外?」

「食堂にしましょうか。柏木さんの懐事情も考えなければいけませんし」


 銀鏡のそれは奢る気はない、という意思表示。

 裏を返せば友達としての付き合いを望んでいるわけで。


「だったら二人も誘ってみるか? 多分飛んで来るぞ」

「そうしましょうか。ご飯は誰かと食べる方が美味しいですし」


 話が纏まったところで早速四人で作ったメッセージのグループで招集をかける。

 するとすぐさま既読と返事がついた。


「明智先輩がもう席取ってるから来て欲しいってさ」

「もしかするとタイミングが被ったのかもしれませんね。わたしたちからすると好都合ですが」

「遅れないように行くか」



 ◆



 多数の視線に晒されながらも四人で楽しく昼を過ごし、午後の講義を終えたら皐との約束の時間だ。

 幸いなことに雨は止んでいたが、一雨来そうな曇天は継続中。

 降らないことを祈りながら皐が事前に調べていた猫カフェへ到着する。


 チリンチリン、とドアに取り付けられたベルが鳴り、どこからともなく「にゃー」と猫の鳴き声も聞こえてきた。


「いらっしゃいませ、二名様ですね。こちらへどうぞ」


 店員さんの案内で席へ向かう間に、何匹もの猫が後を着いてくる。

 白、黒、茶色と色んな猫がいたけど、人馴れしていることが一目でわかった。


 ひとまず席に着いてからメニューを貰う。

 けれど、露骨にそわそわとした雰囲気を漂わせていた皐が店員さんへ尋ねる。


「……猫さんには触っても大丈夫ですか?」

「もちろん大丈夫ですよ。大きな声や音を出さないようにしていただけると助かります。猫ちゃんたちが驚いてしまうので」


 店員さんからの注意も受けたところで、皐が足元で目を細めて香箱座りをしていた茶色い猫へ恐る恐る手を伸ばす。

 そっと頭に触れると、猫も気づいたのか僅かに目を開いて見せる。

 けれど反応はそれだけでじっとしていたため、皐は続けて背を撫でた。


「どうだ?」

「……ふわふわで、温かくて、なんでしょう。すごく、いいです」


 試しに感想を聞いてみれば、皐らしくない抽象的なものが返ってくる。 

 でも、それが逆に皐の感動をわかりやすく伝えてくれた。


「慧さんも触ってみてください」

「そんな焦らなくても猫は逃げないって」


 と言いつつ、俺も足元に寄って来ていた猫を撫でてみる。

 すると手に身体を擦り合わせてきて「な~」と人恋しそうに鳴く。


 ……膝に乗せたりとかもできるか?


 などと迷っている俺を差し置いて、皐は早くも猫を膝に乗せながら満足そうな表情で撫でまわしていた。

 完全に緩んだ表情。

 猫の方もまんざらではないようで、完全に皐へ身を委ねている。


「楽しんでるみたいだな」

「……らしくない、って思いますか?」

「全然? そのために来てるんだから」


 話している間に、撫でていた猫が膝に飛び乗ってくる。

 腹に頭を擦り合わせてきて、我が物顔で「な~」と鳴く。


 撫でろってことか?

 試しに撫でてみると正解だったらしく、すぐに膝の上で丸まった。

 その後も喉元を撫でればゴロゴロと心地よさそうに喉を鳴らす。


 ……ほんとに大人しくて可愛いな。


「……どうしましょう、慧さん。頬が緩むのを止められそうにありません」

「いいんじゃないか? どうせ俺と他の客と、猫くらいしかいないわけだし」

「…………慧さんに見られるのが恥ずかしいと言ったつもりなのですけど」

「言いふらしたりはしないって。俺もそこそこにやけてる自信があるからお相子じゃダメか?」

「なら、保険をかけておきましょう」


 保険? と疑問に思ったのも束の間、皐が俺にスマホを向け――カシャ、と控えめなシャッター音が響く。

 写真を撮られたのか?

 驚いたのは俺だけで、猫たちは微動だにせず撫でろと催促するように「な~」と一鳴き。


「もしも慧さんがわたしのことを言いふらしたら、この写真をばらまくので」


 皐が今しがた撮った写真を俺に見せてくる。

 映っているのは冴えない男子大学生が猫を撫でながら薄く笑う姿。

 毒にも薬にもならない……いや、ちょっと恥ずかしいけど、それだけだ。


「……脅迫の材料としては弱すぎないか? 需要があるとも思えないし」

「明智さんや海老原さんは欲しがると思いますよ。こんなによく撮れています」

「イケメンでもなんでもない男の写真の価値なんて大したことないだろ。皐なら別だったかもしれないけど」


 そこで俺もスマホを取り出して皐へカメラを向ける。

 あ、と皐の表情が固まるも、問答無用でシャッターを切った。


 猫を膝に乗せたままの皐。

 完全オフとわかる雰囲気のそれは、大学で絶対に目にすることのない表情だろう。


「これで条件は平等だな。俺の写真を消してくれるならこれも消そう」

「……慧さん、女性を無断で撮るのはどうかと思いますよ」

「先に無断で写真を撮ったのはどこの誰だったかな」


 こればかりは言い返させてもらうと、皐が目に見えて口先を尖らせる。

 正当な反論だとわかっているのだろう。


「…………慧さんの言う通りですね。では、消してくださいとは言いません。他の人に見せなければいいです」

「いや……俺としてはお互い消した方がありがたいんだけどな。皐の写真を持ってるとか、気が気でない。人によっては爆弾みたいなものだろ?」

「撮ったのは慧さんなのにその言い草はないと思います」


 今度は不満げなそれへと表情が一変する。

 俺もこんなことは言いたくないけど……危険物なのは事実じゃないか?


 非公式ながら大学一の美女に選ばれた皐のオフショットの価値は計り知れない。


 それこそ皐を好きな連中ならいくら払っても欲しいものじゃないだろうか。

 皐との信用関係を崩したくはないから売らないけど。


「……ですが、撮るなら撮ると教えてください。心の準備が必要です」

「撮るな、とは言わないんだな」

「わたしも慧さんを撮れば条件は同じなので」

「俺なんて撮っても面白みがないぞ?」

「わたしは楽しいので無問題です」


 なんて言って、またしても俺を撮る。


 ……まあ、写真を撮られるくらいはいいか。

 皐ならああだこうだと言っていても悪用はしないだろう。


「それにしても……実物の猫はやはり可愛いですね。野良猫を見る機会はありますが、近づくと警戒されているのか逃げてしまいますし」

「こういうとこの猫は人馴れしてるからな。だからといって飼おうにも色々手間がかかるし」

「責任問題もありますからね。わたしは自分自身のことで手いっぱいですから、多分飼うことはないと思います。それに……もしも死んでしまったら、お別れするのが辛いですし」


 猫のことを話しているとは思えないほど悲しげな雰囲気が皐から漂ってくる。


 長い間一緒に過ごしたペットはもはや家族同然。

 それが死んでしまったら悲しい思いをするに違いない。

 世の中にはペットロスなんて言葉もあるくらいだ。


 ……なんとなく皐の事情が透けて見えた気がしたけれど、今のところは目を逸らしておく。

 皐にも話すつもりはないだろうし。


「猫を愛でるのもいいけど、一応ここって猫カフェなんだよな?」

「……すっかり忘れていましたね」


 メニューだけを引っ張ってきて、それぞれ飲み物とケーキセットを頼む。

 こんな状態でも店員さんは当たり前のように注文を受けてくれる。

 待つ間も猫と戯れたり皐と写真を撮り合ったりして過ごし、ケーキが届いてからはそれを食べつつ猫を愛でる時間が続く。


 そんなこんなで一時間ほど猫を堪能したところで皐も満足したため、今日は解散となったのだが――


「……雨、わたしたちが猫さんと戯れている間に酷くなっていたんですね」


 外に出るなり俺たちを待ち受けていたのはざあざあという雨音。

 傘が役に立たないのではと思うほど勢いのある横殴りの大雨だ。

 道路にはもう大きな水たまりがいくつも出来ている。


「数分で帰れるとはいえ、濡れないで帰るのは無理そうだな。」

「止むのを待つ、という選択肢もありますが……」

「雨宿りの場所を探すまでにずぶ濡れだろ、これ」

「であれば、諦めるしかなさそうです。どうせ濡れても家に帰るなら、すぐにシャワーを浴びるなりなんなりできますし」


 それもそうか、と皐の意見に賛成し、傘をさして歩き出す。

 が、想定以上に雨脚が強く、既に服が濡れてしまっていた。


 これ家まで持つか……? と思ったのも束の間、車道を勢いよく走ってくる車が見えた。

 しかも丁度、俺たちの横には水たまりがあって。


 先の展開が読めてしまった俺は一瞬だけ考え、車道と皐の間に自分の身体を滑らせる。

 そして車道側へ開いた傘を傾け、皐を隠す。

 隣では皐が一体何を? と言いたげな目を向けていたが――次の瞬間、車が走り抜けたことで上がった水飛沫が傘と俺へ降りかかった。


 傘である程度は防げるかと思っていたのに、上半身がずぶ濡れだ。


「慧さんっ」


 焦った風な皐の声。

 近場の屋根があるところへ腕を引かれ、間髪入れずに皐が鞄から取り出したタオルを頭へ被せてくる。


 自分のそれとは違う柔軟剤の匂いがするタオル。

 皐が、俺の頭を丁寧に拭いていた。


「朝に使っていたもので申し訳ありませんが……あなたという人は、どうして後のことを考えないのですか。わたしを濡れないようにと気遣った結果なのは理解していますが、あなたがずぶ濡れになっていい理由にはなりません」


 まるで子どもに言い聞かせるかのような声音。

 視界はタオルが埋め尽くしていたため、皐の表情は窺えない。

 でも、多分ちょっと怒っている、気がした。


 皐のそれを突っぱねるのは簡単だ。

 けれど、気遣いを無碍にする気にはなれず、大人しく拭かれることにする。


「……ですが、ありがとうございます。慧さんのお陰でわたしは無事です」


 ひとしきり拭き終わったのか、やっと俺の頭が解放された。


 改めて向き合った皐は、仕方なさそうに笑っていた。


「慧さん、早く帰りましょう。濡れたままでは風邪をひいてしまいますから」

「わかってるよ。でもまあ、数年は風邪ひいてないし大丈夫だろ」

「なんですかその謎の自信は。帰ったらちゃんとシャワーを浴びるなりお風呂に入るなりして、温かくして過ごしてくださいね?」


 心配は嬉しいけれど……おかんみたいな雰囲気を感じたのは、伝えないことにした。


―――

昨日は色々温かい感想ありがとうございました……自信/zeroの原因は多分暑さと低気圧……のはず。

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