第16話 わたしに全部押し付けようという魂胆ですか

「はーっ……こんな朝から大雨とか、梅雨本番って感じだな」


 週明け、月曜の朝。

 今日は朝から空が泣いているみたいな土砂降りだった。

 傘をさして徒歩数分の駅まで向かうだけでも横殴りの雨粒が身体を叩いて、かなり濡れる羽目になった。


 なんとなくこうなりそうな予感はしていたため、ビニール傘を畳んでから持ってきたタオルで濡れた頭や服を拭き、ため息をつく。


 今後はこういう日も多くなるだろう。

 年々梅雨が短くなっている気はするけど、降ってしまえばこの通り。


 普通に出歩くなら合羽の方がいろいろ気にしなくていいものの、電車に乗ることを考えると傘の方が楽だ。

 周りの人がずぶ濡れだと巻き添えで濡れるからあまり意味がない。


 まあ、こればかりは仕方ない。


 応急処置を終えたところでホームへ向かい、電車を待つことに。

 今日は二限からで通勤ラッシュの時間帯からはズレているため、ホームは比較的落ち着いている。

 これなら席も取れそうだな、と思っていると、


「おはようございます、柏木さん」


 不意にかけられた声。

 驚きながらも振り向くと、銀鏡の姿がすぐ隣にあった。


 ……が、銀鏡も例に漏れず、雨に濡れているようだった。

 しっとりとした長髪。

 服も肩のあたりが透けていて、色のついた紐が見えてしまっている。


 一瞬だけ見てしまうも、すぐさま意識を逸らして「おはよう」と返す。

 銀鏡は気づいていない……気づいていながら意図的に無視しているのか。


「すごい雨ですね。梅雨本番ということでしょうか。たった数分歩くだけでこんなに濡れてしまいました」


 そう口にしながら肩を撫でる銀鏡。

 ……やっぱりわかってないのか?


 これ、一応言っておくべきだよなあ。


「銀鏡。言いにくいんだけど……肩、透けてるぞ?」

「え――」


 何を言っているんですか、と言いたげな表情のまま銀鏡は自らの肩を再度確認し、表情が固まった。

 多分、どうなっていたのか自覚したのだろう。

 顔をじんわり赤く染めながらも、銀鏡は鞄からタオルを取り出して肩を隠すように掛けた。


「……柏木さん、ご指摘ありがとうございます」


 そして絞り出すかのように銀鏡が礼を言うも、羞恥を感じているのは見て取れた。

 被害拡大を防げてよかった半面――俺が指摘したということは、それを見てしまっていたことが銀鏡にも伝わるわけで。


 じっと、何か言いたげな視線が刺さる。


「いや、あの、忘れる努力はしますので」


 しどろもどろになりながらも口にすると、銀鏡は呆れた風にため息をついて。


「怒っては、いません。気づかなかったわたしの落ち度です。これで柏木さんを責めるのは理不尽というものでしょう」

「……そりゃありがたいが」

「…………とはいえ、見たものは忘れていただけると助かります」

「当然」


 こくり、頷く以外の選択肢はない。


 しばし、沈黙が間を満たし。


「……ところで、銀鏡」

「なんでしょうか」

「大学では関わらないって話じゃなかったか?」

「あのお二人にわたしたちが友達だと話を通してしまったため、状況が変わりました」

「……理解したわ。大学では関わらないのが不自然に映るって話だろ?」

「理解が早くて助かります。一番避けるべきは違和感からわたしたちの本当の関係が露見すること。代わりに少々・・注目されると思いますが、諦めていただけると助かります」


 銀鏡は簡単に言うけど、少々で済むはずがない。

 食堂の一件の翌日ですらあんな絡まれ方をしたからな。


 悪評を振り撒かれた俺が銀鏡と一緒にいるってだけで、そういう奴らは好き放題言ってくる。


 俺も銀鏡も、何一つ悪いことなんてしていないのに。


 そんな連中の思惑に乗っかって、銀鏡と距離を置く必要が本当にあるのか?

 俺たちの間にある関係が、本当にただの友達だとすれば――


 銀鏡が申し訳なさを示すように目を伏せ、


「……それとも、柏木さんは嫌ですか? わたしと、大学でも友達として振る舞うのは」


 そんなことを聞いてくる。


 意識から遠ざかる雨音。

 電車を待つ人の喧騒から浮かび上がるかのように、その声だけがすんなり耳に届く。


 前髪で隠れた銀鏡の表情。

 それが見えなくとも、どんな表情をしているのか容易に想像がついた。


「そんな当たり前のこと聞くな。嫌なわけないだろ? その他大勢を気にするあまり友達と楽しく過ごせないとか本末転倒だ」


 だからこそ、何も気負わず言ってやる。


 お一人様に慣れ過ぎた銀鏡には、これくらい直球なのが丁度いい。


 銀鏡が、顔を上げた。

 色んな感情がないまぜになったような表情で、何を考えているのか判然としない。

 けれど真っすぐに俺を射抜く眼差しが、一つの感情だけを明確に伝えてくれる。


「俺たちは友達なんだろ? 疚しいことは何もない。部外者に咎められるようなことも、な」

「――そう言っていただけると、とても嬉しく思います」


 表情を緩め、笑みを浮かべる銀鏡。


「天気も表情も、曇っているより晴れていた方がいいな」

「……揶揄われていますか? わたしだって笑うことくらいあります」

「揶揄ってなんかいないぞ。本心だ。銀鏡くらいの美人なら、笑顔が似合わないなんてあり得ないし」


 いつもならここまで直接的に褒めることはないけど、らしくないセリフを言ったからか変な恥ずかしさを感じていた。

 身体が熱いのも気のせいじゃない。


 それを銀鏡に悟られないように繕っていたが、銀鏡にも違和感があったのだろう。

 俺を数秒ほど注視し、それからなるほどと何かを察したかのように頷いて。


「なるほど、わかりました。柏木さんなりの照れ隠しですね? わたしに全部押し付けようという魂胆ですか」

「そこまでは流石に」

「冗談ですよ」


 なんて言って、またしても銀鏡は口元に手を当てて笑った。

 それを見て俺も笑ってしまう。


 ただ友達と話すだけなのに、こんなに楽しいと思えるのは、互いの間にある種の信頼があるからだろう。


「では、柏木さん。これからは大学でも、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく」

「……ところで話は変わりますが、次はいつ時間が取れそうですか?」

「午後の遅めの時間でいいなら今日も大丈夫だけど」

「では今日にしましょう。実は猫カフェに行ってみたくて。アレルギーなど問題がなければ、ですが」

「アレルギーはないけど……猫が好きなのか?」

「飼ったことはありませんが好きですよ。時折SNSで写真を眺めているのですが、ちょっと興味が出てしまいまして」


 銀鏡が猫好きなのは意外……でもないか。

 女性は可愛いものが好きって聞くし、猫は可愛い。


「了解だ。二人は誘うか?」

「わたしたちだけで行きましょう。突発的な予定ですので」

「あの二人はそんなこと気にしないと思うけどな。てか、その理屈だと俺はいいってことにならないか?」

「柏木さんとはそういう契約ですから」


 それはそれ、これはこれというやつらしい。


 互いに改まった礼をして、急に難しい顔になる銀鏡。


「……柏木さん」

「ん?」

「実はこの間、メッセージで明智さんとお話ししているときに、友達同士ならば名前で呼び合っていても不思議ではないと言われまして」

「…………ふむ?」


 急に風向きが変わったな?

 続きを察した俺は否応なしに緊張する。


 一方で、銀鏡は照れくさそうに表情を赤らめていて。


「ですから、その……なんと言いますか」


 珍しく煮え切らない銀鏡の態度。

 視線を右往左往させ、それからこほんと咳払いを一つ挟んで。


「……慧さん、と呼んでもよろしいですか?」


 縋るような目で見られては、是非はなかった。


 是非はないのだが――


「……なんかこっぱずかしいな」

「言わないでくださいっ! わたしも、わかってるので」


 必死に顔を背ける銀鏡。

 その横顔が、隠しきれないほど赤くなっていたのはご愛敬だ。


 ところで、ここに一つの疑問が浮かぶわけで。


「俺も銀鏡のことを名前で呼んだらいいのか?」

「……ええと、そうしていただけるのであれば」

「じゃあ………………皐」


 その三文字を口にしてから、気付く。


 なんだろう、これ。

 ただ名前を呼ぶだけのはずなのに、ものすごく覚悟を必要とするような。


 そんなはずはないとわかってる。

 名前を呼ぶなんて、関係を深めた間柄ではありふれた行い。


 なのに、それを銀鏡――皐と共有していることが、上手く飲み下せない。


 喉に物がつっかえたような感覚を味わいながら皐とじっくり見つめ合うこと数秒。


「……ふふっ」


 均衡を崩したのは皐の笑み。

 つられて俺も笑えば、いつもの空気へと戻っていた。


「なんだか新鮮です。名前を呼ばれるなんて、それこそ年単位で久しぶりだったので。これまでは友達もいませんでしたし」

「……名前くらいで大袈裟な」

「普通の人が当たり前のように作っている友達――それは、私にとって当たり前ではなかったんです。きっかけはあなたですよ、柏わ……慧さん」

「それを言ったら俺もあの『銀姫』様と友達になって、あまつさえ名前呼びとか一月前の自分に教えても嘘だって一蹴されるぞ?」

「かもしれませんね。ですが、案外この世界は奇跡的な偶然の上に成り立っているんだと思いますよ」


 わたしたちがあの日、バッティングセンターで出会ったように、と付け足して、銀鏡は淡く笑む。


 思わず鼓動が早くなるような笑みが、どうにも意識から外せなくて。


 そうだな、と返すので精いっぱいになりながら、電車の到着を待つのだった。


―――

急に自信/zeroになってしまったため途中で更新止まったらごめんよ;;

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