第27話 寂しがり屋なんですね
「ここ、だよな」
「ですね。住所も、店名もあっています」
俺と皐は八雲先輩からの招待状に記されていた時間の少し前に、指定されていた高級焼肉店の前へと到着していた。
完全予約、個室制を謳うここは、皐に連れて行ってもらった場所よりも値段的には上らしい。
おまけに紹介がなければ入れないらしく……VIP専用という言葉が似合うお店である。
だから八雲先輩は俺たちに招待状を出してきた。
自分の権力と、財力をこれ見よがしに示すために。
二度ほど皐と一緒になって確認し、間違いないと確信してから中へ。
ただの飲食店とは思えないほど恭しい店員さんへ八雲先輩の名前を出すと「承知いたしました」と部屋へ通される。
黒い壁に囲まれた、橙色の照明が程よく照らす個室。
席はちょうど四人分だが、広々と座れて荷物置きも完備されている。
テーブルの中央には網をかけられた焼き機が埋め込まれていて、既に何枚かの赤々とした肉が油を弾けさせながら焼かれていた。
つまりは――もう、お相手も到着している訳で。
「来たか、お前ら。先に始めさせてもらってるぜ」
「逃げないで来たことだけは褒めてあげる」
並んで座る八雲先輩と更科。
八雲先輩は表面上、友好的に見える表情を浮かべている。
若干見た目が派手なことを除けば、紛れもなく好青年のそれだ。
しかし、腹の中まで同じとは限らない。
更科はふん、と威勢よく鼻を鳴らして嗜虐的に笑う。
虎の威を借るなんとやら、だ。
今は八雲先輩が隣にいるからか、態度が露骨に酷い。
「まあ、とりあえず座れよ。お前らも好きに注文してくれ。支払いは全部俺持ち――貧乏人は一生味わえない超高級肉だぜ? 俺の気前の良さと幸運に死ぬほど感謝して、咽び泣きながら食うんだな」
手渡される黒革で覆われた冊子……恐らくはメニュー表だろう。
だが、それを俺も皐も受け取らない。
「……へぇ。貧乏人にも、貧乏なりのプライドはあるってか?」
感心したように八雲先輩が眉を上げる。
口角も吊り上がり、肉食獣を髣髴とさせる笑みへ。
「俺たちは会食じゃなく、対話をしに来た」
「あなたが店側と結託して妙なものを混ぜ込まない保証もありませんし」
「生意気ねぇ、アンタたち。大人しく乞食しとけばいい思いが出来たのにさ」
「そういうことなら仕方ねえなあ。でもま、俺らは遠慮なくやらせてもらうぜ」
楽しそうに焼いていた肉をトングでひっくり返す。
じゅわと鳴る油が焼ける音。
広がる肉の匂いが食欲を否応なしに刺激してくる。
……これに耐えながら対話って辛くね?
もはや一種の精神攻撃だろ。
心の中で必死に頭を振り、冷静さを取り戻してから、
「八雲先輩、単刀直入に訊かせていただきます。――あんな噂を流したのは俺から銀鏡を引き剥し、俺を貶め、その後で銀鏡を自分のものとするためですか?」
直接的な言葉で真意を探る。
返答は……喉を鳴らしての笑い声。
そして、傲慢極まる表情を浮かべ、自信に満ちた眼差しが俺たちを映す。
「おいおい、勘違いしてもらっちゃ困るな。俺は俺の女を悲しませたやつが許せねえだけだぜ?」
「……あくまで柏木さんが浮気をしていた体で話を進めるつもりですか」
「事実を言って何が悪いのよ。キスまでしてたんだから確定でしょ!」
「それを言うなら先に浮気をしたのは更科で――」
「証拠はあんのかよ。言いがかりは良くないぜ? エビデンスがねえと、社会じゃ誰も信用してくれねえからな」
既に勝ちを確信しているのだろう。
あの写真が証拠になると本気で思っているのか、証拠なんてあってもなくても変わらないからか。
しかし――八雲先輩の言い分も一面では正しい。
証拠がなければ更科が先に浮気をしていたとしても、証明が出来ない。
対して俺たちは証拠に成り得る……悪意を持って切り取れる素材を握られている。
「招待状にも書いてたと思うが、俺たちはもう弁護士を雇った。親父お抱えの、優秀な弁護士だ。遊花の名誉を守ると約束してくれたぜ? お前らの負けは決まってんだよ」
「そうよ! 拓哉くんは頼りになるの、誰かさんと違ってね」
「だがまあ、俺だって鬼じゃねえ。赦しを請い、媚び諂う奴へかける恩情くらいは持ってる。お前らの態度によっちゃあ、示談を考えてやらんこともない」
焼き上がった肉を取り、たれにつけて食べてから指を立てる。
「示談の条件はこうだ。一つ、遊花を傷つけたことへの謝意を示してお前……えっと、名前知らねえや」
「柏木よ、柏木」
「そんな名前だったか。ともかく、お前が直ちに退学すること」
「それはあまりにも――」
「銀鏡、いい。聞くだけ聞こう」
声を荒げかけた皐を制すると、再び八雲先輩が口を開く。
「二つ、慰謝料を支払うこと。浮気の慰謝料は貧乏人にはそれなりの額だから覚悟した方がいいぜ?」
「あたし、凄くすごく傷ついたんだから。本当はお金なんかで解決できないけど、仕方なくお金で手を打ってあげるって言ってるの。優しいでしょ?」
「三つ、金輪際お前は俺たち、並びにその女へ近づかないこと」
「あたしを捨てた男と奪った女が幸せなんて耐えられないから当然ね」
「以上が示談の条件だ。即決で受け入れるなら慰謝料は少しくらいまけてやってもいいぜ?」
挑発的な態度なのは、俺たちが絶対に受け入れないとわかっているからだろう。
それでいて、受け入れるならそれでもいいという意思の表れ。
内容を今一度、頭の中で反芻する。
示談の条件は俺の退学、慰謝料、皐との絶縁。
「無理ですね」
「わたしからもお断りさせていただきます」
「そりゃあ残念だ」
全く残念そうじゃない表情でよく言う。
「交渉決裂、だな。悪く思うなよ? 全部お前が悪いんだぜ、柏木」
「……そうですか。では、俺たちはこれで」
「もし気が変わったら招待状の連絡先に送ってくれや。お前ら二人の総意でも、どっちかの身勝手な決定でも、俺としては大歓迎だ」
明らかな挑発には乗らず、俺と皐は席を立つ。
ここで二人に俺たちも準備を進めているのを親切に教える必要はない。
強引な手段に出られるときついのはこっちだ。
対抗できるようになるまでは時間を稼ぐ必要がある。
「残り少ない大学生活を精々満喫するんだな」
「あ~かわいそ~。将来性のない柏木なんかに手を出したことを悔やむのね、銀鏡さん?」
ぴたり、ドアを潜りかけていた皐の脚が止まる。
皐から表情が無くなっていた。
俺も初めて見る表情ながら、怒っているのだと一目でわかった。
ここで言い合いになるのはまずいと瞬時に察し、強引に皐の手を引く。
すぐに不満そうな視線を向けられるも、黙ってついてきてくれるあたり、冷静さが残っていて助かった。
店も出ると、夏間近を感じさせる生暖かい夜風が頬を撫でる。
あまり心地いいとは言えないけど、あの部屋の空気を払拭するべく息を吸い込み、身体を伸ばしながら吐き出した。
「はー……なんとか切り抜けたって感じだな」
「好き放題言わせただけ、とも言いますが。わたしは消化不良です。言ってやりたいことが山ほどあったのに」
「言質を取られるからそういうのは無しって話を合わせたはずだけど?」
「そうですが……」
自分の行いを振り返ったのか、徐々に皐の勢いが萎んでいく。
でも、気持ちは痛いほどわかるから責められない。
「皐は俺のために怒ろうとしてくれたんだろ?」
「……友達のことを悪く言われれば、誰でも腹が立つと思います。慧さんだって、部屋にいる間は凄い顔でしたよ?」
「…………凄い顔ってどんな? 自覚なかったんだけど」
「例えるなら能面みたいに表情が抜け落ちていて……それが逆に怒っているんだって伝わってきました。違うんですか?」
「怒りが行き過ぎると表情が消える人の話はそれなりに聞くし、そうだったのかな」
まあ、なんだっていい。
目的は果たした。
「皐はどこまで本当だと思う?」
「嘘はないと思いますよ。不自然な点は感じられませんでした。ですが、全てを話していると信じる根拠にはなり得ないかと」
「だよなぁ。皐へ向けた条件が絶縁以外になかったのは意外だった」
「本当に興味がないのか、あるいは更科さんの前だから口にしなかっただけか」
見栄を重視する八雲先輩なら、仮にも彼女である更科の前で他の女性を口説くような真似はしないか。
皐へ何らかの感情を抱いているのなら、今後接触してくるだろう。
恐らく人の目がない場所かつ、一人の皐を狙って。
「お互い油断せず、何かあったらすぐ相談だな」
「なるべく学内でも一緒にいた方がいいでしょう。色々騒がれると思いますが……もしもの可能性を排除するのが優先です」
「俺の方こそ迷惑をかける。色恋の関係じゃないのに騒がれるのは本望じゃないだろ?」
「原因の一端はわたしにもありますから。それより……夕食もどこかで食べていきませんか?」
「賛成。どうにか部屋にいる間は耐えたけど、あの匂いは暴力的過ぎる」
「では、今日は焼肉にしましょうか。ここほど高いところではありませんけどね」
「値段=美味さじゃないし、俺からしたら肉を食えるだけで大満足だ。それに、友達と楽しく食べたらもっと美味いだろ?」
奢られている身で何を言うかって感じだけど、こればかりは真実だ。
「わたしも一人より二人で食べるご飯の方が美味しいと思います」
「でも、部屋で一人で食べてるときに若干の物足りなさを感じるようになってきたんだよなあ」
「寂しがり屋なんですね」
「……どうだろうな」
―――
(自分が一緒にいたいと思っていることに気づいてない顔)
(そういうとこだぞ)
(お前
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