第8話 悪くない、と思います

「――にしても上手かったな、銀鏡の歌」

「そう言っていただけると安心しますが、褒めても何も出ませんよ」

「相当いい飯は出てきてるけどな」


 二時間ほどカラオケで点数対決をした後、俺は銀鏡に連れられて個室の焼き肉店へ来ていた。

 たまの贅沢で来る食べ放題とは違う、明らかに一つ二つは値段が上の店。

 店の雰囲気もシックな感じで焼き肉店とは思えない。


 ……事前に夕飯も行くとは聞いていたけど、まさかこんないい店だとは。


「普段からこんなに高いお店ばかり来ている訳ではありませんよ。今日はたまたま気分だったのと……わたしと契約しているメリットを示すためです。柏木さんを懐柔するため、とも言い変えられますね」

「申し分ない懐柔策だな」

「好きなものを注文していただいて大丈夫ですからね。変に遠慮されてはわたしもやりにくいですし」


 そう言いながら銀鏡がテーブルでメニュー表を広げる。

 俺も覗き込んで――


「たっっっっか」


 値段を見て、思わず声が出てしまう。


 え?

 俺が知ってる焼肉より倍以上高いんだけど?


「平均的なお店よりは高いかもしれませんね」

「……なんで銀鏡はそんなに平然としていらっしゃる?」

「払うのはわたしで値段は織り込み済みですし、このくらいは許容範囲です」

「大学生の金銭感覚じゃないと思うんだが」

「普通の大学生のそれとはかけ離れていることくらいわかっていますよ。ですが、今は話す必要はないと思います。楽しい内容でもありませんし」


 銀鏡の表情が僅かに曇る。

 悲しげな、憂いを伴った目。


 それだけのお金を手にする過程で何かあったのだろう。


 その年齢で多額のお金を手に入れられる方法は限られている。

 宝くじで大当たりしたなら、もっと楽しそうな顔をするはず。

 銀鏡も楽しい内容ではないと言っていたことから――いや、余計な詮索はよそう。


 誰にでも秘密にしたい過去はあるだろうし、大した関係でもない俺へ話すようなことでもない。


 俺へ求められる役割は都合のいい遊び相手。

 立場をわきまえるべきだ。


「やはり柏木さんも気になりますか?」

「……気になるか気にならないかなら、そりゃあ気になる。でも、無理して話す必要はないぞ。ああでも、その金って犯罪的なやつで手に入れてるわけじゃないんだよな?」

「当たり前です」

「それだけ聞いたらいいわ」


 あっさりと思考を打ち切り、メニュー表を上から下まで眺める。


 高い店だけあって珍しい部位も揃っていた。

 もちろん定番の部位もあるし、質で三段階くらいに分かれている。

 上になるほど値段も高くなるけど……美味いんだろうなあ。


「でもま、牛タンは外せないな」

「厚切りと薄切り、どちらが好きですか?」

「俺は断然薄切り派。さっと炙るくらいで食べるのが乙ってもんよ」

「わたしも薄切りの方が好きですね。歯ごたえを楽しむという意見も理解できますが、食べやすい方がいいなと思ってしまうもので」

「どっちも美味いことに変わりないからいいだろ」


 他にも定番のカルビ、ハラミ、珍しいからとイチボをピックアップし、サイドメニューへ移る。

 こういうの一つ取っても美味いんだろうな……今からもう楽しみだ。


「とりあえず全部上で注文しますので、そのつもりで」

「……いいのか? ちょっと高くないか?」

「大丈夫ですから」

「あ」

「……急にどうしたんですか?」

「焼肉って白米も必要だよな」

「わたしはあまり食べないので柏木さんだけどうぞ」

「そんじゃ、遠慮なく。ないと落ち着かなくてさ」


 焼肉の醍醐味と言えば香ばしく焼いた肉をタレにつけて、白米と一緒に食べることだと思っている。

 いまいち銀鏡の理解を得られなかったのは男女の違いなのか?


「そういえば、柏木さんの年齢はおいくつでしょうか? 飲酒の可能性も考えて確認しておきたいです」

「俺はまだ十九歳だな。夏で二十歳になる」

「わたしはもう二十歳ですが……柏木さんがいるときは二十歳になるまで控えましょうか。万が一泥酔した場合に迷惑をかける可能性が否めませんので」

「酒癖が悪いのか?」

「……誤解しないでください。四月に二十歳になったばかりですからお酒を飲む頻度は少ないですし、記憶がなくなるほど酔ったこともありません。自分の限度がわからないまま人前……しかも未成年と飲酒するのは褒められた行いではないかと思ったまでです」


 不服です、と言いたげに眉を寄せる銀鏡。

 これは俺も悪かったな。

 いきなり酒癖の悪さを疑えば、銀鏡も機嫌を悪くする。


 表情ほど起こっていないのは短い付き合いながらわかっていたけど「ごめん」と一言謝ると、「怒っていませんから」と返ってくる。


 その後、銀鏡がベルで店員さんを呼び、注文を伝えていく。


「さて……時間もあることですし、勝利特典の質問権を行使させていただいてもいいですか?」

「そりゃいいけども……俺なんかに聞きたいことがあるのか?」

「いくらなんでも卑下しすぎです。あなたが誰とも交わらない、孤独な存在だったのならそれでもいいかもしれませんが、それは周りにいる人の評価まで下げる恐れがあることを自覚してください」


 あまりにも真面目な声音で言われ、二の句が継げなくなる。

 まさか銀鏡にそういう注意をされるとは思ってもいなかった。


 その本質は、俺の価値に対する言及なのだから。


「あ、いえ、すみません。出過ぎた真似をしました。決してあなたを貶める意図はなく――」

「わかってる。俺のために言ってくれた……って思うのは自意識過剰か」

「半分はそうです。もう半分は、わたしのために」


 胸に手を当て銀鏡が答える。

 何かしら思うところがあったのだろう。

 そうでなければ『都合のいい関係』を望んだ銀鏡が深い干渉をしてくるとは思えない。


「また話が逸れてしまいましたね。わたしが聞きたいのは、どうして更科さんとお付き合いをすることになったのか――ということです」

「……聞きにくいことをズバズバと聞いてくるんだな」

「答えたくなければ構いません。わたしも答えにくいことを聞いている自覚はありますから」

「人の恋愛に興味があるのか?」

「契約相手のことはなるべく知っておいた方がいいと思いまして」


 あくまで理由はそっちらしい。


 ……どうして更科と付き合うことになったのか、ねえ。


「今になって考えるとよくわからないってのが正直なところだな。お互い恋愛ってのに憧れていたとか、地方出身で一人暮らしになったから人恋しかったってのもあるかもしれない。それを踏まえても、あの頃の俺は更科の好きだった……はずだ。あとは流れで、ほら」

「ほら、と言われましてもわかりませんが、おおよその事情は掴めました。ありがとうございます」

「これが質問の答えになってるのかわからないけど、満足したならなによりだ。でもま、所詮は過去のこと。出来ることなら二度と顔を合わせたくないレベルだな」

「柏木さんの気持ちは理解できますが、過去の感情まで否定する必要はありません」

「……そう言ってもらえると気が楽だわ」


 更科と過ごした思い出は忘れたくても忘れられないし、あの食堂での出来事は一生俺の心に傷として刻まれてしまった。

 でも、その傷を無理に治す必要はない。

 治せる気もしない。


 甘えと捉えられてもおかしくないと思っていた気持ちを認められるのは、何かが救われた気がした。


「それもこれも、わたしが外野の人間だから言えることかもしれませんが」

「……俺の最近の話し相手がもっぱら銀鏡に偏ってるのに、外野扱いするつもりは流石にないって」

「都合がいいだけの関係なのに、ですか?」

「とはいっても、やってることが友達とするようなそればかりだからなあ」


 初めてバッティングセンターで会った日も遊んで飯を食べただけ。

 今日もカラオケ行って飯。


 要素を抜き出せばなんてことはない、友達とするようなことばかり。


「……まあ、俺と銀鏡が友達はちょっと無理筋か?」

「…………そんな風に否定されると、少しだけ悲しいですね」

「銀鏡?」


 細い銀鏡の呟き。


「……わたしはこれまで、親しい人がいませんでした。こんな風にお話する相手も。柏木さんには都合のいい相手として付き合ってもらっていると思っていましたが……こういうのを友達と呼ぶのであれば――」


 躊躇いがちに視線を逸らし、またこちらへ振り向く。

 そして溜めを作り、僅かに頬を緩めて、


「悪くない、と思います」


 ぎこちなくも笑みを浮かべる銀鏡のそれに、喉が詰まる。


 ……いつも淡泊な表情の銀鏡の笑顔って破壊力が凄まじいよな。

 バッティングセンターで見た時も思ったけど、改めて思い知らされたというか。


 普段は作り物みたいな美人なのに笑うと愛嬌も出て……人間味を感じられるから、こっちの方が俺としては好ましい。


 だからと言って恋愛感情を持ち込みたいとは思わないけど。


「『銀姫』様から友達認定してもらえるなら、こんなに光栄なことはないね」

「……茶化さないでください。怒りますよ」

「すまんすまん」

「あと、その『銀姫』という呼び名、一体どこで定着してしまったんでしょうか。陰で日向で呼ばれるわたしの身にもなって欲しいものです。こんな歳にもなって姫は流石に恥ずかしいですし」


 それなら表情に羞恥を滲ませて欲しいのだが、銀鏡のそれは一切変わらない。


 軽く雑談していると、店員さんが注文していた品を運んでくる。

 テーブルに並ぶ宝石みたいな肉たち。


「さて、と。お肉も来たことですし、早速焼きましょうか」

「肉を焼く時の育てる感覚、いいよなぁ」

「……ちょっとよくわかりませんね」


 あれ、いまいち理解されなかったらしい。


 ともあれ、やっとのことで始まった焼肉は人生で一番くらい美味しかった。

 値段が高いからか、それとも銀鏡と食べていたからか……どちらにしても忘れられない時間になったのは言うまでもない。

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