第9話 孤独感と温もり

「……この歳で友達が出来て嬉しいなんて、子どもっぽいと思われても何も言い返せませんね」


 柏木さんと夕食を食べて別れた後、わたしは一人で夜道を歩いていた。

 このくらいの時間に出歩くのは褒められたことではないけれど慣れている。


 柏木さんからも「気を付けて帰れよ」と言われていた。

 今日も見知らぬ男性に絡まれていたわけで……気遣われる理由があるだけに、ありがたく気持ちだけは受け取っている。

 頼めば家まで着いてきてくれたかもしれない。


 バッティングセンターで出会ったことから薄々感づいてはいたけれど、柏木さんもわたしと最寄り駅が同じらしい。

 真反対の方向へ帰っていったから多分そうだと思う。

 だとしても、これまで遭遇しなかったのは運がいいのか悪いのか……はたまたわたしが気づいていなかっただけなのか。


 でも、そこまでしてもらう義理も関係も、まだない。


 仮にわたしと柏木さんの間に築かれつつある関係が、世間一般では友達と称されるものだとしても。


 それにしても――


「……楽しかった、ですね。存外に、と言っては失礼かもしれませんが、一人の時よりは格段に」


 カラオケからの焼肉で夕食。

 それで得られる感情は既に知り尽くしたと思っていた。


 一人のそれが楽しくなかったとは言わない。

 ただ、消化不良感が否めなかった。


 なのに誰かが……柏木さんがいるだけで、こんなに楽しめるとは思わなかった。


 珍しく感じる満足感。

 こんな日はいつ以来だろう。


 わたしの中の欠けていた何かが、僅かに埋まった気がする。


「柏木さんを誘ったのは英断でした。食堂であの光景を目撃しなければ、わたしから言い出すことはなかったでしょうね」


 いくら都合のいい相手が欲しくても、お付き合いをしている相手がいる男性を誘うほど見境なくありません。

 そもそも男性である必要性すらないですし……こういうのを間が良かった、というのでしょう。


 お相手を寝取られ、心理的に大きな隙が出来た柏木さんと出会ったのは偶然。

 打ち方を教えてもらいながら人柄を観察し、基準を満たしていそうだったので話を持ち掛け……もとい、弱みに付け込んだことは、報酬で相殺として欲しいですね。


 わたしはきっと、皆さんが思っているほどいい人間ではありません。

 どれもこれも自分のため。

 自分勝手でわがままで、独りよがりな精神性を隠して生きている卑怯な女。


 だって、わたしは――


「お酒、一本だけ買っていきましょうか」


 益のないことを考えてしまい、憂鬱になりかけた思考を戻すべく、最寄りのコンビニに立ち寄って度数の弱いフルーツ系のチューハイを買う。

 酔うほど飲みたいわけではないし、飛びつくほど好きでもない。

 わたしはアルコールが入ると眠くなる体質なので、念のため備えておきたかった。


 今日は、上手く寝られる自信がないので。


 ……最近は不眠症も改善してきましたが、どうしても眠れない日に睡眠薬とアルコールのどちらに頼るのがいいのでしょうか。

 そういうものに頼る時点であまり良くないとは自覚していますが。


 そうこう考えている間に家――深夜もガードマンがエントランスで待機しているマンションに到着する。

 今日も寡黙に職務を全うしているガードマンへ会釈をして、エレベーターで自分の部屋がある階へ移動し部屋へ。


 しんとした、真っ暗な玄関。

 並んでいるのはわたしが他に履いている二足の靴だけ。


「――ただいま」


 返答はないとわかっていても、言ってしまう。


 嫌でも覚える孤独感。

 楽しかった気持ちが徐々に冷めて、表情筋が固まっていくのが自覚できる。


「……わかっていた、ことでしょう?」


 ため息混じりに呟きながら靴を揃えて短い廊下を進み、リビングの明かりをつけた。

 1LDKの、大学生が一人で暮らすにはじゅうぶんすぎる広さの部屋は、突然人を呼んでも大丈夫なくらいには片付けてある。


 真っ先につけたのはテレビの電源。

 すぐにバラエティ番組のタレントが話す声が静けさを晴らす。

 それから冷蔵庫にチューハイを仕舞い、シャワーを浴びることにした。


 スキンケアも欠かさず行ってから、テレビの前でチューハイの缶を開ける。

 薄っすらと香る桃とアルコールが混ざった独特の匂い。

 缶をゆっくり傾け、冷たいそれが口の中へ流れ込む。


 桃果汁の甘さと、アルコールの僅かな苦み。

 呑み込むと、ちょっとだけ喉が焼ける感覚に見舞われる。


「……お酒が飲めるようになってから一月ちょっとですが、まだこの味には慣れませんね。嫌いではありませんが」


 強いお酒は、まだ飲んだことがない。

 日本酒、ワイン、焼酎……色々なお酒を楽しめる日が来るのでしょうか。


 でも、お酒を提供してくれる場所に一人では行きたくないですね。

 万が一にも人前で酔いつぶれたり、可能性は薄いですが他の人に変な薬を盛られでもしたら、どうなるかなんて考えたくもありません。


 そういう意味でも柏木さんが二十歳になるのを待ちたいところです。

 幸いなことに男避けの効果は期待できそうですし。


「そうだ、柏木さんに講義のノートを頼まれていたんでした。忘れないうちに用意しておきましょう」


 ちょっとだけぽわぽわとしてきた頭で思い出し、いつも大学に持っていくリュックに明日使うものを詰めていく。

 忘れ物があっても、朝確認する習慣をつけているから大丈夫だと思う。


 リビングに戻ってチューハイを飲み終えたら、もう眠気が襲ってきた。

 あえて逆らう理由もないので就寝の支度を済ませて寝室へ。


 橙色の常夜灯をつけて、ベッドに身体を預ける。

 それから常用している抱き枕へ顔を埋め、ため息をついてから天井を見上げた。


「……いつからでしょう。抱き枕がないと寝付けなくなったのは」


 ぼやいても仕方ないとわかっているし、誰にも迷惑をかけていないのだから無理に矯正する必要もない。

 眠れないよりは眠れた方がいいに決まっている。


 でも、これが人恋しさからくる行動なのだとしたら。


 再び抱き枕を抱きしめる。

 クッション素材の程よい弾力に、段々とわたしの体温が伝わっていく。


 お酒が入っているのも相まって眠気を誘うそれは、普段よりも少しだけ物足りなく感じてしまう。


 想起するのは人肌の温もり……柏木さんの腕を取った時に感じた温かさ。


「…………違います。これは、そういうのでは」


 誰に聞かせるでもない言い訳が零れてしまう。

 こんなときに思い出していたら、わたしが意識しているみたいじゃないですか。


 試しに顔を触ってみると、言い訳出来ないくらい熱を持っていた。

 お風呂での熱も冷めている。

 だからこれは――


「……この感情にも、慣れる日が来るのでしょうか」


 小さく呟いて、眠れることを祈りながら再び抱き枕へ顔を埋めた。

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