第7話 勘違いをされては困ります
午後の授業を終えた俺は、銀鏡から指定された待ち合わせ場所である駅前の柱時計へ向かっていた。
特に持ってくるべきものはないらしいが、そもそも行先を知らされていない。
どこへ行くのか不安はあるけど、変なところには連れていかれないだろう。
それにしても緊張するなと思いながら銀鏡の姿を探し――
「……また絡まれてんじゃねーか」
二人の男から一方的に話しかけられ、鬱陶しそうに眉を寄せていた銀鏡を発見する。
どこからどう見ても男たちはナンパ目的だろう。
銀鏡ほど綺麗な女性が一人でいるなんて、彼らからしたら格好の獲物だ。
けれど、銀鏡がまともに取り合っているように見えないのは、こういうことに慣れてしまっているからか。
美人は美人で苦労が絶えないんだな。
……でもこれ、もしかして俺が止めに入らないとダメなのか?
男たちが自分から退くとは思えないし、待ち合わせの時間は間近だ。
経験がないとは言わないけど、相手が銀鏡だと変に気負ってしまう。
彼女でもなければ友達でもない。
都合のいい遊び相手という、おおよそ普通ではない関係だ。
なのにそこまでしゃしゃり出ていいものかと悩んでいると――ふと、こちらへ振り向いた銀鏡と視線が合った。
あ、と呟いたのも束の間、銀鏡が男たちの間を抜けて俺の方へ駆け寄って来る。
そして、あろうことか俺の腕に銀鏡が腕を絡め、
「お相手が来たので、これで失礼します」
見事なまでの微笑みを浮かべながら男たちに言い放つ。
呆気にとられる男たち。
本当にそいつが? とでも言いたげな視線が俺に刺さるけど、残念ながら俺も俺で状況についていけていない。
恋人っぽい振る舞いをしたら流石に退くと考えてのことかもしれないけど、前振りもなしに付き合わされる俺の身にもなって欲しい。
助けに入るか迷ったのは悪いと思ってるけど、この仕打ちはあんまりでは?
「行きましょう、柏木さん」
「あ、ああ」
歩き出す銀鏡に遅れないように歩き出す。
絡めた腕の感触。
ほのかに感じる花のような香り。
間近には銀鏡の顔があって――
「見ていたなら助けてくださいよ」
やや低い位置から、半眼で俺を睨んでいた。
それからちらりと後ろを確認し、俺の腕が解放されて適切な距離感に戻る。
「……悪い。ちょっと、どうしたらいいかわからなくて」
「話しかけにくいのはわからないでもないですが、わたしは気にしませんから」
「次からは気を付ける」
「そうしてください。多分、こういう機会はまたあると思うので」
「……美人ってのも大変だな」
「こんなことのために日々丁寧に肌や髪のケアをしたり、身なりに気を遣っている訳ではないのですけどね」
はあ、と悩ましげにため息一つ。
その横顔すら絵になるのだから恐ろしい。
「それから、わたしの独断で腕を借りてしまってすみません。ああした方が追われる可能性は低そうだなと思ったもので」
「怒ってはいないけど、男にそういうことをすると簡単に勘違いされるからな。銀鏡みたいに美人なら特に」
「わかっていますよ」
「ならなんで……」
「柏木さんは契約を結んだ、都合のいい遊び相手だからです。わたしはそれなりの金銭と引き換えに、あなたの時間を買いました。なのに勘違いをされては困ります」
暴論に聞こえるけど、俺としては納得せざるを得ない内容だ。
形式上、銀鏡は俺の雇い主みたいなもの。
金で時間と安全を買っているのだから、相応の振舞いを求めるのは正当な権利だ。
そして俺はそれに応えなければならない。
「……けど、腕を組む必要はなかったんじゃないか?」
「わたしも柏木さんの腕を取ってから気づきました。手で事足りましたね。今後は控えます」
「本当に頼むぞ? このままじゃ俺の心臓がいくつあっても足りない」
他意がないとわかりきっていても、銀鏡ほどの美人と密着するのは心臓に悪い。
現に俺の心臓は普段より五割増しくらいの速度で拍動している気がする。
なのに銀鏡はまるで意に介していないみたいな態度で……ん?
俺の気のせいじゃなければ、銀鏡の顔がちょっと赤くないか?
メイクが原因ではない、と思う。
俺が待ち合わせ場所に着いた時の銀鏡の顔を思い浮かべながら比較し――
「……ジロジロと顔を見ないでください。変なことでもありましたか?」
「なんでもない。俺の気のせいだったみたいだ」
「ならいいですけど……」
不承不承ながらも話を切り上げる銀鏡に心の中で感謝する。
あの銀鏡が俺と腕を組んだことで照れていた、なんてあり得ないよな。
俺たちはそんな甘い関係じゃない。
銀鏡に言わせれば『都合のいい遊び相手』だ。
俺もその線引きを超えるつもりはない。
「ところで今日の目的地はどこなんだ?」
「もう着きましたよ」
「え?」
話しながら歩いている間に到着していたらしい。
銀鏡が「あそこです」と指さした場所は……何の変哲もないカラオケ店。
「今日はカラオケの気分です。二時間くらい歌ったら、その後はご飯にしようと思っていました。もちろん費用はわたし持ちですのでご安心を。あまり遅くならないようにしますが、大丈夫ですか?」
「俺はいいけど……本当にいいのか?」
「そういう契約ですので」
その一言であっさり流せるのは、本当にお金に困っていないからなのだろう。
俺は美人と遊べて食費も浮いて、しかも報酬まで貰えていいことしかない。
入店し、銀鏡が手馴れた手つきで手続きを済ませる。
道中でドリンクバーに立ち寄り、それぞれグラスに飲み物を注いでから部屋へ。
何の変哲もないカラオケ店の個室。
銀鏡はグラスをテーブルに置くなり、
「柏木さん。こちら、今月分の報酬になります」
薄い茶封筒が俺へ差し出された。
「……先払いなんてして、俺が逃げたらどうするんだ?」
「その時はわたしの見る目がなかったということで。十万程度なら持ち逃げされてもあまり痛くありませんし」
「…………持ち逃げなんてするかよ。信用ってのは一回崩れると積み直すのに苦労するんだ」
「信用に足るほど関係値があるわけでもありませんけどね」
……事実とはいえ言葉として言われると複雑な心境だ。
「……あ」
「どうかしましたか?」
「全く話が変わるんだが、昨日の午後の講義のノートとか貸してもらえたりしないか? 知り合いを当たってみたんだが、誰にも貸してもらえなくてさ」
「同じ講義であれば貸し出すのは構いませんが……同じなのですか?」
「幸運にも、な」
「であれば明日、持って来ましょう」
「恩に着る……!」
「この程度で恩に着ていたら、いつか着ぶくれしてしまいますよ」
この程度と銀鏡は言うけれど、俺は本当に困っていたのでありがたい。
さながら地獄に垂れる蜘蛛の糸だ。
「さて、と。渡すものも渡しましたし、そろそろ曲を入れましょうか。いつも一人で来るときは好き勝手に曲を入れているので、柏木さんも歌いたい曲があれば遠慮なく入れてください」
「わかったけど……」
「まだ何か?」
「……引かないで欲しいんだけど、この狭さの個室に二人きりで不安じゃないのか?」
間を開けて座るスペースがあっても、個室は個室。
狭い閉所で付き合ってもいない異性と一緒なんて危機管理的にどうなのかと疑問が浮かんでしまった。
別に銀鏡へ危害を加えようとかは考えていない。
ただ……こう、本当にいいのだろうかと迷いが生まれてしまっただけで。
「……柏木さんは人の目がないとわかれば女性を襲うケダモノなのですか?」
「違う。そういうのは然るべき関係の相手と合意の上で――」
「そこまでわかっていて、理性が伴っているのであれば問題ありません。それとも理性が危うくなる可能性があると言いたいのでしょうか」
「……普通にしてたらそうはならないだろ。でも、俺も男だから、そういう方向性で誘惑されたら怪しい。付き合ってもいない銀鏡に手を出す気はない……けど、男子大学生の理性ほど信用ならないものもないと思う。情けない男ですまん」
「確信を持たれているよりよっぽどいいです。わたしの経験上、変に自信過剰な人の方が妙な勘違いを起こしやすいと思っているので」
俺の正直な回答すら言葉通りに受け止めてくれる銀鏡には頭が上がらない。
こういうドライで現実的な価値観も備えてくれているのは、付き合っていてかなりの安心感がある。
「今の言葉を信じるなら、柏木さんが心配するようなことは起こらないと思いますよ。個室と言ってもカメラはありますし、そんな誘惑をする気もありません」
「……そうだな」
「それよりも曲を入れていいですか? 時間がもったいないので」
「ああ。悪いな、変なこと聞いて」
「今後にも関わる意識の擦り合わせですから問題ありません」
端末を操作しながら口にする銀鏡。
すぐさまディスプレイが切り替わり、採点システムが導入された案内が表示される。
「わたしは採点がないと満足できないのですが、いいですか?」
「俺もあった方が面白いな」
「では、ハイスコア対決でもします?」
「勝てる気はしないけど乗った。銀鏡は自信がありそうだし」
「ただの趣味ですから、自慢できるほど上手くはありません。勝利特典は……特に思いつきませんね。柏木さんは候補とかありますか?」
「強いて挙げるなら質問権とかどうだ? 何か一つだけ、勝ったら相手に聞けるってことで。心配いらないだろうけど、常識の範囲内のことでな」
「いいですね、そうしましょう」
案外すんなりと俺の案が受け入れられたのは、銀鏡からしても無害な内容だと思われたからだろうか。
それとも、大した関係値もないまま、こんな関係になってしまった俺への詫びか。
なんにせよ勝たなければ行使できない権利だから、今考えるのは皮算用が過ぎる。
カラオケはそれなりに行っていたものの、歌が特別上手いかと聞かれれば首を捻るレベル。
対する銀鏡は……どうだろう。
趣味と言っていたから、音痴ってことはないはず。
結局、実際に聞いてみなければわからない。
「では、先手はわたしからで」
マイクを握る銀鏡。
画面が切り替わり、聞き覚えのある流行りの曲が流れ出す。
そして、滑らかに歌い出した。
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