第2話 お一人様の『銀姫』様と、バッティングセンターで

 彼女を寝取られ、鬱憤を晴らすために来たバッティングセンターで出会ったのは、縁遠い存在だと思っていた『銀姫』こと銀鏡皐。

 普段大学で目にする銀鏡よりも幾分か表情が柔らかく感じるのは、今しがた意図せず恩を売ったからだろうか。


 そんな銀鏡にバッティングセンターの使い方を教えてくれと頼まれ、顔に出さないまま驚いてしまう。

 本当にバッティングセンターで遊びに来ただけらしい。


「なんで俺に聞くんだ? その辺に使い方くらい書いてあると思うけど」

「人に聞くのが一番早いかと思いまして」

「それにしたって他の人が」

「もう柏木さんしかいませんよ?」


 ……そういえばそうだった。


「銀鏡は説明書をちゃんと読むタイプだと思ってた」

「普段ならそうしますよ。ですが、コミュニケーションの重要性を認識していないわけではありません」


 ……昼間にあんな言動をしておいて?


 相当なことを言っていた気がするけど、あれは銀鏡としてはコミュニケーションの範疇だったのか。


 しかし、そんな考え事を見透かしたかのようにジト目が向けられ、


「……今、失礼なことを考えていませんでしたか?」

「気のせいだ。気のせい」

「そうですか」


 愛想笑いを浮かべながら弁解すると、銀鏡は素っ気なく会話を区切る。

 銀鏡としてはどうでもよかったのだろう。


「そんなことよりここの使い方を教えてください」

「打席に入って機械に100円を入れたら指定の球速の球が飛んでくる。バッティングセンターが初めてなら90㎞からでいいと思う」

「なるほど……詳しいんですね」

「このくらい誰でも知ってると思うけどな。時々来るし、値段の割に楽しめる」


 貧乏大学生の俺はバイトをしていても常に金欠。

 これまではデートの費用とかもあったし……思い出したらまた腹が立ってきた。


「……すごい顔をしていますけど、大丈夫ですか?」

「あ、悪い。顔に出てたか」

「昼間のこと、ですよね。すみません、それも全部聞こえていました」

「銀鏡が謝ることじゃない。こっちこそ昼食時にうるさくしてすまなかった」

「それこそ柏木さんが謝ることではありません。あの二人は柏木さんが到着する前から席にいました。二人が呼び出したのでしょう? 柏木さんへ恥をかかせるために。到底許されていい行為ではありません」


 銀鏡は言葉として怒りを露わにする。


 それが不思議と、嬉しかった。

 諦観して怒りきれなかった俺の代わりに怒ってくれているみたいで……勘違い甚だしいとしても、救われた気になってしまった。


「よろしければ見本を見せていただけませんか? 柏木さんもそのつもりでここにきたんですよね」

「あー、そうだな。そうするか」


 見られるのは気恥ずかしいけど、元より遊ぶためにここに来た。


 いつも通り130㎞の打席に立ち、機械にコインを入れてバットを構える。

 懐かしさすら感じる金属バットの感覚を手のひらで味わいながら、ピッチングマシンが繰り出す挙動をよく観察する。


 今日はちょっと違う心持で行かせてもらおう。

 球を遊花と八雲先輩だと思い込み――打つッ!!


 キィィンッ!


 快音を響かせた打球は奥のネットまで弧を描いて飛んでいく。


 これでも中学時代は結構真面目にやっていた。

 膝を故障したから高校は帰宅部だったけど、打つだけならこの通り。

 趣味でやるには丁度いい。


 そのまま鬱憤を晴らすためだけに球を打ち続ける。

 最後の一球は感覚が慣れてきたのかバットの真芯で捉え、ホームランの的に当たった。


「……なんか調子いいな、今日」


 ホームランは滅多に出ない。

 これも彼女を寝取られた俺に対する慰めなのか……?


 ダメだな、完全に癖になってる。


 まあ、これで懲りたから、恋愛は当分いいかな。

 そもそも彼女が出来たことすら奇跡的なわけだし。


「すごいですね」


 背後からかけられた声と、鳴る拍手。

 銀鏡がいるのを完全に忘れていた。

 驚きながら振り向けば、薄く笑みを湛えた銀鏡がいて――思わず息を呑み、魅入ってしまう。


 なんだ、こんな顔も出来るのかよ。


「そりゃどうも」

「……さては真に受けていませんね?」

「リップサービスだとしても美人に褒めてもらえるのは光栄だな」

「茶化さないでください。全く……」

「まあ、見ての通りだ。とりあえずやってみたらいい」

「そうします」


 俺と入れ替わり、打席に立つ銀鏡。

 ちゃりん、と機械に100円玉が投入される。

 おもむろにバットを握り、素人丸出しの棒立ちみたいな構えでボールを迎え撃つ。


 数秒後に発射されたボールは俺から見ればヒット間違いなしの遅い球。

 けれど銀鏡がフルスイングしたバットは見事に空を切り、俺の目の前でネットがボールを受け止めた。


 これは力み過ぎだし、そもそも構えが良くない。

 そう思いながらも頼まれてないのに口を出すのはいかがなものかと考え、黙って銀鏡を眺め続ける。


 ……それにしたって美人はどこでも絵になるらしい。


 夜のバッティングセンター、ライトで照らされる打席に立つ長髪の美女の後ろ姿。

 バットを振るたびに髪が靡いて、ちらりと映る涼しげな横顔。


 100円三十球の全てを空振りしても、眺めているのは楽しいものだ。


 最後の球を空振りした銀鏡は「はぁ」と息をつき、くるりとこちらへ振り返ってフェンス越しに俺を見る。

 銀鏡の表情は至って真面目で、悔しそうで、でも薄く笑っていた。


「難しいですね。一番遅いはずなのに、思っているよりも速いです」

「慣れないうちはそうだろうな」

「アドバイスとかないんですか?」

「そうだな……バットは握りこぶし一つ分開けて、足も軽く開く。あとは球をよく見るってところか」

「やってみます」


 即席で出来る助言はこのくらいだろう。

 正直俺も慣れろとしか言えない。


 銀鏡はすぐさま次の100円を投入し、俺が伝えたことを実践する。

 棒立ちから手習いくらいの構えになり、視線は真っすぐピッチングマシンへ。

 真後ろからでは銀鏡の顔が見えないけど、真剣な眼差しをしていることだろう。


 そして初球……またしても空振り。

 アドバイスがあっても劇的に変わるわけじゃない。

 球の速さに慣れればバットにも当たるようになると思う。


 そのまま見届けること十球目。

 銀鏡の振ったバットがとうとうボールに掠り、キンッ! と甲高い音を響かせたがファールで、後ろのフェンスに受け止められた。


「当たりました!」

「ファールだけどな。よそ見してていいのか? 次来るぞ」

「……わかってます」


 思わず返した言葉へ、銀鏡はむくれた風に呟いた。

 本人的には嬉しいところに水を差してしまったかと反省。


 ……なんで俺は銀鏡の面倒を見ているんだ?


 使い方は教えたし、俺も腹が減ったから早く帰りたいはずなのに。


 偶然でも美女と過ごす時間が惜しいのか?

 彼女を寝取られて傷心中のところを意図せず慰められたからって、そりゃないだろ。


 それこそあり得ない勘違いってやつだ。


「銀鏡、俺は先に帰るからな」

「待ってください。せめてこれが終わるまでいてもらえませんか」

「……なぜに?」

「折角アドバイスを貰ったのに、一球もちゃんと打っているところを見せられないのは悔しいので」


 顔も合わせずに引き留められたのは驚いたが、それ以上に銀鏡の負けず嫌いな性格が透けて見える理由に笑いそうになる。


 大学では近寄りがたい雰囲気の『銀姫』銀鏡皐ともあろうお方が、子どもじみた理由で今日まともに話したばかりの俺を引き留める?

 他意が全くないとわかる清々しい態度だ。


 そこまで言われたら仕方ないか。


「この100円分だけだぞ」

「わたしもこれで終わりのつもりだったので」


 会話しながらも銀鏡はバットを振り、またしてもファール。

 しかし打球は前の方へと飛んでいた。


 もう少しインパクトの時間が合えばヒットになりそうだ。

 学業も優秀と聞く銀鏡は運動神経もいいらしい。


 それからも銀鏡を眺め続ける。


 ファール、ファール、空振りを挟んでぼてぼてのゴロ。

 初めてまともに前に飛んで銀鏡が喜ぶかと思ったら、なにやらぶつぶつと独り言を呟いたまま視線を前へ。


 かなりの集中力だ。

 よっぽど打ちたいらしい。


 俺もどうせならヒットを打つ銀鏡を見たい。

 心の中で応援していると、遂に次が最後の一球になった。

 今のところヒットはゼロ、ゴロは数度、ファールは数知れず。


 されど、打てても打てなくてもこれで終わり。


 どうなるかとその一瞬へ期待を寄せていると、ピッチングマシンが音を立てて球を射出する。

 俺から見れば絶好球のど真ん中。


 それを銀鏡は――狙いすましたスイングで迎え撃つ。


 キィィンッ!!


 濁りのない快音。

 打球は白い軌跡を描いて飛び、奥のネットをこれでもかと揺らした。


 ヒットだ。


「柏木さん! やりました!!」


 すぐさま銀鏡が振り返り、満面の笑みで告げる。


 夜闇を晴らすかのように眩しく、無邪気さが滲んだ笑顔。

 それに思わず視線を奪われ、遅れて「よかったな」と返す。


 銀鏡も笑顔を見せることがあるのか。

 大学で目にするのは無表情が大半。

 彼女の笑顔なんて見た人がいるのだろうか。


「柏木さん、改めてありがとうございました。助けていただいたことも、アドバイスも。わたしだけの力ではファールも打てなかったと思います」

「偽善ついでの素人の助言が役立ったなら何よりだ。楽しかったか?」

「もちろん」


 端的ながら、さっきの笑顔が嘘ではないのはわかっていた。


 うざ晴らしのために来たバッティングセンターだけど、こんな出会いがあるとは思わなかった。


 銀鏡の笑顔のお陰か、俺の心を覆っていた嫌な雲も晴れてしまった気がする。

 美人ってのはすげぇや……今なら金を払ってでも銀鏡と付き合いたいって言ってた誰かの気持ちが多少は理解できる。


 まあ、どうやっても釣り合わないんだけどさ。


「んじゃ、俺は帰るわ。銀鏡も気をつけてな」

「待ってください」

「……まだなにか?」

「ここで会ったのも何かの縁ということで、よかったらご飯とかどうですか?」


 ……マジか。


 銀鏡と二人で飯とか、どれだけ願っても叶わないぞ。


 これも彼女を寝取られた俺を憐れんだ神様の采配か?


「わたしとしては来ていただけると助かります。柏木さんも気になっているんじゃないですか? どうしてわたしがこんな時間に、バッティングセンターにいたのか……とか」

「…………」


 気にならないかと聞かれれば、気になる。

 女子大生の気晴らしならもっといいものがあるだろう。


 正直、ここは女子大生が夜に一人で来るような場所じゃない。

 何かしらの理由があると見るべきだ。


「ついでに付け加えると、今ならわたしの奢りでいいですよ」

「……いや、それは流石に悪いっていうか」

「気にしないでください。幸い、お金にだけは困っていませんので」


 そう言いつつも、表情が僅かに曇ったのを俺は見逃さなかった。


 銀鏡からのお誘い、しかも奢りで俺が金を出す必要はない。

 美味しすぎる条件過ぎて裏を勘繰ってしまう。


 けど……銀鏡がそういう奴らと絡んでいる姿が想像できない。


 それに、俺も腹の虫が限界だ。


「……本当に奢りでいいんだな?」

「ええ。あまり高いところじゃないと助かりますけど」

「そりゃそうだ。この時間なら……ファミレスとかでいいんじゃないか? 長話になるなら特に、な」

「いいですね、そうしましょう。それにしてもファミレスですか……」

「嫌なら別のところでいいけど」

「そうではなくて。その……漫画とかで友達と夜にファミレスで勉強会、みたいなシーンがよくあるじゃないですか。ああいうのにちょっとだけ、ほんのちょっと憧れていたので」


 ……急に友達いないアピールするのやめない?


 ―――

 ちなみに銀鏡の髪色は明言する気がないです。僕の中では銀髪ですが作中設定としてその手の背景がないままに銀髪とするのは……みたいな謎の抵抗があるためこうなっています。あと、万が一書籍化した時に「銀髪で!」ってやるためです()

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