第3話 都合が良すぎる契約
そんなわけで俺は銀鏡と近くのファミレスに来た。
広々使えるボックス席に案内され、それぞれ注文を済ませて一息つく。
奢りと言われては出来る限り食べておきたいところだけど、ほぼ初対面の相手にそこまで遠慮なく注文できるほどのメンタルは持ち合わせていない。
無難な感じで注文をした俺へ「本当にそれだけでいいんですか?」と聞いてくる銀鏡は、本当に金に困っていないんだと思う。
金欠大学生からしたら羨ましい限りだ。
「さて……どこから話しましょうか」
おしぼりで手を拭いた銀鏡が話題の切り口を探す。
……流れで飯まで一緒とか、自分でも目を疑う光景だ。
「まずは前提条件から確認しましょう」
「前提条件?」
「わたしが柏木さんをご飯に誘ったのはお礼と謝罪、口止め、それと打診が目的です」
「……前三つまではなんとなくわかるけど、打診? 何を?」
「順を追って話します。一言で表すならわたしの習性みたいなものに関わる話ですね」
打診だけでも浮いていたのに習性ときたか。
夜に一人でバッティングセンターに来る女子大生が偶然会った男へする打診、ねえ。
どうやってもきな臭さしか感じないのは俺だけか?
とはいえ注文もしてしまった手前、ここで帰るわけにもいかない。
まずは話だけでも聞いておこうと視線で促すと、銀鏡はおもむろに頷いて口を開く。
「わたしは娯楽に飢えています。高校生の頃からでしょうか。何かの拍子に、それこそ今日のようにふらっとどこかへ遊びに行く習慣が身についてしまいました」
「人間誰しも遊びたい瞬間くらいあるんじゃないか?」
「その通りですが、独りに飽きてしまったんですよ。というのも、わたしには友達と呼べる相手がいません。あんな態度を貫いていたら出来ないのも当然ですが」
「……自覚はあるんだな」
「あっても治せないなら無意味です。そういうわけなので、わたしはずっと一人遊びをしているわけですが……物足りなくなってしまいまして。柏木さんにバッティングセンターの遊び方を聞いたのもそういう理由です」
これは重症だな。
まさか『銀姫』とも呼ばれる美女の銀鏡が、遊びに行った先で偶然見かけた俺に声をかけるくらい孤独感に苛まれているとは。
……ちょっと違うか?
銀鏡は『一人に飽きた』と言っただけで『孤独に耐えられなくなった』とは言っていない。
似て非なる感情を混同するのは良くないな。
本人の認識が正しいかどうかは別の話として、だが。
「もちろん毎回そんなことをしているわけではありませんよ。今日は誰かと話したい気分だった……それだけです。一人暮らしだと会話する相手もいませんし」
「…………」
本当に友達がいないんだな、とは言わない。
銀鏡のそれは真剣な悩みで、誤解を生むような発言は避けたかった。
「ここまでは習性とわたしの現状のお話です。それで、ここからが本題なのですが――」
「お待たせいたしました。ステーキセットとミラノ風ドリア、カルボナーラになります」
銀鏡の言葉を遮るように注文したメニューを運んできた店員の声が重なる。
テーブルに次々と並べられていく料理たち。
ステーキセットとドリアは俺が頼んだもので、カルボナーラが銀鏡だ。
……遠慮するとは言ったけど、この値段なら二皿くらいはいいかなって。
一礼をして去っていく店員を送り、温かな料理を前に並べる。
「冷めてしまっては勿体ないですし、柏木さんもお腹が減っているでしょうから続きは食べながらでどうですか?」
「気を遣わせて悪いな。あんまり行儀が悪くならないようにはする」
「あまり気にしなくていいですよ。合間合間で話を進めるだけですから」
そう言ってもらったところで「いただきます」と手を合わせてステーキを切り分け――
「……そんなに見られてると食べにくいんだけど」
「ああいえ、すみません。律儀な人だなと思いまして。こういう場所で『いただきます』と言わない人は一定数いるでしょう?」
「それは親の教えの賜物だな」
自然に出来ていることで、意識なんてしていない。
別に言わない人がいたとしても関係ないし。
なんて思っていると銀鏡が小さく「いいなあ」と呟いた。
が、すぐさまそれに気づいたのだろう。
恥ずかしそうに口元を押さえて、照れ隠しのつもりか俺をジト目で睨んでくる。
「今の、なんでもないですから」
「はいはい。俺は何も聞いてないって」
適当に流してから、一口大に切ったステーキを口へ運ぶ。
途端に口の中に広がるスパイスの香りと肉の味。
この値段でこれだけのボリュームと味を両立しているのは流石有名チェーン店だ。
感心しながら咀嚼していると、
「――柏木さん、食べましたね?」
不意に、銀鏡が満面の笑みを浮かべながら告げてくる。
騙された、と直感的に悟るも遅い。
俺に出来る抵抗は「騙したな」と視線で訴えることだけで、ステーキは呑み込んでしまう。
「……後出しは卑怯じゃないか?」
「ただより高いものはないって言うじゃないですか」
「…………騙した側が主張することじゃないと思うんだが。そこまでして俺にさせたいことってなんだ?」
「安心してください。柏木さんに不利になるような内容ではないと思います」
今の銀鏡に言われても、まるで信用出来やしない。
銀鏡がぽん、と手を叩き、
「話を戻しましょう。わたしが柏木さんにしたい打診の内容――それは、わたしにとって都合のいい遊び相手になってもらうことです」
「………………はい?」
口にした内容が思ったように頭に入ってこなくて、思わず素っ頓狂な返事をしてしまった。
「具体的に言いましょう。わたしが呼んだら一も二もなく駆けつけて、一緒に遊んでくれるだけの都合のいい存在になって欲しいんです」
「それってヒモとかそういうやつでは?」
「違います。養うつもりはありません。あくまで対等の相手として扱うつもりです」
「……一も二もなく駆けつけるって言っても授業とか、バイトとかあるだろ」
「授業中は流石に呼びませんよ。他にも、どうしようもない事情の場合は拒否も可能です。ですが、契約を結んでもらえるのならバイトはやめてください」
「無理だって。バイト代が無くなったら家賃が払えなくなる。遊ぶにしても金が必要だし――」
「柏木さんの費用はわたしが負担しますし、報酬も出します。そうですね……一月あたりこのくらいでいかがでしょうか」
銀鏡がスマホを弄り、画面をこちらへ向けてくる。
計算機に表示されていた額は十万……十万!?
「月のバイト代のほぼ倍かよ……」
「それはあくまで目安です。年収が103万円を超えると確定申告が必須になるのはご存じですか?」
「……そいえばバイト先の店長もそんなことを言ってたような」
「その手間を省くために、一年を通して103万円の報酬を上限とさせていただきます。ですが、かかる費用はわたしが負担するので、実質的にはもっと上だと思っていただいて構いません」
「いやいやいや、多すぎるって。第一なんで俺なんだよ。他の奴でもいいだろ」
「そこは今日出会った偶然と、柏木さんなら都合がいいと思ったからです」
都合がいい?
俺が扱いやすいって意味かと怪訝に銀鏡を見ていると、すっと人差し指を立てた。
「一つ目。柏木さんは彼女を寝取られてしまって傷心中かと思います。その隙を容姿に優れるわたしが突こうと考えました」
「……もっとこう、手心とかないの? あと自分の容姿が優れるって部分も」
「下手な慰めは必要ないかと思いまして。自分の容姿が優れているのは客観的な事実として認識しているので」
「…………それはまあ、そうか」
前半はともかく、後半に関しては反論の余地がない。
「続いて二つ目。バッティングセンターでわたしを助けるだけでなく、アドバイスまでしてくれたことから、柏木さんが親切な方だとわかったからです」
「助けたのは偽善だし、アドバイスはついでだ。あと、美人に恩を売っておくのも悪くないと思ってな」
「その割に下心が感じられなかったのもプラスですね」
「……彼女を寝取られたばかりの男に他の女へ下心を向ける余裕があると思うか?」
「わたしはそのような経験がないのでなんとも」
自虐のつもりが、意外な情報が飛び出してきた。
銀鏡はこれまで恋人がいたことがないらしい。
こんな美人でそんなことがあり得るのかと思ってしまうけど、俺に嘘をつく理由がないから本当なのだろう。
「そして三つ目。わたしが今日のように夜も遊び歩いていることを秘密にして欲しいからです。報酬の額は口止めの意味もあります」
「……悪評が立つのは避けたいってことか? そんなことしなくても言いふらしたりはしない――」
「申し訳ありませんが、そういった口約束はあまり信用しないことにしているんです。なので報酬を提示したように、金銭で買収しようかと。金欠の大学生ならこれ以上に魅力的なことはあまりないでしょう?」
「…………だろうな。俺みたいなやつには効果覿面だ」
それよりも、一つ目で述べていたように銀鏡みたいな美女と遊び相手になれることの方へメリットを感じる人もいると思う。
けれど、あえて銀鏡がそこを強調せずに金銭での契約を望んだのは、そういう相手を望んでいる訳ではないからか。
銀鏡が欲しいのは秘密を守る、都合のいい遊び相手。
それには俺みたいに隙があり、下心が薄く、金銭に困っている人間が丁度いい。
「最後に四つ目――わたしを恋愛的に好きにならないでください」
「……その心は?」
「なぞかけではありませんが、あえて言うのならば柏木さんが不幸にならないためです」
正直意味が分からなかったが、疑問は呑み込むことにした。
銀鏡にも詳しく説明する気はないようだ。
「わたしが欲しいのは柏木さんの時間。対価は金銭。他に条件付けが必要なら付け足しますが、いかがでしょうか」
改めて、銀鏡が言葉を継ぎ足す。
俺も銀鏡の言葉を頭の中で反芻する。
理由は理解した。
条件も悪くない……どころか破格だ。
今すぐバイトをやめてしまいたい気持ちになるだけの報酬もある。
でも、美味すぎる話で、俺に一切の不利益がないことだけが気になる。
「……本当に遊び相手になるだけでいいんだな?」
「わたしが呼んだ時に来てくれればそれでいいです」
「その時の費用も銀鏡持ちと」
「間違いありません。その分の費用は報酬とは別ですし、もし頻度が多ければ報酬も額が直接増えない形で考えます」
「遊び相手ってのは健全なやつだよな? 犯罪に足を突っ込むようなのは御免だ」
「そんなことしませんよ。普通に遊ぶだけです」
「……一応、本当に一応だけ確認するけど、エロいことは?」
「…………なしです。そういうのは別で恋人を作るなり、風俗のお世話になるなりしてください」
呆れながらも銀鏡が答えてくれて、俺はちょっと安心する。
どうやら本当に銀鏡の都合がいい時に遊ぶだけの相手が欲しいらしい。
質問を重ねてみても美味すぎるという感想は拭えない。
けれど異質なだけで違和感はなく、俺の疑問を晴らそうという意思も伝わってくる。
……まあ、なるようになるか。
彼女を寝取られて灰色の大学生活に戻るよりは、銀鏡と都合のいい遊び相手になる方がよっぽど楽しそうだ。
バイトもやめれて、なのに収入は増えて万々歳。
おまけに美人と定期的に遊べるオプション付きと来た。
「わかった。まずは一か月、仮契約からってことでどうだ?」
「そうしましょう。契約更新は一か月前の確認でどうですか?」
「それでいい。ああでも、バイトをやめるまでは行けない日があっても勘弁してほしい」
「そのくらいは考慮しますよ。詳細な部分は後程詰めていくとしましょう。疑問点があれば相談してください。連絡先も交換しましょうか」
「だな」
話はとんとん拍子に進み、俺の連絡先に銀鏡の名前が追加される。
「わたしの連絡先は他の方へ教えないでください。見ず知らずの人から突然連絡が来るのは少々怖いので」
「わかってる。他に知ってる人はいるのか?」
「個人的なものを知っている人はいないかと。授業での課題提出用のメールアドレスなら担当の教授が把握しているくらいでしょうか」
「……マジで気を付けるわ」
もしかしなくても俺はとんでもない劇薬を手にしてしまったのではないだろうか。
……今更後悔しても仕方ない。
リスクに見合うリターンがあるから俺はこの契約を引き受けただけ。
「それと、大学ではいつも通りにしていただけると助かります。わたしといては不要な僻みや嫉妬に晒されてしまうかもしれませんので」
「……それでいいのか?」
「いいんです。わたしが欲しいのは都合のいい遊び相手だけですから」
突き放すように銀鏡は口にして、影を感じる笑みを浮かべた。
その笑顔は、さっきバッティングセンターで見た満面の笑みとは毛色が違う。
どこか寂しそうな、無理をしているように見える笑み。
本当にそれでいいなら、そんな風に笑わないでくれよ。
その言葉は胸の内に仕舞い込んで、俺たちは夕食を再開した。
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