第20話 ほんの少しだけ、寂しいですから
いつもより短めです
―――
「……変なことを口走ってはいません、よね?」
施錠されたドアを背にしたわたしは、慧さんの部屋で過ごした時間を頭の中で反芻しながら呟く。
午前中は慧さんの行方が知れず心配でしたが、風邪をひいたと連絡があったのがお昼のこと。
原因がわかって安堵と罪悪感が半々、といったところでした。
風邪をひいたのは昨日、わたしを庇ってずぶ濡れになったからでしょう。
慧さんも馬鹿ではありませんから風邪をひかないように対策はしたと思いますが……時にはひいてしまうものです。
しかし、慧さんは一人暮らしだと話していました。
体調を崩しているのに誰からも助けを得られない状況。
わたしも経験があるので辛さはよくわかるつもりです。
メッセージではあまり酷くはない、とのことでしたが、関係ありません。
原因の一端はわたしにもあります。
そこでご一緒に昼食を取っていた明智さんと海老原さんにも策を求めたところ、必要なものを買って持っていくという方向で落ち着きました。
そのために二人のことを引き合いに出して慧さんの住所を教えてもらい、尋ねたまでは良かったです。
本来なら近くのドラックストアで買ってきたものを渡して帰るはずでした。
なのに……目の前で倒れかける慧さんを見ては、とても帰るに帰れません。
半ば強引に上がり込み、わたしに出来る限りのことをして――今に至るわけですが。
「男性のお部屋に上がったのは初めてでしたが、やりすぎだったとは思いません。物を届けたのも、食事を作ったのも、色々お世話を焼いたのも」
物を届けるのはお二人からも頼まれた当初の目的。
そこから部屋に上がったのも仕方ないこと。
食事や氷枕は追加のお節介。
わたしが慧さんに風邪をひかせたようなものですから、これくらいは気にしません。
元気になってもらわないと困るのはわたしですから。
お粥も無事に食べていただけて良かったですね。
人に振る舞うのが久々で緊張しましたが、反応は悪くなかったはず。
美味しかったと言われたのは素直に嬉しかったですし――
「……嬉しいと感じるのは一般的な感性。なにも不自然なことはありません」
少しだけ顔が熱を帯びている理由をそう断じて、斬り捨てる。
そして帰路に着く間も、考えるのは慧さんの体調。
今朝風邪の症状が出たばかりなら、まだ悪化するかもしれません。
わたしの場合は二日三日寝込むことも珍しくないですが、慧さんはどうでしょう。
本人は何年も風邪を体調を崩していなかったと言っていましたが……多分あれは強がりや嘘ではないのでしょうね。
だから38度超えの熱を出しても大したことがない風に病状を伝えていたわけですし。
「夜も連絡だけはしてみましょうか。何事もなければよし。もしも助けを求められたら……という仮定は無意味かもしれませんね。人に頼るのは苦手みたいですし」
あれだけ体調が悪ければ買い物も一苦労です。
それに、出歩いて人にうつしたら……などと考えて、家にあるあり物だけでやり過ごそうとしていた可能性すらあります。
もしかすると明智さんや海老原さんは慧さんのそういう一面を知っていたから、強引にでもわたしに様子を見に行かせたのかもしれませんね。
「わたしはまだまだ知らないことが多い、ということでしょう」
至極当然のことなのに……どうして、こんなに心がざわつくのか。
元より慧さんに望んだのは金銭で繋がった、都合のいい関係。
それが意図せず友達、というそれへと変わったことで、わたしも無意識に思うところがあったのでしょうか。
経験が少なく浅いせいか、自分の感情すら正確に掴み切れない。
「それはそうと、最後の問答に意味があったとは思えませんね。倒れかけるほど体調の悪い病人相手に警戒しても気疲れするだけでは?」
わたしが看病のためとはいえ、無防備に上がり込んでいるように見えたから釘を刺したのでしょう。
ですが、わたしはこれでも週に数日はジムに通って鍛えています。
腹筋が割れるほどではありませんが、見た目ほど非力ではありません。
対する慧さんは男性としては平均的な体格をしていると思いますが、病人の彼をあしらう方法なんていくらでもあります。
そもそも騙して襲おうだなんて不埒な考えを持っている人は一目見ればわかります。
これも数多くの視線に晒されながら生きてきた過程で身に着けた処世術……かは怪しいですが、それなりに正確ですし。
あまり女性の感覚を見くびらないでほしいものですね。
「……自分が苦しい時くらい、自分のことだけ考えていればいいと思いますけど」
優しすぎるのも考えものですね。
それが慧さんのいいところでもあるのでしょうけれど。
それはそれとして。
「早く元気になってくださいよ、慧さん。でないとわたしは少し……ほんの少しだけ、寂しいですから」
この短い期間で絆されてしまっている自覚はある。
もっとドライな関係性を続けるつもりだったのに……これもわたしの悪癖ですね。
孤独に慣れたと思い込もうと目を逸らしていただけで、他者との繋がりを求める寂しがり屋の側面は変わってくれない。
今も頭に思い浮かべるのは慧さんの顔や声。
別れたばかりなのにこれでは、どんな理屈を並べても言い訳にしか聞こえません。
そもそも――わたしが慧さんに抱く感情は、恋ではない。
最大限の重さを想定しても親愛の域を出ない、はず。
「……なんて思っているものの、恋をしたことがない人間はその感情を正確に判別できませんね」
だからこれは
どうか恋なんて無意味なことをしないようにと、自分の弱い心へ撃つ楔。
大切な人と別れる辛さは、わたしにとって痛すぎるから。
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