第31話 価値

 八雲・更科視点+α


 ―――


 ――数日前の夜。

 八雲と更科は、行きつけのダンスクラブにいた。


 サイケデリックな光の明滅が繰り返される、熱気と歓声とノリのいい音楽が鳴りやむことはない店内。

 あちこちで若者が曲に乗って身を躍らせ、酒を飲み、馬鹿みたいに騒いでいる。


 その集団からは一歩引いたテーブルには若い男女……八雲と更科だ。

 二人の前にはそれぞれお酒が注がれたグラスが一つずつ。


「はぁ……早く見たいわねえ、あの女の歪んだ顔」


 カシスオレンジが入ったグラスを傾けた更科が、鼻で笑って口にする。


 大学入学に際し地方から上京してきた純朴だった少女の面影はどこにもない。

 今の更科遊花は都会の色に悪い意味で染まった女子大生。


 いや……歪んだ・・・の方が正しいだろうか。


「お前も趣味が悪いよなぁ、遊花。どんだけ嫌いなら浮気の冤罪で嵌めようって考えんだよ」

「あたしはあの女が幸せそうにしてたのが許せなかっただけ。柏木はついでよ。というか、八雲くんもノリノリだったじゃん」

「そりゃあな。俺はご丁寧に忠告してやったのに、あんなことになってるからよぉ。それに――上手くやればあの上玉も手に入るんだぜ?」


 実のところ、八雲は柏木のことなんてどうでもよかった。

 男に興味はなく、相手にもならないと確信している。


 だが、銀鏡は別だ。

 この大学では誰よりも美人であろう彼女を、八雲は手中に収めたかった。


 これまでは誰の物にもならないならと放置のスタンスを取っていたが、柏木如きが仲良くしているのなら話が変わる。

 隣の芝生は青く見える……なんて綺麗な感情を八雲は持ち合わせていない。

 征服欲と性欲、自己顕示欲を満たすためだけに銀鏡皐を欲していた。


 とはいえ先日、焼肉店で二人へ告げた示談の条件も嘘ではない。

 柏木が目障りなのは変わりなく、皐を手に入れるためにも柏木にはどのみち消えてもらうつもりだった。


「八雲くんも浮気するつもり?」

「違ぇよ。ああいうお高く留まった、プライドが高そうな女は彼女より性奴隷にした方が面白ぇだろ? 初めてヤる時にアイツも呼んで目の前で見せてやるか」

「それいいわね! どうせ処女よ、あの女」

「俺がちょっと誘ったら簡単に股を開いた女は違うぜ」

「誰が簡単に股を開いたって?」


 更科が不機嫌そうに八雲を睨むも効果なし。

 むしろ嗜虐心を煽ってしまったのか、八雲の手が更科の尻を手馴れた様子で撫でた。


 僅かに肩を跳ねさせた更科の耳元へ八雲が口を寄せ、


「帰ったら可愛がってやるから覚悟しとけよ?」


 甘い声音で囁いた。


 それに不快感を示すことなく、更科は八雲の肩に凭れかかる。


 すっかり言いなりになった女の顔を間近で眺め、八雲は思う。


(馬鹿な女だよな。俺がお前を寝取ったのは初物で、人の女だからだっつーの。顔も大してよくねーし、集ってくるし、絡み方がうぜぇ。ま、性処理道具としては丁度いいけどな)


 更科を寝取ったのは単なる気まぐれ。

 人の彼女って話で、しかも処女だったから、暇つぶしに奪ってみただけのこと。


 八雲は恋人が寝取られたことを知った時の男の顔と、寝取った後に捨てられる女の顔を見て楽しむためだけに、他人の彼女を寝取り続けていた。

 その対象が、たまたま柏木になっただけ。


 だから八雲にとって、更科は替えが効く女。

 精々が好きな時に性欲を発散するための、セフレ程度の認識だった。


 この女を捨てたところで自分に寄ってくる女は吐いて捨てるほどいる。

 それに、柏木から寝取った更科の末路は初めから変わらない。


(本当ならもっと早くに捨てるはずだったんだが……話が変わっちまったからなぁ。銀鏡皐――あんな上玉が釣れるなら、この馬鹿女を連れ回す意味もあるってもんだ)


 貼り付けた笑みで黒い思惑を隠しながら、更科を宥めるように頭を撫でてやる。


 その傍らで酒を飲み、最後に笑う自分の姿を想像して――


「――見つけた、八雲ッ!!」


 鳴り響く曲の音量にも負けない女の叫び声が、間近から浴びせられた。


「…………あん?」

「誰よあんた」


 耳障りなそれに八雲は表情を歪ませ、更科は闖入者へ不快感を隠すことなく向ける。


 胸元が大きく開いた服を着た、化粧も派手な女性だった。

 年齢的には二十代前半だろうか。

 彼女の顔は怒りに染まっていて、今にも飛び掛かりそうな雰囲気すらある。


「……元カノのアタシを忘れたとは言わせないわよ、八雲。その娘がアタシを捨てて、どっかから奪ってきた女?」


 女が更科に迫り、隅々まで視線を巡らせる。

 ただならぬ様子に更科も反抗的な態度を忘れて受け入れていると、女はもうじゅうぶんと言わんばかりに鼻を鳴らした。


「全然可愛くないわね。綺麗でもない。田舎育ちの芋娘を都会風にアレンジしました~って感じ」

「……ハァ? 誰に向かって言ってんのよ。あたし?」

「アンタしかいないでしょ?」

「…………ッ、黙ってよ!」


 怒りに任せて思わず手が出てしまった更科だったが、それを止めたのは八雲。


「俺の彼女に手ぇ出すなら容赦はしねぇぞ?」


 どすの効いた声で脅しにかかるも、八雲としては本気ではなかった。

 更科を守るのは利用価値があるからで、この女にはもう価値がない。

 なのにごたごたを起こすのは八雲も避けたかった。


 が、そんな事情は関係ない。


「うっさいわね! このクソ男ッ!!」


 激高した女の拳が真っすぐに飛び、八雲の頬を打ち抜いた。

 快音。

 衝撃の方向へと、八雲の顔が仰け反った。


 ぜえ、はあ、と息を切らした女。

 驚きのあまり目を見開いて八雲を見る更科。

 そして、変わらずそっぽを向いたままの八雲。


 言葉はない。

 三者の間だけで共有される異様な空気を、更科はどうしていいのかわからないまま見守っていると――


「――いいぜ、表に出ろよ。気が済むまで付き合ってやる」


 いち早く復帰した八雲が、あくまで穏当な声音で告げる。

 しかし、目は一切笑っていない。


 いくぞと立ち去る八雲に更科も続き、その女が後を追って店を出る。


 夜、生ぬるい空気が流れる風俗街の路地。


「八雲、付き合ってくれるんでしょ? 早くその女を捨てて――ッ!?」


 再び八雲へ迫った女への返答は、狙いすました顔面への右ストレート。

 鼻を盛大に穿ったパンチの威力は女性が耐えられるものではない。

 その女はいとも簡単に吹き飛ばされ、コンクリートの地面へ無造作に転がった。


 一切の躊躇いがない一撃を間近で目の当たりにした更科は、一瞬だけキョトンと目を丸くした後に状況を理解し、三日月のように口角を吊り上げた。


「誰に物言ってんだよ、お前。女を捨てるかどうかなんざ俺が決めることだ。なんでお前に指図されなきゃならねぇんだよッ!!」


 溜め込んだ苛立ちを蹴りに乗せ、動けない女へ追い打ちをかける。

 脇腹にヒットし、くの字に曲がる身体。


 くぐもった呻き声が上がるも、八雲の目は冷たいまま。


「気まぐれに彼女って名札を付けただけのセフレが俺にうだうだ言ってくんじゃねぇよ、気色悪ぃ」


 唾も吐き捨てたところで、やっと怒りを納めた。


(……まさか、あたしも同じ?)


 その光景を目にした更科はやり場のない不安に駆られてしまう。


 気の迷いで付き合った柏木を捨てて、やっと勝ち馬の八雲に乗り換えられたのに、本当は彼女とすら思われていなかった――なんて思いたくない。

 この女や、銀鏡よりも価値を示さなければ、簡単に捨てられてしまう。

 そんな未来の可能性を明示されてしまった。


「……八雲くん」

「なんだよ」


 でも、直接聞くには、勇気が足りなくて。


「……ううん、なんでもない」


 そんなわけないと不安に蓋をして、風俗街を去っていった。



 一連の流れを追っていた人間がいたとは、露ほども気づかずに。



 ◆



 それからさらに数日経った日。


「さて――長かったけれど、準備は万端だ。ありがとう、寧々くん。これまでよく頑張ったね」

「いえいえ! 瑛梨先輩こそお疲れ様でした!」

「ひとまず私たちも休養を取るとして……その前に、柏木くんに連絡だね。勝利が決まった消化試合だけど、開戦の合図はしてもらわないと」


―――

なにも真っ当に付き合ってやる必要はないよね、ってことで

多分あと二話


時系列もあった方が良さそうなので追記

27話→31話八雲・更科視点→28~30話→31話最後

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