第32話 大切な友達です

 参ります


 ―――


 明智先輩からの準備完了という連絡を受けて、俺は八雲先輩から貰っていた連絡先へコンタクトを取った。


 今日の昼、食堂にて待つ――と。


 これは八雲先輩の退路を断つ目的と、明智先輩なりの意趣返しだ。

 俺が寝取られた際の状況を再現し、全ての疑いを晴らす。


「緊張しなくていいよ、二人とも。周りの面子は私の息がかかった人間で埋めてある。こっちがホームで、八雲がアウェーさ」

「……そこまでする必要ありました?」

「わたしも送っていただいた報告書を見ましたが、もう八雲さんと更科さんはどうしようもない・・・・・・・・ように思えます」

「寧々も同じ意見ですけど、これは無駄な野次が入らないようにするため……ですよね?」

「その通り。水を差されて話をうやむやにされるのは面倒だ。まあ、面倒なだけで私たちの勝利は揺るがないけれどね」


 明智先輩と海老原からは確固たる自信を感じる。


 自信の源泉も知る身としては納得できるけど……それでも不安なことに変わりない。


 なにせ相手は八雲先輩と更科だ。

 俺を嵌めた実績がある。


「要点は頭に入っているだろう?」

「そりゃまあ、そうですけど」

「忘れていてもわたしがサポートしますから」

「先輩方、そろそろ時間ですよっ」


 海老原の一声で身が引き締まる。


 そして待つこと数分で、八雲と更科がやってきた。


 呼び出されても自分の勝利を疑っていないのか、自信に満ちた表情の八雲と更科。

 なんなら俺たちを馬鹿にしたような雰囲気すらある。


 その八雲が悠然と周囲を見渡し――唐突に顔を歪めて、舌打つ。


「――こりゃあお前の入れ知恵か、明智」

「可愛い後輩を守るのが頼れる先輩の務めだろう? なあ、八雲」

「……お前がここまで入れ込むとは珍しいにもほどがあんだろ。だがまあ、手を差し伸べる相手は選んだ方がいいぜ?」

「お生憎と、キミが相手では負ける方が難しい」


 八雲先輩の煽りも柳のように受け流す明智先輩。

 しかし、八雲先輩は表面上は過剰な反応をせず、苛立ちを目に滲ませるだけに留めて更科と共に席に着いた。


「俺をこんなとこまで呼び出したんだ。詰まらねえ用件だったら承知しねぇぞ?」

「八雲先輩には面白い話ではないと思いますよ」

「なによ、柏木。まさかその先輩がいるから勝ったとか思ってるわけ?」

「あなた方とのお話が成り立たなくなった・・・・・・・・・という意味では勝ったと言えるかもしれませんね」


 皐の言葉回しは的確に現状を表していた。

 それに不可解そうな表情を返すのは八雲先輩だ。

 更科は勝利宣言をされたのが意外だったのか、口を噤む。


「俺たちも八雲先輩と同じく、明智先輩に雇っていただいた弁護士に調査を依頼しました。内容は大きく分けて二つ。俺たちが浮気をしていないことの証明と、更科が先に浮気をしていたことの調査です」

「ほう? 都合のいい証拠でも見つかったか?」

「残念ながら完全に否定できる材料は見つかりませんでしたね。更科の物と思しきSNSの裏アカウントで八雲先輩と映っている写真や、示唆するような文言はありましたが、そっちも決定的な証拠にはならないと」


 話の途中、更科は身体を強張らせていたが、最後を聞いて露骨に弛緩させた。


「そもそも写真なんて友達同士でも撮るでしょ? ……あ、ごめんね? 柏木も、銀鏡さんも、友達いなかったっけ」


 嘲笑混じりの煽りにも俺と皐は動じない。

 淡々と、事実を突きつけていけばいい。


「ですが、別の話が転がり込んで来たんですよ。数日前に風俗街の一角で、女性が殴られて怪我をする事件があったそうです」

「…………っ」


 それが自分のことを指していると気づいたらしい八雲先輩は、目を細めながら押し黙る。

 ここで弁を講じても不利になるだけだと察したのだろう。


「その被害者の女性に、こちらの弁護士が接触しています。彼女の証言によると、八雲先輩に殴られた――と」

「そんな証言、どこまで信じられるんだかわかったもんじゃねぇな」

「既に警察へ被害届が提出された後だとしても、ですか?」

「はぁ!? なに勝手なことしてんのよ! 先に手を出してきたのはあの女よ!? 大体それが柏木の浮気とどう繋がるって――」

「更科、ちょっと黙れ」


 声を荒げて反応する更科を、酷く落ち着いた声音で八雲が咎める。

 もう、顔は笑っていない。


「論点をずらそうって魂胆か? だが、夜の風俗街でそういう騒ぎは飽きるほど起きてるからな。真面目に取り合ってもらえるわけがねえ」

「おっと、そこからは私が引き継ごう。八雲の言う通り、風俗街の傷害事件なんて珍しくはない。でも、それを起こしたのが議員の息子だったらどうかな」

「……なにが言いたい?」

「キミが一番よくわかってるんじゃないかな。傷害罪は立派な罪だ。前科も着く。そして、その連絡はまず誰へ届けられると思う?」


 得意げに笑う明智先輩。

 八雲先輩もその先へ思い当たったのか、血相を変えて立ち上がる。


「――ふざけんじゃねぇよ、オイ。親父に連絡したって言いてぇのか?」

「そうさ。ついで・・・に浮気の冤罪をかけられていると相談したら、快く応じてくれたとも。キミが雇った弁護士についても、解約済と連絡を受けている。嘘だと思うなら今すぐ確かめてみればいい」


 明智先輩が楽しそうに事実を突きつける様を間近で眺めながら、絶対にこの人だけは敵にしたくないなと心の底から思う。


 今回、俺たちが見つけた勝機がコレだ。


 専門家曰く、過去の浮気の冤罪を晴らすのは証拠の調査が難しいとのこと。

 それは相手も同じなので、勝つのは難しくても引き分け以上に持ち込める算段は高い。


 ……が、ないはずの証拠をでっち上げて権力でどうにかしてくるのであれば、話が変わる。

 俺たちは負けの可能性まで背負わなければならず、疑いを晴らせない。

 だから守りより攻め――八雲先輩と更科が先に浮気をしていた証拠をかき集めていたのだが、そこへ舞い込んだのは八雲先輩が引き起こした傷害事件。


 傷害罪なら状況次第で刑事事件として立件も可能で、前科も着く。

 その上、現行犯で証拠を押さえてしまえば、もみ消すことも難しい。


 明智先輩はそこに目を付け、被害女性と取引をして被害届を提出し、議員である八雲先輩の父へ個人的にコンタクトを取った。

 傲慢な八雲先輩とは違い、父親は極めて理性的な人間らしい。


 だが、明智先輩からの相談を受けた八雲先輩の父親は激怒したとのこと。

 そして「後は私に任せてはもらえないだろうか」と頼もしすぎる一言で全てを引き受け、諸々のことを済ませてくれた。


 父親としてはすぐにでも八雲先輩をひっ捕らえたいとのことだったが、俺たちの事情に付き合ってもらう形で泳がせていた。


 つまり、八雲先輩にはなんの後ろ盾もないわけで。


「争いの体すら保てなくなったね。キミは一方的に狩られるだけの獲物さ。どうだい? 見下していた相手に一泡吹かせられるのは」

「…………ハッタリだな」

「強がるのは構わないけれど、私は懇切丁寧に事実を伝えたまでさ。キミは詰んでいる。傷害罪なら刑事事件にもなるだろうし、故意に浮気の冤罪を着せようとした罪も重い。三回生の、就職を控えたタイミングで前科がつくのは痛かろう?」


 クツクツと笑う明智先輩。

 立ち尽くす八雲先輩の手は、怖いくらいに硬く握られていた。

 隣に座る更科は話についていけていないのか、呆然と八雲先輩を見上げるのみ。


 しかも、その話し声は想定以上に広い範囲へと聞こえていたのか、食堂を利用していた人たちの注目が集中しているのがよくわかる。


 空気が、変わっていく。


「もうじきキミのところにこわーいお巡りさんと、激怒したお父様が訪ねてくる頃だろうね。だからこそ聞かせてくれよ、八雲。――今、どんな気分だい?」


 ここぞとばかりに煽ると、遂に八雲先輩も限界を迎えたのか盛大に拳をテーブルへ叩きつけた。

 バンッ!! と響いた音に、驚いたのは更科だけ。


 俺たちは一切顔色を変えず、冷たい眼差しを向け続ける。


 見下していたはずの相手からのそれが、八雲先輩には一番効くだろうから。


「……ねえ、八雲くん。なんでよ。大丈夫じゃなかったのっ!?」

「うるせぇなあッ!!」


 話について行けずとも、戦況が傾いたことを察した更科は八雲へ縋りつくが、溜め込んだ鬱憤を晴らすかの如く怒鳴り声を浴びせた。

 寸でのところで手が出なかったのは衆目の面前だからか。

 これ以上、罪を重ねない程度の冷静さはあったらしい。


「嘘だ。俺がお前ら程度の奴らに嵌められるわけがねぇ」

「寧々たちが嵌めたんじゃなくて勝手に自滅しただけじゃ……」

「寧々くん、正論は時に深く人を傷つけるんだよ。八雲の顔が真っ赤じゃないか」

「――――ッ!!」


 何を言っても上げ足を取られるだけと理解したのか、八雲先輩は二人を睨むだけに留め、ポケットからスマホを取り出しどこかへ電話をかけた。

 数回のコール音が消えたかと思えば、


「てめぇ、今どこに居やがる――」

『どの面下げて電話してんだよッ!! お前のせいで俺は専属弁護士をやめさせられたんだぞっ!! どう責任取るつもりだよっ!!』


 スピーカーにもなっていないのに、八雲先輩のスマホから響いてきた男の罵声。

 驚いたのかスマホを耳元から遠ざけるも、スマホからの罵声は止まない。


 八雲先輩が頼りにしていた弁護士が降りたことを理解させるにはじゅうぶんで、額に青筋を浮かべながら通話を切る。


「……どいつもこいつも舐めやがってッ!! 俺が誰だかわかってんのかっ!? 俺は議員の息子で――」

「小学生の頃、授業中にお漏らしをしていた八雲拓哉くんだろう?」

「ガキの頃の話なんざどうでもいいだろうがッ!!」

「おっと失敬。つい思い出してしまってね」


 煽る以外の用途を感じられない情報の追加で、周囲からは密かに笑い声が上がった。


 最早、八雲先輩を恐れる必要はない。

 誰が見ても終わりだとわかる。


「でも、〆るのは私より適任がいるね。そうだろう?」


 とん、と叩かれる肩。

 ここで俺に手番を回すのは後輩に花を持たせるためか。


 元々の目的は俺と皐にかけられた浮気の疑惑を晴らすこと。

 そのためには俺と皐が正しかったと信じられる証拠を示すしかない。


 そして、この場における正しさとは一体何かと聞かれれば、簡単に答えることは出来ないけれど――


「――八雲先輩。俺は更科を寝取られて、正直悔しかったですよ。更科のために色々やってきたのに、それで寝取られるとかふざけんなって。でも、俺を信じてくれた人がいるんです。明智先輩、海老原、そして……。みんな俺の、大切な友達です」


 俺の中では、自分を貫くことという結論に至った。


 何を言われようとも俺たちの関係性は変わらない。

 揺るぎない自信を見せることで、否定する意見を黙殺する。


慧さん・・・の言う通り、わたしたちがお付き合いしている事実は一切ありません。また、浮気の疑惑についても否定させていただきます。ですが、大切な友達であることには変わりません。ですから……皆さんも・・・・迷惑をかけるような言動は慎んでいただけると助かります」


 皐の援護もあり、急速に話が広まっていくのを感じた。


 俺たちを後押しするかのような雰囲気。

 正反対に、八雲先輩と更科へは疑惑の目が向けられる。


 築き上げてきた地位は崩れた。

 本性を隠していた仮面も剥がれ、もみ消そうとした悪事も暴かれた。


 頼みの綱の弁護士はもういない。

 権力の象徴だった父親も敵に回った。


「――――」


 よろめくように、八雲先輩が歩き出す。


 怒りで震えた声は、言葉として認識できずに消える。


 また一歩、足音がして。


「――黙れえええぇぇぇぇぇえええええぇぇッ!!!!」


 テーブルを押しのけ、八雲先輩が迫ってくる。

 助走。

 必死の形相で振りかぶった腕。


 狙いは……俺。


 こうなる予想は立てていた。

 だから俺の反応の早く、すぐさま立ち上がって受けの体勢を取る。


 どこだ、どこを狙ってくる?

 そんなの決まってるだろ。


 心底ムカつく奴をぶん殴るなら――


「……顔以外、あり得ないよなッ!!」

「――――ッ!?」


 顔面目がけて飛んできた八雲先輩の拳は、腕を交差させての一点集中で防ぎ切った。


 ……けど、腕がジンジンと痛みを訴えている。

 折れていないでくれよ?


「慧さんっ!」

「大丈夫だ、皐。それより……これって、暴行罪ってやつになるんだっけ?」


 腕を降ろしてから八雲先輩に問いかければ、呆然としたまま後ずさり。


 自分から決定的過ぎる材料を渡してしまったのだから、後のことなんてどんなに馬鹿でも想像がつく。


 目撃者は多数。

 味方はいないし、既に八方塞がり。


「……………………覚えてろよ、柏木ッ!!」

「っ! 待ってよ、八雲くん!!」


 捨て台詞を吐き捨てて食堂を去っていく八雲と、縋るように後を追う更科。


 逃げたところで意味はないけど……正直、退いてくれて助かった。

 あのまま激高して殴りかかってこられたらかなり怪しかったと思う。

 喧嘩慣れなんてしてないし、みんなを守り切れる保証はない。


 二人の姿が消えたところで、やっと俺たちは息をついた。


「……これでよかったのかな」

「わたしたちの疑いを完全に晴らせなくても、あちらへの信用が無くなれば、それは勝利と呼んで差し支えないかと」

「それはそうなんだけど、色々勢いで言っちゃった気がして」

「良いと思いますよ。わたしたちは友達ですからね」


 皐の微笑みで、俺はひっそり安堵して。


「それにしてもかっしー先輩、腕はだいじょぶなんですか?」

「海老原も心配ありがとな。ちょっと痛むけど、多分大丈夫だ」

「万が一があってはいけませんから病院に行きましょう」

「銀鏡くんの言う通りだよ。怪我をしていたら診断書を書いてもらうといい。慰謝料が上乗せできるはずさ」


 なるほど……と納得するのも束の間、周囲からまばらに拍手が聞こえてきた。

 その数は次第に多くなり、中には「よくやった!」などと褒め称える声も混じっている。


 なんだ、これは。


「……どうなってるんです?」

「甘い蜜を吸っていた八雲の身内は例外として、ほとんどの連中に嫌われてるようなやつだからね。それが失脚したとなればこの通り、拍手喝采を浴びて当然というわけだ」

「信用問題も解決ですね! あれだけのものを見せられてかっしー先輩が浮気したなんてデマを信じる人はいませんし、いたら白い目で見られるだけですから」

「その分注目されるだろうけど……私が知らない間に随分と仲良くなったみたいだから、心配無用みたいだね」

「ですよねえ。お二人とも、さりげなく名前で呼び合っていましたし? しかもあんなにすんなりと。普段から呼んでいないと、ああはならないんじゃないですかねー?」


 にやり。

 突く場所を見つけた二人の笑みが向けられる。


 ……嘘、名前で呼んでた?


 完全に無意識だったのは、知らずに熱くなっていたからか。


 そして二人とも、という言葉から察するに、皐も俺を名前呼びしていたわけで。


「……友達だし、まあ、そういうこともあるだろ」

「ええ、そうですね。友達ですし、名前で呼ぶのは不思議ではありません」

「だったら私たちも、今後はそうさせてもらおうかねえ」

「寧々もそうします!」


 なんて話し、笑い合い、日常が戻ってきたことを実感するのだった。


―――

話のまとめ方には賛否あるかもですが、どうかご容赦を。

法律的な部分のガバはあっても許して()


てことでエピローグ

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