第12話 何もできなかった情けない先輩からのお礼だよ

 週明けの夜。

 明智先輩が予約した個室のしゃぶしゃぶ店に俺と銀鏡、明智先輩、海老原の四人が集まっていた。


 席順は俺の隣に銀鏡、対面に明智先輩で、その隣に海老原。

 俺と銀鏡を並べたのは単に立場上同じ側の人間を固めた方が話しやすい、という程度のものだろう。

 決して揶揄う意図はない、と信じたい。


 初めて集まる面子ながら、不思議と険悪さはなかった。

 その代わり、異様なまでの緊張感を覚えているが。


 本日の議題は一つ。

 議長を務めるらしい明智先輩が、こほんと咳払いをして。


「全員揃ったことだし、キミたちの関係について聞かせてもらおうか。根掘り葉堀り……ね」


 メニューを広げる前に、その口火を切った。


「まずは単刀直入に訊こう。ずばり、柏木くんと銀鏡くんの関係は?」


 とうとう来たか、と俺は僅かに身を固くする。

 銀鏡の間では二人から聞かれそうな事柄について、既に口裏合わせが終わっていた。

 これもその一つで、迷う必要はない。


「友達ですよ」

「だとしても、男女二人きりであんな場所に来ますかね」

「わたしが誘ったからです。一人で行くには勇気が足りなかったものですから」

「スイーツバイキングに女性一人で立ち入る勇気、ねえ。慣れない人が入るには少々ハードルの高い店なのは認めるよ。真偽はどうあれ、ね」


 ああ、これ疑われてるな。

 元より、こんな問答で認めてくれるとは思ってなかった。


 接点があったのならまだしも、俺と銀鏡の間に何一つとしてそれらしい関係がなかったのは明智先輩なら推測できる。


「かっしー先輩とあの銀鏡先輩が友達……にわかには信じられませんね」

「ですが、事実です。柏木さんはわたしにとって唯一といっていい友達ですよ」

「銀鏡くんの発言を信じていないわけではないよ。ただ、そこに至るまでの経緯が見えないから疑ってしまうんだ。よければ二人の馴れ初めを聞かせてもらえるかな」

「馴れ初めって……付き合ってるわけじゃないんだから大袈裟ですよ」

「でも、こんな美人が彼女になったら柏木くんとしてはまんざらじゃないだろう?」

「今はほんとに彼女とか恋愛とかはいいので……」


 肝心の答えをぼかしながらも、正直な感想を答える。

 銀鏡が彼女になったら嬉しいかもしれないけど、俺みたいな小市民だと気後れが先に来そうだ。


 周りからは「なんであんなやつが」と妬み嫉みの視線をぶつけられることだろう。

 そんな日常を享受してまで銀鏡と付き合いたいか聞かれると、答えに窮する。


「わたしと柏木さんが仲良くなったのはつい最近、ちょうど食堂で騒ぎがあった日の夜です。バッティングセンターで知らない男性に絡まれていたところを助けていただいて、それで」

「……夜にバッティングセンターでお二人が出会って、かっしー先輩が銀鏡先輩を助けて仲良くなった?」

「偶然にもほどがあるし、色々言いたいことはあるけど……銀鏡くんの表情を見るに、嘘はついていなさそうなんだよねぇ」

「なんで銀鏡に限定したんですか」

「柏木くんの顔を見ても面白くないじゃないか」


 真実は時に人を深く傷つけるんですが?

 逆に面白い顔って言われたら困るところではあるけども。


「すみません、銀鏡先輩。寧々も質問いいですか?」

「構いませんよ。そのための場ですから」

「ではでは。失礼を承知で言わせていただきますが……正直、寧々は銀鏡先輩が美人局とかの、かっしー先輩へ害を成す存在である可能性を捨てきれないでいます」

「寧々、それは――」

「柏木さん、いいんです。続けてください」


 そこまで疑うのはいかがなものかと声を上げるも、銀鏡がそれを止めてしまう。


 美人局……俺も当初、銀鏡に対して抱いていた疑念の一つだった。

 今となっては俺相手にそこまでするメリットがないため疑いを捨ててしまったが。


 それは俺と銀鏡の間に契約があることを知っているからで……目の前の二人には明かせない情報だ。


「銀鏡先輩は見ての通りの美人です。寧々も初めて見た時は芸能人とかモデルとか、そっちの人だと思いました。それほど容姿に優れる銀鏡先輩が、わざわざかっしー先輩と一緒にいるのはいささか不自然さを感じます」

「……それは柏木さんとわたしが不釣り合いだと言いたいのでしょうか」

「んー……まあ、そうですね。ああでも、かっしー先輩がいい人なのは寧々も良く知ってます。そのかっしー先輩に本当に友達が出来たのなら喜ぶべきだとも思います。ですが、一番の問題はタイミングです。恋人を寝取られた直後に偶然出会って、助けてもらってから仲良くなったと言われても、寧々としては納得しかねるところがあります」


 寧々の意見はもっともだ。

 俺も他人からこんな話を聞かされたら出来過ぎにもほどがあると思うだろう。


 ただ――俺と銀鏡は嘘にならない事実を述べているだけ。


「俺が彼女を寝取られて傷心気味なところを狙って銀鏡が偶然を装い接触してきたのでは、と海老原は言いたいのか?」

「ちょっと悪意に寄っている気がしますが、そうですね」

「……もし仮に、銀鏡が筋骨隆々とした男だったらどうだ?」


 真面目に聞くと、明智先輩だけが噴き出しながら笑っていた。

 銀鏡は俺を訝しげに見つめ、海老原は目を丸くする。


「あははっ、いいね、その仮定の話は。物事をフラットな状態で俯瞰するには丁度いい。寧々くんが銀鏡くんを疑っているのは女性として優れた容姿をしているからでは、と思ったのかい?」

「そんなとこです。俺も女子大生が夜に一人でバッティングセンターにいるなんて、あんまりない状況だと思うので」

「そうだね。じゃあ、考えてみようか。夜、バッティングセンターに一人でやってきた冴えない男子大学生が一人。筋骨隆々とした顔見知り程度の同期の男子大学生が不審者に襲われていたところを助けて、交流が始まる――うん、実にあり得る流れだ」


 うんうんと頷く明智先輩。

 海老原は唸りながらも「……それなら、まあ」と納得を示す。


「寧々くんは男女の組み合わせだから疑ってしまっただけだろうね。特に柏木くんは恋人を寝取られた直後だ。そういう疑念を銀鏡くんへ持ってしまうのも仕方ないことと言えるだろう」

「……そう、ですね。すみません、銀鏡先輩。かっしー先輩がまた悪い女に騙されていないかと心配で、つい」

「大丈夫ですよ。柏木さんの友人であるなら然るべき疑問だと理解しています」


 これで海老原の疑問も解けたか。

 一時はどうなることかと思ったけど、いい方向に着地しそうでよかった。


「……そろそろこの話し合いを終わらせてもいいですか? 美味そうなしゃぶしゃぶを目の前にお預けは限界ですよ」

「食いしん坊だね、柏木くんは。でも、その意見には賛成だ。話すだけでは腹は膨れないからね。寧々くんは二人に聞きたいことはもうないかい?」

「大丈夫です」

「であれば柏木くんと銀鏡くんは友人関係ということで、この話は終わりとしようか」


 明智先輩の宣言に、異議なしとばかりに他の三人が首を縦に振る。


 ……これで二人に隠す必要がなくなった分、気が楽になったな。

 代わりに俺と銀鏡が友達だと明言されてしまったわけだが、そこに関しては撤回しようとは思わない。


「それじゃあ、ここからは楽しい夕食の時間だ。今日は私の奢りだから好きに食べたまえ」

「いいんですか?」

「これくらいの見栄は先輩として張らないと」


 ふふん、と笑う明智先輩へ俺と海老原が間髪入れずに「ありがとうございます!」と頭を下げる。

 それでさらに明智先輩は気分を良くして笑っていた。


 しかし、そのノリについて行けない者が一人。


「……わたしまで奢っていただいていいんですか?」


 不安そうに申し出たのは銀鏡。

 そりゃあ銀鏡からしたら自腹でも問題ないだろうし、いきなり奢られるのも悪いと思ってしまうかもしれない。


 でも、明智先輩は「いいのさ」と当然のように口にして。


「こういうのは大人しく奢られる場面だよ。大した仲でもない相手に奢られるのが怖いのなら……そうだね、柏木くんの迷惑料だと思ったらいい」

「迷惑料って……俺は別に銀鏡に迷惑をかけては――」


 いない、とは口が裂けても言えないかもしれない。


 食堂の件も、講義室で更科に言いがかりをつけられたことも。


 銀鏡も納得しきれていないのか渋い顔をしていたが、


「柏木くんはね、いいやつなんだ」


 おもむろに、明智先輩が口にする。


 直球の、飾らない誉め言葉に、少しだけ頬が緩んでしまったのは許して欲しい。


「……それはなんとなく、わかります」

「私みたいに胡乱な先輩にも敬意を持つし、困っている後輩がいればわが身を顧みずに助けるし、恋人を寝取られても復讐心に燃えて変な気を起こしたりもしない。そんな後輩と仲良くしてくれる銀鏡くんへの、何もできなかった情けない先輩からのお礼だよ」

「……であれば、遠慮なく頂きます」


 そんなわけでやっとメニューへ目を通した俺と海老原だけが値段の高さに驚き、それでも奢りだからと遠慮なく頼み、腹いっぱいになるまで飲み食いしたところで――


「――提案なんだけど、親睦を深めるために四人で遊んでみないかい?」


 明智先輩からなされた提案は、反対ゼロで可決されるのだった。

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