第11話 『イチャイチャ』というものの正体
「お先上がります。お疲れ様でしたー!」
「お疲れ様、柏木君。残りの日も頼むよー」
休日の午後三時前。
朝から入っていたガソリンスタンドでのバイトを終え、日に日に強さを増す太陽の下を歩いて帰路に着いていた。
帰ったらとりあえず昼飯を食べよう。
自炊……してもいいけど、たかが昼飯にそこまでの手間をかけたくない。
常備しているカップ焼きそばにしよう。
普段は貧乏大学生だが、今月は銀鏡からの報酬でそれなりに余裕がある。
だから贅沢をしようとはならないけど、銀鏡に呼ばれたら基本的に一食ついてくるため、俺の食事情は飛躍的に向上していた。
神様仏様銀鏡様……とか本人の目の前で言ったら冷たく「やめてください」って言われるんだろうな。
でもまあ、それくらいの感謝は本当にしている。
「今日はどうだろうな。呼ばれるか、呼ばれないか」
銀鏡のそれはおよそ三日に一度というくらいのペースだ。
昨日はなかったから、いつも通りなら今日か明日に呼ばれると思う。
休日だしバイトの予定も伝えてあるから銀鏡次第ではあるけど――なんて思っていると、スマホが着信を告げた。
相手は銀鏡。
しかも、珍しくメッセージではなく通話だ。
「もしもし、銀鏡? 電話なんて緊急の用事か?」
『時間通りバイトが終わったか確認するならこちらの方がいいかと思いまして。これから時間はありますか?』
「ちょうどバイトも終わったところだから問題ない。どこに行けばいい?」
『では、いつも通り駅で、三時頃の待ち合わせにしましょう。少々、甘いものが食べたくなりまして』
「了解」
どうやら三時のおやつをご所望らしい。
銀鏡も女性の例に漏れず甘味好きのようだ。
俺も好きな方だけど、高いからって理由であまり食べなくなっていた。
一体どんな店に連れていかれることやら。
……着替えとかした方がいいか?
若干汗もかいてしまったし、銀鏡に不快な思いはさせたくない。
そうと決まれば急いで帰ってシャワー浴び、着替えて駅へ直行する。
時間的にはかなりギリギリだが待ち合わせには間に合い、俺よりも先についていた銀鏡の姿を見つけた。
白シャツにデニム生地の上着を羽織り、下はカーキ色のロングスカートという出で立ちの銀鏡。
ややカジュアルに寄せた服装も見事に似合っていた。
「待たせたか?」
「――いえ、待ち合わせより早く来ていたのはわたしですから。いきましょうか」
合流して一言交わすなり、銀鏡の先導でホームへ。
「どこまで行くんだ?」
「二駅ほど隣までですね。スイーツバイキングのお店です」
「……てっきり喫茶店的なところかと思っていたら男には縁遠い店だったか」
「男性が一人で入るのはハードルが高い、という意味ではそうかもしれません。ですが、今時スイーツ好きの男性も珍しくはありませんよ?」
それはそうだが、話を聞くに利用者の大半が女性なんだろう?
そんな店に銀鏡と一緒とはいえ入ることになるとは……ちょっと緊張する。
「女子会や、カップルのデートスポットとしても人気みたいですが」
「……男女二人で行ったらそういう目で見られるの、本当にアレだな」
「広義の意味では男女が二人で出かけることをデートと呼ぶみたいですから、柏木さんの心配は今更ですよ」
「俺と銀鏡じゃ恋人同士には見えないってか? まあ、それについては反論する気はないけども」
どうやったって平凡な男子大学生の俺と、控えめに言って美人の銀鏡ではまるで釣り合っていない。
俺も勘違いするつもりはないし、そういう振舞いを期待されても困る。
話している間に停車した電車に乗り込み、二駅移動して降りる。
それから銀鏡の案内で例の店へ向かい、二時間食べ放題のプランで中へ。
甘い匂いがほんのりと漂う店内。
店員さんに通された席で周りを見渡すと八割くらいは女性の利用客で、のこりは女性の付き添い……もとい、恋人と思しき男性だ。
なぜ恋人だと思ったのかと言えばケーキをお互いに食べさせ合っていたり、遠目に観ていてわかるくらいに甘ったるい雰囲気を感じたから。
こんなに人目がある場所でよくもまああんなにイチャイチャできるものだと冷めた目で見てしまいそうになるが、俺も彼女がいた頃はああだったのかもしれない。
恋愛は多分、幸せな夢と同じなんだろう。
見ている間は楽しくて、周りのことなんて気にならない。
でも、覚めてしまえば急に冷静になる。
「食べ放題は二時間ですから、早いうちに取りに行きましょうか」
「そうだな」
席は利用者ごとに固定だから取られる心配もない。
それでも念のため大事なものは持ち歩き、バイキングの列に二人で並ぶ。
スイーツバイキングと言うだけあって、かなりの種類のスイーツがずらりと取り揃えられていた。
大雑把にはケーキ、フルーツ、ゼリー、プリン、焼き菓子――とにかく、色々だ。
ほとんどが一口大なのは色んな種類を楽しむためだろう。
でも、腹いっぱいになるまで食べたら胸焼けしそうだな。
「三時のおやつならちょうどいいのかもしれないけど、昼抜きでこれは失敗したな」
「……柏木さん、お昼を食べていなかったのですか?」
「帰ったら食べようと思ってたんだが、その前に銀鏡から呼ばれたもので」
「そういうことは先に言ってください。それくらいは待ちます……というか、お昼はちゃんと食べてください」
「バイト中は結構忙しくてさ。次回からはちゃんと伝える」
「であれば、食べ放題が終わってからちゃんとした夕食……は、ちょっと早いですかね。どこかで時間を潰して、その後で夕食も済ませてしまいましょう」
「いいのか? なんか悪いな、俺の都合なのに」
「元を辿ればわたしの都合です。それに、こんなことで契約解除の材料にされたらたまりませんから」
心配するところがそこなのは銀鏡らしい。
いいご身分なのは俺だと思うけど。
スイーツは銀鏡の提案で、それぞれ別の種類を皿に取る。
こうすれば、席で分けあえるって寸法だ。
「食べる前に写真を撮りましょう」
「SNSに上げるためのやつか?」
「単なる思い出代わりです。ああいうSNSは見るの専門なので」
「確かに銀鏡がああいうキラキラした投稿をしてるイメージはないな」
「……華がない、と言いたいのでしょうか」
やや不服そうな銀鏡の表情。
そんな意図はなかったんだけどな。
「そうじゃない。銀鏡は自己顕示欲を満たすためにあれこれするタイプじゃないよな、と思っただけだ。あと、銀鏡自体が華みたいなものだし――」
そこまで言って、慌てて口を噤む。
しかし、色々手遅れだった。
銀鏡の表情がキョトンとしたものになる。
目線は真っすぐ俺へ向いていて、心の中を見透かされているようで胸が痛い。
これじゃあまるで俺が銀鏡を口説いているみたいじゃないか。
「あの、だな。今のは言葉の綾っていうか、流れで言っただけで、意味合いとしては単純に銀鏡が綺麗ってだけで……」
あ、これもダメじゃね?
普通に褒めているだけでも彼女を寝取られ重傷を負った恋愛思考回路では、容易く被害妄想へ発展してしまう。
既に銀鏡の顔を見るのが怖かったが、真正面に座っている以上、顔を逸らすのはわざとらしい。
だから視線だけを僅かに外して、視界の外側で銀鏡の様子を窺うことにしたのだが――
「もういいです」
届いた一声は、心なしか笑っているように聞こえた。
少なくとも怒っているようには感じない。
銀鏡へ視線を戻すと、口元に手を当てながら微笑んでいる姿が映った。
「恐らく柏木さんはわたしが怒ると思ったのかもしれませんが、わたしからしたら怒る理由がありません。口説くとか、そういう意図での言動ではないことくらいわかります。そして、わたしもそのくらいで勘違いするほど自信過剰ではありません」
「……そりゃありがたいな」
「それに、友人関係であれば綺麗などと伝えても不快にはならないでしょう。わたしとしては変に繕われる方が嫌ですね」
「そういうものか。次からは気を付ける」
一言付け加えると「そうしてください」と素っ気ない返答があって……銀鏡の視線が右往左往する。
なにかを迷っているような、そういう雰囲気。
「言いたいことがあるなら、この際はっきり言ってくれ」
「……そう、ですね。では、言わせていただきます」
改まった様子で咳払いをして一瞬だけ俯き、顔を上げる。
「これは言葉通りの意味として受け取っていただきたいのですが……さっきのような会話を世の中の恋人はするのでしょうか」
「…………ふむ?」
「恋人同士のそういったやり取りは目にしたことがありますが、当事者のような経験をして、ふとこれが『イチャイチャ』というものの正体なのかと考えてしまいまして」
真面目な顔をするから何を言い出すのかと思ったが、銀鏡の口から『イチャイチャ』なんて言葉が出てくるとは想定できなかった。
「間違ってないと思うけど、熟年夫婦みたいな方向性だった気がする。初々しい恋人はあんな感じだし」
ちらり、と別の席にいるカップルらしき人物へ視線を送る。
人目もはばからず食べさせ合い、意味もなく微笑みながら時間を過ごす男女の姿。
ちょうど大学生くらいの年齢だ。
ああいう飾らない好意を向け合うのが、若い恋愛って感じがする。
「……なるほど。わたしたちとは明らかに違いますね。心底から楽しそうで、お互いを愛しているのでしょう。でなければあのような表情にはなりません」
「だなあ。俺たちはよくて友達だ。それもそれで悪くないけど」
「同意です」
こくり、と銀鏡は首を振る。
疑問は晴れた……と思ったのに、銀鏡の視線はまだ俺に固定されていた。
「……まだなにか?」
「物欲しそうに見えていたならすみません。ただ、契約の一環として柏木さんに恋人風のやり取りを頼んだら、していただけるのかなと考えまして」
誤魔化す気のない言葉選びに、思わず吹き出しそうになるのを何とか堪えた。
銀鏡と俺が恋人みたいなやり取りをする?
冗談みたいなもしもの話だ。
「……どうしてもって頼まれればやぶさかでもないが、なんでまたそんなことを」
「独りの時は理解が出来ませんでしたが……柏木さんと関わるようになってから目にすると、少しだけ楽しそうに見えたもので」
そう語る銀鏡の目には、明らかな憧憬の念が滲んでいて。
出来ることなら叶えてやりたい、と思う反面、それは事故の元だと自分を戒める。
「安心してください。本気で頼む気はありません。勘違いをされたら困るのはわたしですから」
「……それ聞いて安心したわ」
「雑談はこれくらいにしましょう。ケーキを食べる時間が無くなってしまいます」
そうだな、と盛り付けてきた皿へ視線を移し――
「瑛梨先輩! すごいですよ! スイーツがこんなにいっぱい!」
「寧々くん、あまりはしゃぐと危ないよ。慌ててもスイーツは逃げないからね」
聞き覚えのある声と名前が、言い訳出来ないくらい鮮明に耳に入ってくる。
まずい、と視線が勝手にそっちを向き、その人を目にして頭を抱えた。
「どうかしましたか?」
「実は知り合いが来たっぽくて」
「…………どちらの方ですか? 視線だけで構いません」
「……あれだ」
視線を逸らすと、銀鏡が身体を捻ってまで確認する。
その瞬間、二人もこっちを見て。
明智先輩と海老原の目が、俺と銀鏡を捉える。
どうか偶然であってくれと心の中で祈るも、にやけ顔に変わった明智先輩と驚きを表情に滲ませた海老原を見て、諦めた。
直後、スマホに届いたメッセージが二つ。
明智先輩からは『後で話を聞かせてもらうからね、柏木くん?』という逃げられそうにない呼び出し。
海老原からは『かっしー先輩と銀鏡先輩ってどういう関係なんですかっ!?』というド直球の問い。
これはもう、誤魔化せそうにないな。
「……悪い、銀鏡。バレた」
俺のせいではないとしても謝ると、銀鏡は軽くため息をついて。
「…………バレたものは仕方ありません。そのお二人は柏木さんから見て信用できる方ですか?」
「ああ。数少ない俺の友達だ」
「であれば口止めの機会を設けましょう」
「あっちも事情を聴きだす気満々らしいから、その時でいいか?」
「ええ。口裏合わせには付き合ってもらいますからね」
「もちろん」
気を取り直してスイーツバイキングに望んだが……同様のせいか、味がまるで分らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます