「君が恋しているのは、ただの殺人鬼だ」

 みゆりさん家の前。一息吸ってインターホンを押す。すると、「ちょっと待って」と亜美さんの返事が返ってくる。


 みゆりさんとはデート以来、亜美さんとはカフェ以来会っていない。だから、関係が変わるようなことは何もなかったけれど、芽依花の告白のおかげで返事が決まった。


「お待たせ、入りな」


 亜美さんは黒色のタイトニットトップスに身を包んだ休日コーデで出迎えてくれる。腰のくびれがアーチを描いていて、ボディラインがものすごくキレイ。


「お邪魔します。今日、みゆりさんは?」


「しーっ、あの子今ちょうど寝てるから。さっさと終わらせて寝顔でも拝んできな」


 口元で爪の伸びた人差し指をピンと立てる。こう言う子供らしい仕草が可愛らしい。


「それで、どうする?」


 ソファに座り、単刀直入に聞いてくる。俺もそれに応えるように口を開いた。


「ごめんなさい、亜美さんとは付き合えません。俺のことを思ってくれてるのは分かってます。多分、みゆりさんにとってもそれが1番だとも思います。でも、みゆりさんが好きって気持ちに嘘は尽きたくないんです」


 これが俺の答えだった。亜美さんに甘えて、好きなふりをするのは簡単なんだと思う。けれど、捨てられた俺を助けてくれたのはみゆりさん以外の誰でもなかった。


「そっか。なら無理強むりじいはしない。一途がしんどくなったらいつでもいな。甘い言葉で慰めたげる。押し倒されるのはごめんだけど」


「しませんよ……」


 わざとらしく笑うのは、俺への申し訳なさをなくすためなんだろう。芽依花めいかと比較しても大人なんだって感じる。


「んー、おはよ。あれっ? 晴人……くん? なんで?」


 黄色い寝巻きを着たみゆりさんが目を擦って登場した。どうやら神は、寝顔は拝ませちゃくれないみたい。


「どうも、お邪魔してます」


「……何かあったの?」


 まだ起きて5分もしてないだろうに、俺への心配をしてくれる女神。ヘソのチラリズムがこれまたそそる。


「いえ、ちょっと亜美さんに用があって。それよりみゆりさんは今日何か用事ですか?」


 寝ぼけているのを生かし、あからさまに話をすり替えた。


「今日は久しぶりに映画見に行くんだー」


 ふぁー、と欠伸しながら左腕を伸ばして胸を張る。ムンムンと漂う魅力が留まることを知らない。


「彼氏とですか?」


 諦めてないわけじゃないけど、何も知らずに指を咥えているつもりもない。冗談混じりで質問する。


「あはは、私彼氏いないよ? あー、お腹減った。なんか朝ごはん作るけど二人とも何かいる?」


 彼女の返事に時間が止まる。2人が固まっていることに違和感を覚えたのかみゆりさんは首を傾げる。でも、気にする余裕はなかった。みゆりさんに、彼氏がいない? みゆりさんのご厚意には返事をせず、質問を重ねる。


「いつからいないんですか?」


「うーん、そうだな、高校生の時に半年ぐらい付き合った子はいるけど、しっかり付き合ったのはその子だけだよ」


 みゆりさんの言葉に亜美さんを睨む。きっと、言わない方がいいんだろう。何もなかったようにこの場をやり過ごして、あとで話し合うのが最善。でも、そんなの知ったこっちゃない。


「亜美さん、いくらなんでも、それはないでしょ……。俺、どれだけ苦しかったと思ってるんですか…………」


「違っ……ちょっと待って、私は君のことを思って、」


 いやいや、なに正当化しようとしてるんだ。まずは謝るのが当たり前じゃないのか?


 俺は亜美さんの言葉を遮って声を上げる。いつもなら俺の弱さが邪魔して声ひとつ出せないのに、なんの神の悪戯か、今日は思っていること以上の言葉が出てきた。


「俺を思ってるならもっとやり方ってもんがあったでしょ。傷つけて、みゆりさんから遠ざけて、それで何も無かったみたいに終わり。それが俺のためだって言うんですか? 好き勝手しすぎでしょ」


 叫ぶって言うには程遠くて、ただ冷たくて鋭い氷柱つららのような言葉が流れ出るだけだった。氷柱によって凍った空気の中、先に口を開いたのはみゆりさんだった。


「晴人くん、何かあったの? 亜美もどうかした?」


 俺の怒りで目が覚めたのか、みゆりさんはいつもの声色で俺の肩を掴む。でも、俺の視線に彼女はいない。


「なんとか言ってくださいよ」


「……私が嘘をついたのは認める。本当にごめん。でも、君のためなんだよ。みゆりに助けられた子は、みんな傷ついていくから」


「そのために俺を傷つけてちゃ意味ないでしょ。そんなに俺とみゆりさんを引き剥がしたいんですか?」


 亜美さんが答える前にみゆりさんが割り込んでくる。


「ちょっと待って!」


 みゆりさんの肩を掴む力が強くなる。爪を立てるようにつかむ手は不自然なぐらいりきんでいて、瞳は時折見せる悲しい目をしていた。


「じゃあさ、私の周りから皆んなが離れて行ったのって亜美のせいなの? 紅葉もみじちゃんも、あかねちゃんもたけるくんも、私から皆んなを引き剥がしてたの?」


 みゆりさんの瞳に俺は映っちゃいない。初めて見た、みゆりさんの怒りの感情。俺の怒りは驚くほど急激に冷める。弱い自分が追いついたみたいに喉が詰まって、声に出すことすら憚られる。


「もしかして……ひかるくんだって、亜美のせいなんじゃないの?」


「違う、違う、違う! 本当は分かってんだろ!? 光はお前が殺したんだよ!」


 何がどうなって……殺したって? みゆりさんが? 頭の中では疑問符が乱立する。


 というワードが出た途端、亜美さんが立ち上がり、みゆりさんと向かい合う形になる。止めた方がいいんだろうけど、足がすくんで動けない。


「そんなこと…………」


「あるんだよ。全部、お前が壊したんだ。だから、壊れる前に引き離そうとした。晴人くん、君が恋してるのは、ただの殺人鬼だ」


 地に足をついている感覚がしない。ぐにゃりと音を立てて歪んでくみたいに、知ってる世界が壊れてゆく。


「嘘、ですよね。みゆりさんは人殺しなんかじゃないですよね?」


 彼女の背中にそっと触れる。けれど、「ごめん」とただ一言そう言って、家を飛び出ていった。亜美さんと2人、気まずい空気が流れる。俺たちだって、喧嘩が終わったわけじゃない。


「説明してもらっても、いいですか?」


 亜美さんはポンポンと、ソファを叩き、俺を座らせる。


「少し長くなるけど、全て話すよ。君を含めて助けた男子は2人って言ったでしょ。でもあの子はもう1人、高校生を助けてた」


 耳に入る言葉に、俺は唾を飲むことしかできない。俺が亜美さんと初めて会った時、男子高校生は久しぶりだって言ってたじゃないか。嘘だって気づけたはずなのに、気づけなかった。


「あの子は、甘い言葉をかけられて、案の定光は惚れた。でもね、それはあの子の嘘。あの子は告白してきた光に嫌いって言ったの。そのせいで光は首を吊った」


 あまりにも現実離れした話。けれど、みゆりさんとデートした日、告白寸前まで経験したからわかる。みゆりさんに嫌いなんて言われたら、おそらく俺だって耐えられない。


「光は、比喩でも何でもなく、本当にあの子が全てだったからなんだと思う。私は、光の一部にすらなれなかった」


 亜美さんは一度話すのを止め、涙を堪えんばかりに下唇を噛む。みゆりさんが全てだと思ったことはある。山内からハメ撮りが送られてきた日には、同じことを思った。急に自分のことのように思えて背筋が凍る。


「光は家族とか友達よりあの子を選んだ。他の人は家族を選んで、離れていくんだけど」


 彼女から人が離れていく理由は分かった。つまり、みゆりさんと他の誰かのどちらかを選んでいく中、彼女は選ばれなくて、んだ。


「これで話は終わり。多分みゆりは車庫の裏にでもいるよ。行ってきな」


 疲れた声で亜美さんは俺に笑いかける。でも、その目には薄い涙の幕が張っていて、立ち上がるのを躊躇ためらう。


「大丈夫ですか?」


「早く行きな」


 自分の顔が歪んでいるのがわかる。みゆりさんと付き合いたいなら亜美さんに従うべきなんだろう。


 俺は無言で立ち上がって亜美さんに背を向ける。送り出してくれたんだろ、踏み出せよ。そう鼓舞して玄関のドアノブを掴む。


 ただ、背中に刺さる亜美さんの啜り泣く悲鳴が手を止めた。なぜ、嘘ついて引き剥がそうとしてた人が、俺を後押しするんだ?


 はたと思い、そして気づく。亜美さんは、俺とみゆりさんを引き剥がそうとしながらも、俺の意志を尊重してくれていた。本気で決別させるなら、もっと強引な方法だってあったはず。そう思った時には、靴を脱いでいた。


「なんで戻って来てんのよ。バカ」


 睨む瞳からは涙が溢れていて、悲しみでくしゃくしゃになった顔にいつもの迫力はない。俺はさっきみたいに隣に座る。


「全部話してくれるんでしょ?」


 そう言うと、亜美さんは少し迷った後、ゆっくりと話し始めた。


「私さ、君とひかるを重ねてた。似てたの。雰囲気とか、口を開けばあの子の話をするとことか、そのくせして私にも優しいとことか」


 亜美さんは光くんを失った贖罪を、俺で償おうとしていたんだ。亜美さんは自分の手に爪を立てる。


「私、光のこと好きだった。初めて出来た好きな人だった。でも、光はあの子が好きで…………私じゃダメだったのかな? 光が死んで、どうしようもなくなって。なんで、何もしてあげられなかったんだろうって」


 涙は頬を伝って垂れてゆく。背中を丸めて嗚咽を抑える姿に、いつものカッコよさは感じられない。何も言えなかった。俺が何を言ったって、所詮は他人の慰め。そんなのに、意味なんかない。


「この想いをどこに捨てたらいいのか分かんなくて、忘れてたはずなのに……なんで、こんなにっ……息苦しいのかな……?」


 俺は亜美さんの背中をさすってやる。息苦しくて、生き苦しくて。彼女はその後もひとしきり泣いた。漏れる嗚咽は吐き出した想いで、流した涙は叶わぬ願いなんだろう。


「あーっ、なんか、今になって失恋したなぁ」


 目をパチパチさせて、未だ溢れる願いを乾かさんとする。そのままカラコンもとって、手首についていたアクセサリも外す。


「この格好、光の好きなタイプに合わせたんだよ。結構ピュアでしょ、私」


「それ自分で言うんですか……」


 カフェでは言えなかったツッコミがぽろっと漏れる。彼女の目には、まだ涙が光っている。亜美さんは不器用に鼻水を啜って、俺の背中を叩いた。


「次は君が失恋してくる番だから!」


「なんで振られる前提なんですか……」


 彼女は「もう大丈夫」と強がって笑う。そして、ポケットからタバコを取り出して口に咥えた。俺は身を翻して、もう一度みゆりさんの元へ向かう。


 彼女が咥えるタバコに、火はついていなかった。

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