「大丈夫。きっと全部上手くいく」

 夏休みも終盤に差し掛かり、蝉の声もだんだんと勢いが落ち始めてきた。俺とみゆりさんと夏祭りデート。


 りんご飴はまだかと待ち侘びる横顔は、可愛いと美しいを足した挙句、2乗したぐらいの魅力がある。


「花火までまだ時間あるよね?」


「そうですね。席を取ること考えても30分ぐらいは」


 花火といえば初キス。花火に照らされるみゆりさんの横顔を想像するだけで心臓が苦しくなる。


「じゃ、射的する?」


「いいですね」


 りんご飴を買い終えると食べ歩きしながら射的の方に向かった。隣から、飴の甘い香りが漂ってくる。みゆりさんはぺろっとコーティングされた赤いガラスを小さな舌で舐める。こっちを向いて「あーげない」なんて、赤に染まった舌を出されたら照れるに決まってる。


 皆んなは食べ物系に並んでいるのか射的は比較的に空いていてすぐに出来た。二人分のお金を払い、コルク銃を貰う。


「取って欲しいものとかあります?」


「私の手を取って欲しいかな」


「……照れるからやめて下さい」


 頬が紅潮するのをかんじながらクマのぬいぐるみにエイムを合わせる。今の俺に死角は無い。


––––パンっ!


 一発目は的の少し下。続けて二発目はかすっただけ。最後の三発目に全てを賭ける。


––––パンっ!


 見事、俺の放った弾は景品に当たることなく奥の壁にぶつかった。無いのは死角じゃなく、資格と視覚だったみたい。


「甘いよ晴人くん、私に任せといて」


 みゆりさんはカバンから俺がプレゼントしたスカーフを髪に巻き、ポニーテールのようにして後ろで結ぶ。赤色の着物も相まって既に俺の恋心は撃ち抜かれている。


 土台にスナイパーのように肘をつき、背中を曲げて腰を突き出す。これ以上は課金しないと見れないタイプでは? と、危なげな思考をよぎらせながら弾の行く末を見届けた……。




「一発も当たらないなんて思わなかったなー」


 みゆりさんはケラケラと笑う。射的で分かったのは二人してセンスが無いことだけだった。


 花火を見ることのできる芝生の下で、小さなレジャーシートを広げて肩を寄せ合う。空は既に3番星ぐらいまでが光っていて、皆んなが思い思いに喋っている。


「なんの話しよっか?」


「そうですね……」


 キスしたい俺からすればこの選択でムード作りが成功するか否かが決まる。なら、格好を付けない手はない。


「みゆりさんのこと、もっと知りたいです」


 正面切って言う勇気は無いのでみゆりさんの鼻頭を見つめながら言うと、なんでも聞いて、と笑いかけてくれる。その上、俺の右手に左手が添えられる。この仕草一つで幸せになれる。


「みゆりさんの実家ってどこなんですか?」


「生まれも育ちもここら辺かな。晴人くんは?」


「俺もですね」


 出来れば、いつか挨拶しに行きたい。夢物語かもしれないけど、そうやって笑い合えたら理想だと思う。


「みゆりさんって料理お上手ですよね。弟さんとかいるんですか?」


 前々から聞こうと思っていたのだ。亜美さんや俺の分までご飯を作ってくれたり、掃除をしたりと、家事については文句のつけようがない。気配りも出来るところを見るに下の子がいてもおかしくない。


「私は一人っ子だから、弟はいないかなー。料理は……ほら、私、母親いないから」


 さも気にしていないように笑う。けれど、俺はひどい顔をしているんだろう。今までの熱がどこかへ消えてしまう。何がキスだ。浮かれすぎだろ。


 本人が地雷と思っていなくたって、土足で踏み荒らしたのは事実だ。どう考えたって、今のは俺が悪い。


「小学校上がった時かな、お母さん、他の人と子供作って出て行っちゃった。それから顔も見てないからもう、どうも思わないんだけどね」


 少なからず傷ついているはず。なのに、どうも思わないだなんて、俺を気遣って……。弱い自分は克服したと思っていたけど、思っているだけだった。


「暗い顔しないの。お母さんがどっか行ってくれたおかげで晴人くんに料理の腕褒められたんだよ? お釣りが出ちゃうぐらいだよ」


 彼女の優しさに涙が出そうになって、必死に抑える。俺はまだまだ子供で、みゆりさんはずっとずっと大人で。届かない距離を背伸びした分、彼女の遠さを理解する。


 きっと、俺が彼女の隣に立つ日は来ないのだろう。みゆりさんは、月のように彼方にいて、今はたまたま雲が晴れて見ることができているだけ。そんなように思えた。


 ––––ヒュー…………パンッ!


 花火の音に反応して、辺りの人も「わぁ」と感嘆の声を漏らす。待ち侘びていたはずなのに、始まってしまったとすら感じる。


 みゆりさんが気にするなって言うんだから引きずる方が失礼な話だけど、男としての力不足も相まって、俺は声を出せずにいた。


「もう、行こっか」


 まだ花火は始まったばかりなのに、諦めたようにみゆりさんが提案する。今の俺に拒否する勇気なんてなかった。


「ごめんなさい」


 何に対する謝罪なのかって言われたら、罪悪感を消すための彼女へ向けた自分よがり謝罪。やっと声に出たのがそれで、みゆりさんは帰り道へと何も言わず引っ張っていく。


 子供のはしゃぐ声も、当たりを引いて鳴ったベルも、夜空に咲く花の叫びも、全部が全部俺の心を責め立てる。


 程なくして、みゆりさんが歩みを止める。ここは人通りの少ない路地裏で、花火の音も微かにしか聞こえない。街灯が情けない俺の顔を照らす。


「私たち、上手くいくかな?」


 その問いに、肺が凍る。このまま別れ話が始まったって不思議じゃないぐらいに、空気は地獄の様相を帯びている。


「俺は…………」


 花火のように、言葉が萎んで消える。声は出せるのに、言いたいことが見つからない。


「確かめてもいい?」


 何をするのかわからない。上手くいかないって分かったら、終わってしまうのだろうか。失敗は母親の件だけじゃない。その後だって自己嫌悪に陥って負の連鎖。心配させて、呆れさせて。見限られたって恨めない。


 自分自身は否定し続けるのに、彼女の言葉には首を縦に振ることしかできなかった。みゆりさんは俺に近づいてくる。そして、そっと俺の


 みゆりさんの熱を感じる。みゆりさんの優しさが伝わる。みゆりさんへの愛が強まる。


 頬は両手で捕まえられていて、振り解くことは出来ない。花火の音すらも聞こえなくて、いつの日か僅かに感じた恐怖に身が包まれる。


 口付けが終わっても、俺の恐怖は消えてくれなかった。きっとそれは、みゆりさんが出す答えにじゃなくて、彼女の優しさに対して。


「私は晴人くんのことが好き。不器用な優しさも、拙い弱さも、丁寧な人となりも。全部受け止めれるぐらい、愛してる」


「上手くいくんですかね……?」


 これからきっと、俺は何回も何回も失敗する。この度にみゆりさんに頼って。けれど、それは上手くいってると言えるのだろうか。


 皆がみゆりさんから離れていく理由を理解した。俺はずっと弱いまま恐怖に囚われて、拾ってくれたはずの、受け止めてくれていたはずの彼女を捨てるんだ。


「大丈夫。きっと全部上手くいく」


 彼女の声が頭に響いて、喉を溶かして、体を急かす。みゆりさんが大丈夫って言うんだ。大丈夫に決まってる。俺は彼女に飛びついて、キスをした。




 この夜、俺たちは絶対に超えてはいけない一線を飛び越え、よもや過ちを重ねた。彼女と付き合っちゃいけなかった。


 全部上手くいく––––なんて嘘だった。


 花火は必ず、輝けば消える。


 

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