「私の水着似合ってる?」

 初夏の青々と広がる空の下、俺は砂利をサンダルで踏みしめる。数日前から始まった夏休みに際して、俺、みゆりさん、亜美さんの3人で海に来ていた。


 蒸し蒸しとしているはずなのに、潮風が頬を撫で、上半身裸で日光を浴びていると気持ちいい。


「晴人くん着替え終わるの早いねー。海パンだっ!」


 後ろからみゆりさんの声。振り返っていいんだろうか。意を決し、「下に着て来たので」と言いながら振り返ると、純白のビキニに身を包むみゆりさんの姿が。


 普段は白く見える肌も、水着のおかげで健康的に見え、露出面積も最大出力。俺はこの景色を見るために生まれてきた。


「私の水着似合ってる?」


「似合ってるって言うか……水着で出せる魅力のキャパに見合ってないです」


「分かりづらっ!」


 子供っぽくツッコミを入れながらも、照れているのか頬を掻く。その後ろからは黒いサーフジャケットを羽織った亜美さんがパラソルを担ぎながら登場。その佇まいは女番長の様。


「亜美さんも似合ってますね。パラソル持ちますよ」


 適度に褒めつつ手を差し出す。


「いいよ、私建てとくし。先にみゆりと海入ってきな」


 そう言ってウィンク。顔が引き攣っていて、両目とも閉じているけど。


「3人でやった方が早いですし、持たせてください」


 これでも男だ。身長だって亜美さんより10センチ高いし、筋肉だって付いている。亜美さんはため息をつくとパラソルを渡してくれる。


 協力してパラソルを建てるとみゆりさんがカバンの中から日焼け止めを取り出す。


「晴人くん、背中に塗ってくれない?」


 俺はゴクリと唾を飲む。待て待て待て、みゆりさんの柔肌にクリームを塗るなんて、叡智な行為そのものだろう。


「心の準備が……」


 しどろもどろになって答えている間に亜美さんが背中を叩いてくる。


「2人で塗った方が早いよね?」


 亜美さんがいやらしくにやりと笑う。いよいよ言い返せなくなった。亜美さんを起こらせると怖いんだな。どうにもならず、うつ伏せになるみゆりさんにまたがった。


 白い日焼け止めを手のひらに薄く伸ばす。そして伸びた背筋に馴染ませていく。バクバクと心臓が馬鹿みたいにうるさい。


 翼のように綺麗な肩甲骨も、抱きついてしまいたくなるような小さな肩も色々やばくて倒れそう。


「ありがとう、じゃあ、太ももお願いしていい?」


 息を吐く間も無くもう一度心臓が跳ねる。


「足は自分で塗れるでしょ……」


「だめ?」


 刹那、俺は日焼け止めクリームを手に取った。




「私、何か飲み物買ってくる。先に海入っといて」


 亜美さんはそう言って背中を向ける。一緒に入ればいいのに。彼女の背中を見ていると、みゆりさんに腕を掴まれ引っ張っていかれる。


「じゃ、イチャイチャしに行こっか」


 膨らませてあった大きめの浮き輪を腕に通してみゆりさんは俺を引き連れていく。二の腕柔らかい……。


 打ち寄せる波に足を突っ込むと、ひんやりと体を冷やす。


「冷たいね」


「めちゃ冷たいです」


 二人で肩を寄せ合いながら腰あたりまで浸かる。みゆりさんとの距離はもうほとんどない。


 と、みゆりさんが顔を洗うときのように海水を掬う。目が合うと、それを頭にバシャっと。俺はブルッと犬のように身震いする。


「やりましたね……」


「ちょっと、ごめんじゃん! メイク! メイク落ちるから首から下ね!」


「ずるじゃないですか!」


 急に浅瀬で水掛ごっこが始まる。みゆりさんはメイクを落としても十分すぎるほどに美人なのだけど、わざわざ外出のためにしたメイクを落とすのも気が引ける。なので顔には水滴程度にしておいた。俺は言わずもがなびちょびちょ。


「あー、楽しかった。次はコレだよ晴人くん」


 浮き輪を指差しながら、俺を手招きする。みゆりさんはニコッと笑うと俺の胸板に背中を預ける。そうして上から大きな浮き輪を被った。


 大きいとは言えど、一つの浮き輪に二人。開ける空間は用意できない。暖かい背中が俺の胸筋に触れる。高校生の俺にはいくらか刺激が強すぎる。


「これで、晴人くん、抱きついて」


「えっ?」


 困惑する俺に説明もくれず、手首を掴まれみゆりさんの前に。脇の下を通っているが、バックハグのような体勢になった。


「どう?」


「お金払えます」


 普段の五倍ほどのスピードで心臓が脈を打つ。心臓の音がみゆりさんに聞こえそうで怖い。


 浮かんでいると、海中にある細い太ももが時々絡まり合う。こんなの我慢してたら自我の抑制はままならない。


 波に揺られ、たわいもない話を続ける。やっぱりみゆりさんは俺の欲しい返事をしてくれて、心の荒波は静まっていた。


「亜美さん、まだですかね?」


「亜美は海、嫌いなんだ。見るのは好きみたいなんだけどね」


「なら、砂浜で遊びましょっか」


「……そうだね」


 みゆりさんはぴちゃぴちゃと小さい手で水かきを始める。いくらなんでも可愛すぎ。亜美さんを探しに売店の方まで行く。みゆりさんはお昼ご飯の用意をしてくれるらしい。亜美さんの後ろ姿を見つけ、駆け寄る。


「亜美さん、もうそろそろお昼ご飯どうです?」


「ああ、うん、先食べてていいよ」


「なんでですか、一緒に食べましょうよ」


 どこか、今日の亜美さんの態度は煮え切らない気がする。せっかく3人出来たんだ。みゆりさんだって亜美さんといた方が楽しいはずだし。


「いいから、私も何か買ってから行くよ。何か欲しいものある?」


 どこか突き放すような言い草。体調が悪いって感じじゃなさそうだけど普段とは明らかに違う。泳げないのに海で遊ぶ俺が嫌味に見えたのだろうか。なら、砂浜でできることをしよう。


「じゃあみんなでスイカ割りとかどうですか? スイカなら売ってそうですよね」


「分かった。じゃ、先戻っといて。私も買ったら行くから」


「スイカって結構重いですし持ちますよ」


「あのさ!」


 爆発したような声に俺は一歩後ずさる。怖がる俺を見て、亜美さんは笑顔で繕う。


「大丈夫だから。戻ってて」


 完全に嫌われてる……。俺は、声に出ていたか分からない返事をして、とぼとぼとみゆりさんの方に戻って行った。


 その日、帰る間際まで亜美さんは姿を見せなかった。「道に迷って」なんて笑う彼女。


 でも多分、道に迷っているのは、俺だった。

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