「だから、僕はみゆりの彼氏になれない」
「その子、
「ええ……そうですけど……」
目を細めて笑うと、気が緩んでしまうほどに優しい顔になる。一体俺たちに何をしにきたのか。
「誰、ですか?」
俺はそもそも彼の名前も知らないのだ。
「僕は
「そう、ですか。何しにきたんですか?」
率直な疑問。仲のいい人たちで二軒目に行く可能性だってあったはず。みゆりさんを狙ってる雰囲気も少なからずあった。
「ははっ、さっきから君たち僕らの同窓会見てたでしょ。バレバレだったよ。ちょっとあとをつけようかなと思ってたら、柊くんを支えるのがしんどそうに見えたから、つい」
もう一度、葵さんは「ははっ」と笑う。どうやら、本当に他意は無いらしい。
「ちょっとお話ししませんか?」
俺は少し怯えながら葵さんの顔を伺う。
「いいよ。そこにベンチあるからそこでいい? 荷物持つから柊くんを支えてあげて」
スッと優しく俺のカバンを取ると、テクテクと歩いている。女性を無闇に触らないという気遣いが腹の立てようもないほど完璧だ。
ベンチにつくと俺は上着を敷布団にして亜美さんを寝ころばせる。彼は自販機でコーヒーを買ってきてくれた。
「ごめん、君の名前を聞いてなかったね。教えてもらっても良いかな?」
「俺は千早 晴人です。その、みゆりさんに助けられた高校生って感じです」
「嘘っ? 本当に高校生? 大人びてたから大学生ぐらいだと思ってた」
葵さんに褒められて心が弾む。危ない、良い人なのは間違いないけど、間違いなくライバルになり得る人だ。
「ありがとうございます。その……みゆりさんとはどういった関係なんですか?」
「恥ずかしながら、元カレに当たるのかな。未練は正直ある。でも、僕は彼女の横に立っちゃいけないんだ」
コーヒーの缶をコツコツと指で弾きながら、葵さんは苦い顔をする。
「聞いても良いですか?」
怒られるかも知れないけど、びびってちゃこの人に勝てない。ましてや、みゆりさんの隣なんて歩けない。
「そうだね。柊くんが高校生の時いじめられてたのは知ってる?」
「はい、聞きました。それで、みゆりさんもいじめられ始めたって……」
そこまで話して、自分で気づく。いじめを止めたのは亜美さんだったはず。この人は……
「ははっ、気づいた? いつもみゆりを守るのは柊くんだった。だから、僕はみゆりの彼氏にはなれない」
この人は……俺に似ている。何かしたいと、何ができるわけでもないのに考えて、自己嫌悪に陥る。
俺も、口ではいじめは最低だなんてほざきながら、結局は何もできない奴なんだ。
「みゆりを振ったのも僕。彼女はもっと良い人がいると思う」
自分と重ねてしまって、うんうんと頷きたくなる衝動に駆られる。この人こそ、みゆりさんの隣に立つべきじゃないか。
すると彼は、「はぁー」とため息をついて屈んだ。
「なのに未練たらたらなの知ったらどう思われるだろ。あぁー、嫌だな。みゆりの隣は僕がいい」
夜空を仰ぐ彼は、年相応にも見え、少し幼なげにも見えた。きっと、等身大の悩みを抱えた葵さんと、背伸びした俺が重なったんだ。
「俺、みゆりさんと付き合ってるんです」
嫌味じゃない、皮肉じゃない、これはただの宣戦布告。負けるつもりはないけれど、勝てる兆しはないけれど、勝負から逃げることもない。
「君が?」
垂れ目を大きく見開く彼に、こくりと頷いて返す。
「俺はみゆりさんのことが好きです。誰にも邪魔されたくありません。でも、葵さんなら競い合いたいって思います。気持ち悪いこと言いますね。俺は葵さんのこと結構好きかもです」
表情を崩して笑う。彼の想いが痛いほど分かるのだ。みゆりさんの隣でいたいのに、みゆりさんの隣は痛い。己のちっぽけな器じゃ彼女に並び立てない。でも、けれど、しかし、俺たちは彼女が好きなんだ。
「ははっ、君はみゆりと似ているよ。素直になれない僕のための手助けかな?」
挑発気味に彼は笑う。俺は同じような顔をして言い返す。
「いいえ、素直な俺の意地みたいなもんです」
「君ら恥ずかしくないの? 深夜の公園で何やってんのよ。イタイポエムで起こされる私の気持ちに寄り添ってくんない?」
目を擦りながら亜美さんは体を起こす。あらかたどういった状況なのか分かっているあたり酔いは覚めてるのかもしれない。
「おはよう。そして久しぶり」
「なんで私ってわかったわけ?」
いつものごとく挨拶を返さない亜美さん。彼女の質問に一瞬戸惑ったが、高校生時代の写真を思い出して合点がいく。
高校生の亜美さんしか知らなければ、今の彼女を見て誰か特定するのは至難の業だろう。
「憧れてたからだよ。みゆりを守れる君を」
「そう。私は認めないけどね」
亜美さんはそう言って敷いていた俺の上着のゴミをはたくと、肩にかけてくれる。帰ろうという遠回しの合図。俺は急いで葵さんと連絡先を交換する。この数分でなかなかに意気投合してしまった。
「あの、最後に一つだけいいですか?」
「なんでも聞いて」
「みゆりさんと……その、どこまでいきました?」
俺の質問の意図が分かったのか、彼は悪戯を思いついた子供のように口角を上げる。
「Cだよ」
ぬぅんッ…………。膝から崩れ落ちそうになるのをなんとか堪える。今時、大学卒業して未経験の方がおかしな話だ。
「うわぁ……ドンマイ」
亜美さんは俺の背中を撫でてくれる。けど、家に帰ったら布団にくるまって涙を堪えることになるだろう。
と、タクシーが俺たちの前に止まった。まさかと思って葵さんの方を見ると、バッグを指差しながらニコニコ笑っている。
俺のカバンをみると、福沢諭吉と目が合った。もう10時。何をしろと言っているのかは言葉を交わさずともわかる。
……クソかっけぇじゃねーか。
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