初の彼女が寝取られた俺は、お姉さんに拾われる

赤目

「その……さ、私の家来ない?」

「私、好きな人できちゃった。ごめん」


 放課後の校舎裏、半年付き合った彼女––––海島うみしま 芽依花めいかにそう言われた。胃を直接殴られたみたいな衝撃。


 俺は何も言えなかった。なんて言えばよかったのだろう。言葉にすらできない自分に嫌気がさす。


 相手は山内やまうちってやつらしい。男子の中じゃ割と有名な女たらし。でも、あまり憎くはなかった。俺みたいなやつと一緒にいるより、芽依花も幸せなんだろう。


 二年片思いして、勇気を振り絞って告白した。振られはしたけど、俺からしたら高嶺の花だったわけで、半年も付き合えたんだから幸せ者だと思おう。


 神が俺にくれた僅かな夢の時間だった。それが終わっただけ。昔に戻るだけ。それだけの話。


 ……それだけの話だろ。いつまで泣いてんだよ。これでいいって何度も言い聞かせたところで、涙は止まっちゃくれない。


 駅前の何のスペースか分からない広場でベンチに座り、涙が収まるのを待つ。結構、この半年楽しかったんだけどな。


 一口くれたクレープの味も覚えているし、一緒に見た映画の黒幕だって覚えてる。芽依花の好きなアーティストだって、口癖だって知ってる。


 なのに、俺と芽依花を繋ぐ言葉は見当たらない。何分経ったか、涙は枯れて、頬も掠れてきた頃、ポンッと肩を叩かれた。


「大丈夫か少年、話ぐらいなら聞くよ」


 男らしい言葉遣いに、少し低い声。けれど、声をかけてくれたのは女性で、声以外に男っぽさは感じられない。


「俺は青年ですよ」


「そうか、そうか、悪かった。それで、なにか悩み事? お姉さんが聞いてやろう」


 ひひっと、白い歯を見せて俺の隣に座る。服越しでも分かる柔らかい肩がそっと触れ合う。普段ならご褒美なのだろうけど、今は何も感じられない。


「大丈夫ですよ。初対面にする話じゃないので」


「初対面だからできる話もあるでしょ。話せる人がいないから一人で泣いてたんじゃないの?」


 図星を突かれ、続く言葉を失う。でも子供っぽいと思われそうで怖い。こんな、幼稚な悩み。結局、俺が言うのは断りの言葉。


「聞いてて、楽しい話じゃないんで」


「君、案外硬派だなぁ。分かった、じゃあそこのカフェ行かない?」


 一体全体何が分かったんだよ。こんなの、弱った心につけ込むナンパ野郎じゃないか。俺は持ち前の鋭い目つきで彼女を睨む。


「ほら、コーヒー奢るから。ね?」


 俺を見つめる彼女の瞳にまたもや言葉を失った。縋るような悲しみに満ちた瞳。心の奥の奥にある何かが垣間見えた気がする。


 どうして悲しそうな顔をするのか。所詮、ナンパの一ターゲットではないのだろうか。変に間が空いて断りづらくなり、首を縦に振る。


 カフェに入ると、彼女はコーヒーとカフェラテを頼むとスティックシュガーを三本取って正面が壁のカウンター先に座った。


「コーヒーとカフェラテどっちがいい?」


「ありがとうございます。コーヒー貰います」


 右隣に座ると、彼女は俺の方を向く。栗色の瞳を潤わせ、長いまつ毛が俺の視線を掴む。ハーフにも思えるほどの高い鼻と整った顔立ち。美人と言って差し支えない。


「青年、名前は?」


千早ちはや 晴人はるとです。お姉さんは?」


「私は高山たかやま みゆり。社会人一年目の25歳。小学19年生」


 髪を右耳にかけ、わざとらしく笑う仕草がやけに大人びている。金色の輪っかみたいなイヤリングも、肩の出ているトップスも高校生の知らない領域。


 薄ピンクの唇は乾燥って言葉を知らなくて、キリッとした細い眉毛がおそろしいほどにかっこいい。


「ちょっと、私の渾身のギャグは無視? ま、そんな気分じゃないんだよね。何があったの?」


 ここまで来てしまっては話さないわけにもいかない。コーヒーという名の賄賂ももらってしまったし。


 そうして俺は、初の彼女に振られたこと、どうしたいのかも分からないこと、現状のままでは嫌なことの三つを話した。


 聞いてる間、みゆりさんは割って入るでもなく、質問をするでもなく、たまにカフェラテを口に含んではうんうんと頷いてくれた。


「……そんなところです」


「なんで晴人くんが振られたか知りたい?」


 さも知っているような口ぶりにコーヒーから口を離す。舌に残るような後味に顔をしかめる。


「晴人くんは優しすぎるんだよ。君は彼女や彼に恨みはないし、仕返しするつもりもない。その上、彼女が理不尽な理由で君を振っても何も言わない。言い換えよう。晴人くんは弱すぎる」


 みゆりさんの言葉に胸が締め付けられた。喉が埋まったみたいに声が出ない。この期に及んで声を出せないところが、俺が弱い証明。


 追い討ちのように自分の弱さを叩きつけられ傷心すると、みゆりさんは心配からか、覗き込むように俺の顔を見る。


「でもね、私は晴人くんのこと好きだよ」


 そう言って、みゆりさんはスティックシュガーを一袋開けると、俺のコーヒーに流し込む。驚きで何も言えない俺にコーヒーを飲ませると、癖のようにひひっと笑う。


「甘くなったでしょ。苦いものでも、後から加えることで甘くなるんだよ。そうすればいい」


 彼女の言葉にも仕草にもドキッとさせられる。新しい恋をしろと、そう言っているのだろう。前を向くために、励ましとして俺を好きと言ってくれたのだと思う。


「ありがとうございます。なんとなく、分かりました」


 できるだけ明るく返事する。けど、十七年生きてきて、初めての恋人。新しい恋なんてできるのだろうか。それに、自分が弱いことについちゃ、何も解決していない。


 正直、芽依花に未練が無いとも言えない。キスもしたしハグもした。だけど、それ以上のこともしたかった。そんな俺が、次の恋なんて自惚れすぎな気がする。


 みゆりさんは残っていたカフェオレを飲み干す。みゆりさんは俺を優しいと言ってくれたけど、彼女も優しすぎる。泣いている俺に話しかけてくれて、コーヒーまで奢ってくれた。相談に乗って、イタズラでも俺を好きと励ましてくれた。いつからか、ナンパだなんて思わなくなっている。


「みゆりさんも優しいですね」


 俺もコーヒーを飲み干し、席を立つ。これ以上時間を取らせるのも悪いし、最初から長居する気は無い。意図が伝わったのか、みゆりさんはニコッと微笑みかけてくれる。


 ありがたい話と、励ましの言葉を貰った。イタズラに近いようなこともされたけど、案外心地よかった。少し惜しいけどお暇させてもらう。でも、最後に仕返しだけしておこうか。


「俺、優しい人好きですよ」


 あっけからんとしたみゆりさんを他所に、気取ったヒーロー風に背中を向けて、カフェから出ようとする。しかし、みゆりさんに腕を掴まれた。


「ちょっと待って!」


 顔を見ると、ほんのり頬を赤くして目を合わせてくれない。急に幼なげに見えてすごく可愛い。さっきまで年上のお姉さんの様相だったのに、今や保護欲のくすぐられる後輩のよう。


「その……さ、私の家来ない?」


 ––––いやいやいや! いやいやいやいや!

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