「これからのことを話しましょう」

 みゆりさんが姿を消して、四ヶ月がたった。亜美さんに度々連絡は来ているらしいけど、俺には一度も来ていない。


 電話をかけても無駄で、拒否しているのだと何となく分かった。最初はすごくショックだったけど、今となってはもう……。


 きっと、彼女にも何か考えがあるはずだし、このまま全て水の泡にして流すほど薄情じゃないと信じてる。


 3年生に上がって変わったことといえばそれだけ。迫る受験のやる気が湧いてくるわけでもなく、ただイタズラに日々を過ごした。


 一体彼女はどこにいるのか、時々、ふらっと彼女を探して旅に出るけど、虚しくなってすぐに辞める。何が言いたいかも分からない俺に何ができるのか。


 吹き抜ける風が彼女の元まで連れていってくれればいいのにと、そんな妄想ばっかりで、歩み出した足は既に止まっていた。いつからだろう。踏み出すのを辞めたのは。


 亜美さんからの電話に、スマホを耳に預けた。


『もしもし、ずっと何してるわけ?』


「何をしてるかって言われたら、何もしてないをしてます」


 今日だって誰かと喋ったはずなのに、久しぶりに声を出すみたいに、喉の奥が剥がれる。


『あの子はほったらかしでいいとか思ってるんじゃないでしょうね?』


「どうなんでしょう。分からないです」


『分からないって……あの子は今も君のこと待ってるかも知れないんだよ?』


「俺にはみゆりさんがどこにいるか分かりません。何がしたいかも、どう思っているのかも、何も分からないんです」


 スマホの奥からチッと舌打ちが聞こえた。


『分からない、分からないって、それを知るために会いに行こうとは思わないの!?』


「会いたい……なんて、思わないですね」


 ふっと自嘲的な笑みを浮かべる。鼻水を啜って、下唇を噛む俺の顔は、一体どれだけ歪んでいるのだろう。


『せっかくいいこと教えてあげようと思ったのに。そんなんじゃ教えないから」


「そうですか……わざわざごめんなさい。もうんです」


 惜しいことをしたなとは思ったけど、逃げた彼女を追ってやるほど未練があるわけじゃない。


『君、行くところがあるって言ってたじゃん! どうして何も解決してないのに諦められるの? それぐらいの気持ちだったの!?』


「いいんですよ。俺は大丈夫です。みゆりさんだって大丈夫ですよ」


 電話越しでよかった。もし面と向かって顔を見られていたら、俺の気持ちなんてすぐ見破られる。


『隠せてると思ってるわけ? 言っとくけど、君が嘘つかないタイプなことなんて、出会ってすぐ気づいてたんだから』


「そうですね。だから、俺の言葉に嘘は無いです」


『もういい! ずっと依存してたくせに!」


 プチッと切れた電話。最後の一言にまた一つ、心が傷つく。


 俺は嘘がつけない。信頼している人なら尚更、心が痛む。でも、自分を騙すのはちょっとばかし上手いのかも。


 学校帰り。意味もなく遠回りしていたのにも飽きて、家に向かう。目に入った小石を蹴飛ばすと、音を立てて側溝に落ちていった。


 いいんだ。これでいい。最後に少し話したい気持ちはあるけれど、恐らく言葉にならない。だからこれで。


 スマホのバイブレーションにメールを見る。『少し会いませんか?』と、葵さん––––みゆりさんの元カレからのだった。あの人は尊敬しているけど、このタイミングなんて誰かが手を引いているとしか思えない。


 でも、彼もまた俺と同じ境遇の人間。話したい思いもあって、自分の心をまとめるためにも、すぐでOKした。





「こんばんは、悪いね。急に呼び出しちゃって」


 待ち合わせ時間の5分前に来たのに、両手でコーヒーを持ちながら俺を待っていた。


「いえいえ、俺に何か言いたいことがあるんですよね」


「ご名答。柊くんからいろいろ聞いたよ。あんたがみゆりと付き合えるわけないんだから、ああだこうだって」


 自虐的に笑いながら、俺にコーヒーを渡す。やっぱり亜美さんのまわし者か。


「葵さんならどうしますか?」


「僕なら……って、関係ある?」


 ぞくっと背筋が凍る。コーヒーを握る手がやけに冷たい。


「ははっ、冗談、冗談。嫌がらせだよ」


 多分冗談じゃない。彼のいう通り、葵さんの意見なんて関係ない。それを俺に伝えるための最善策。俺より少し背の高い彼に一歩後ずさる。


「俺は諦めたんです。会う理由もなければ会いたいとも思われてないですから」


「そっか。じゃあ僕が狙ってもいいわけだ」


「…………どうぞ、ご勝手に」


 吐いた息が腐ってるのが分かる。どれだけ溜め続けたため息なのか。彼は「うーん」と唸って口を開く。


「強情だね。本当に会いたくないの?」


「はい」


「それがみゆりのためとか思ってる?」


 彼の言葉に声が詰まった。


「君はみゆりが避けてるから会わないだけだよね」


 辞めてくれ。聞きたくない。どっちだっていいさ。結果は変わらない。だって、彼女とは結婚できないんだ……。どう足掻いたって絶対。


 俺は聞きたくないと首を振る。


「何も違わないよ。君はそういう人だ」


「葵さんに何がわかるんですか?」


 咄嗟に出た言葉を引っ込めたくなる。葵さんにキレるのはいくらなんでもお門違い。けれど、葵さんも答えはしっかり用意していた。


「彼女の居場所」


 続く言葉を失う。それさえ分かれば、一歩踏み出す理由になる。でも、やっぱり怖い。彼女の口から拒絶の言葉を聞きたくなかった。


「君との話し合いが終わったら一人で行こうかな。今のみゆりなら簡単に落とせると思うし。君は僕と競い合いたいなんて言っていたけど、競うまでも無かったね。勝ち馬に乗るだけで勝手に自爆してくれるんだもん」


 分かってる。こう言ったら俺がやる気になるって。だからわざと悪役を演じてるんだ。知ってる。気づいてる。理解してる。


 でも違うんだよ。一歩踏み出すのをやめた俺だ。一歩踏み出すのすら怖い俺だ。大事なところで踏み外す俺だ。


「葵さんの言葉を借りるなら、俺はみゆりさんの隣に立てないんです」


 これが俺の結論。その言葉に葵さんが髪をクシャりと掻く。


「みゆりが選んだ隣にいて欲しい人がお前なんだろ? 言っとくけど、僕は親に紹介なんてされなかったよ。なにが立てないだ。お前はみゆりの隣を歩かなきゃ行けないんだぞ?」


 キャラ崩壊お構いなしに、今まで紳士で聖人だった彼が仮面をつける。


「出来ないんですよ! 兄弟だから隣を歩けない! 兄弟だから結婚できない! 会えって言われたって、元々の話が解決してないのに何を話すんですか!」


 ずばり、そういうことだ。会ったところで好きな気持ちが募るだけなんだよ。苦しくなるだけなんだよ。俺は彼女を茨の道に連れていけない。


「それを話に行くんだろ。どうしたらいいか分かんないのも、みゆりがどうしたいのかも、話さなきゃ分かんないって。当たり前のことじゃんか。今は二つ隣の街のアパートに部屋借りて住んでるらしいよ。行った方がいい」


 貫くほど強い眼差しで俺を睨む。荒れた気持ちも沈められて、会いたくない気持ちも捻じ曲げられた。


 きっと、俺は間違ってなかった。みゆりさんと会わなかったこの四ヶ月が失敗だなんて思えない。


 けれど、彼の、彼女の言う通り、自分に嘘をついているだけだった。会いたいさ、会いたいに決まってる。彼女の指先が、彼女の温度が、これほどまでに恋しいのだから。


 小さな雫が目に浮かぶ。やっと、やっと彼女に会える。殺し続けてきた思いがふと蘇る。


「もう、嘘をつかなくていいんだ。君の周りの人たちは嘘を許してくれる。けれど、進まないことは許さないよ。もちろん僕も」


「どうしてそこまで……」


「一つ、僕はみゆりが好きだから、彼女が選んだ人と幸せになって欲しい。一つ、憧れていた柊くんの頼みだから。一つ、僕も君のことが結構好きだから」


 俺は彼に深くお辞儀をして駅に向かった。後を追うように葵さんから届いたメールで住所を調べる。


 電車に揺られているうちは何とかなっていたけど、目的地が近づくほどに緊張が強くなっていく。


 アパートのインターホンを押しても返事はなくて、夜風に煽られながら階段に腰掛けた。


 9時頃かそこら、近づいてくる足音に懐かしさを感じて立ち上がる。久しぶりに会った彼女は四ヶ月前と変わらず、魔性の美女だった。


 俺を見て、驚いたように目を丸くする。そりゃ、仕事帰りに俺がいるとは思わないだろう。準備していた言葉を、ゆっくりと紡ぐ。


「みゆりさん、これからのことを話しましょう」


 ムードもクソもないアパートの階段で、物語最後の夜が明ける。

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