「君を好きになるのが怖かった」
午後7時半、亜美さんから来た返事は居酒屋のURLと部屋番号だけ。何かあったのかと怖くなって、親には友達と夕食を食べに行くと嘘をつき家を飛び出た。
もう空は紫を通り越して、黒く染まり始めている。俺は駆け足で店に入ると店員に頼んで個室まで先導してもらう。襖を開くとそこには完全に出来上がった空気が……。
「あっ、やっと来た」
顔を真っ赤にして隣に座れと催促してくる亜美さん。その正面には酔い潰れたみゆりさんが机に伏せて寝ている。
「何があったんですか……」
「本当は呼ぶつもりなかったんだけどね……君には申し訳ないことしたなって思って。でもシラフじゃ喋れる気がしないから」
「喋ってくれるってことですか?」
「うん」
彼女が腕に抱える傷の正体。そして、彼女が俺を避ける理由。どちらも踏み込むのが怖くて、でも踏み込むしかない問題で。俺は彼女の隣に座る。
「まずは……ごめん。冷たくしてたのは、私の心が弱いせい。君は何も悪くない。理由をみゆりに話したの。そしたら、そんなこと気にしてたのって、笑われちゃた。みゆりが気にしないなら、喋っちゃう」
薄く水の張るグラスを持ち上げ、グイッとお酒を飲む。大人はこうやってお酒で本音を吐き出して、上手に人生を歩んでいくんだろう。みゆりさんは違うものを吐き出しそうだけど。
「君を好きになるのが怖かった。光くんの件で失敗してるからさ。もうこの子を傷つけたくないの」
俺を好きになる? 亜美さんが? 疑問符を並べる俺を横目に、亜美さんはみゆりさんの頭を撫でる。
「好きになっちゃダメって思うほど意識しちゃう。突き放しても睨んでも優しくしてくる
小童って。亜美さんらしい言い回しに小さく笑う。
「君も笑うんだね。私、そんなにバカな悩み方してる?」
「してますね。別に略奪しちゃいけないなんて法律ありません。俺の恋愛は半分が略奪されてます。つまりですよ、悪いのはモテる俺です。はぁー、俺って罪な男」
「テンションどうしたの?」
お酒は飲んでいないのにテンションが高い。空気に酔ったのか、はたまた自分に酔ったのか。恐らく後者だろう。今の亜美さんは本音なんだ。俺だって本音で語らなくちゃフェアじゃない。
「俺、結構怒ってますからね。何も言わずに冷たくするし、優しくしたら意味深なこと言われますし。その上理由は自分で勝手に悩んでるだけって……何か悪いことしたかな? って不安になった時間返してくださいよ」
亜美さんは耳を塞ぎたそうな顔をして俺を見る。
「でも、それと同じぐらい安心してます。嫌われてなかったんだって」
俺が軽く笑うと、彼女は目を背ける。
「そういうとこだから」
「今のは狙いました」
「殴るよ?」
今度は二人で顔を見合わせて笑う。酔ってる亜美さんは普通の女の子って感じがして可愛い。光くんの影響もあってか、普段は少しキャラを変えているのかもしれない。感情的になる時はいつも言葉尻が女々しいし。
「私はこの子に恩があるの。君ってさ、みゆりが助けた子たちって何人知ってる?」
「男子は全員。女子は雫さんと由奈さんです。名前だけなら茜さんと紅葉さんも一応」
「答え合わせね。残り一人は私なんだ。この写真見て」
差し出された写真は高校生時代のみゆりさんが映っていた。その隣にも少女が写っていて、その子は言ってしまえば地味でふくよかな……デブ一歩手前ぐらいの子だった。
「このデブ、高校生の私なんだ」
「嘘でしょ!?」
言われてみれば亜美さん味を感じないでもない。サラサラな黒髪は確かに亜美さんと似ているし、澄んだ黒い瞳も言わずもがな。けれど、流石にこれは変わりすぎでわなかろうか。
「こんななりしてたからいじめられてたの。聞いてなかった? 私のあだ名、豚子だよ」
もう気にしてないけど、と続けて写真の上で過去の自分を撫でる。
「いじめられてた時に助けてくれたのがみゆりだった。私はこの子に返しきれないほどの恩があるの。だから、この子の男に手を出すなんて絶対にしたくない」
亜美さんは光くんの時に学んだのだろう。みゆりさんはどんな状況でも周りの人を優先してしまう人なのだと。
実際、光くんにも思いを寄せていただけで行動はしなかったはず。それでも最悪の事態が起こったんだ。俺を突き放したって不思議じゃない。
「その……傷も、いじめが理由なんですか?」
聞かずにはいられなかった。亜美さんが上着を脱ぐ。すると肩から手首まで、肉が裂けたような大きな傷が通っている。同情してしまい、顔に哀色を滲ませてしまう。それを汲み取ったかのように、亜美さんは眉を下げて笑った。
「高二の時、いじめのターゲットがみゆりに移ったの。でも、耐えられなかった。私を守ったせいで人が傷つくのは嫌でいじめっ子を脅したの」
亜美さんはこっちを向いてニヤリと笑う。
「まだいじめを続けるならコレはお前たちが犯人だと言いつけるってね」
なんと言う諸刃の剣。まさか、自分から腕を切り裂いたなんて、言ってしまえば正気の沙汰じゃない。
「この傷は無関係のみゆりを巻き込んだ罰だよ」
亜美さんは自分の傷口に触れる。女性にとっての体の傷が、一体どれほどのものなのか俺にはわからない。けれど、何か一言だけでも言ってやりたかった。
「俺は……カッコいいと思いますよ」
……あまり決まらなかった。亜美さんはそれに対して「くくっ」と、喉を鳴らして笑う。
「ありがと」
「隠さなくても、いいんじゃないですか? 亜美さんはそんな傷なんて関係ないぐらい魅力的な人ですから」
「先にそのセリフの方が良かったね」
二人で笑い合って、夕食をご馳走になって、食事が終わればみゆりさんをおんぶして店を出た。今日は空が曇っていて星も月も見えない。背中に抱えるみゆりさんは数分ごとにゲップを刻んでいる。
「ねえ、晴人くん」
珍しい名前呼びにドキリと飛び跳ねる。
「絶対にみゆりを幸せにしてね」
「ええ、もちろん」
俺はずり落ちてきたみゆりさんを軽くジャンプして背負い直す。実は結構重い。亜美さんは俺に手を差し出してくる。握手をしようと言うことらしい。
全力で力を入れて握手した。もう仲直りは済んだだろう。明日から、俺も亜美さんも元通り。変わらず、幸せな日々は続いていく。
きっと、幸せな日々は続いていく。
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