「由奈が行方不明なの」

 最近の俺は何でもできる気がする。なぜかと言われればまあ、ほら、アレだ。


 そんな自己肯定感に包まれながら今日も今日とてみゆりさんの家でお喋りをしていたわけだけど、珍しいお客様がやってきた。それも、息を切らして。


 やってきたのは俺の中で美女と名高い雫さん。柄にもなく、汗を垂らしながら肩で息をしているのがインターホンに映っている。


 みゆりさんがドアを開けると、下がるように彼女に抱きついた。


「みゆりっ、姉様……由奈が、由奈が行方不明なの。多分、私のせい。お願いします、虫がいいのは分かってる。でも、力を貸してください」


「落ち着いて、ね。大丈夫。一旦深呼吸して」


 彼女は困惑しながらも床にへたれこませる。一大事だと察した俺と亜美さんも近くに駆け寄った。


「何があったの?」


「昨日、由奈と喧嘩したんです。それで、ちょっと言いすぎちゃって。それから、由奈が家に帰ってないみたいなんです。謝りに行こうってさっき家に行ったらそう言われて、警察にもお願いしてるみたいなんですけど……」


 「どうしたらいいか分からなくて」と、泣き声で付け足す。それで、藁にも縋る思いでここに来たのか。


「私、由奈がいそうな場所は分かるんです。けど、一人じゃ怖くて。家にも帰らないぐらい傷ついてるのに、これ以上、由奈を傷つけちゃったら、どうなるか分かんない」


 過呼吸になる雫さんにコップ一杯の水を渡してやる。何があったかは聞かない方がいいのかも。きっと、言いたくないから隠すんだ。


 水を飲み干すと彼女は俺たち3人に頭を下げる。


「お願いします。手伝ってくれなんてお願いはしません。だから、隣にいてくれませんか? 少しの勇気さえあれば、あとは自分で何とかします」


 彼女らしい強い意思。声はキッパリとしていて、けじめをつけるような言い方はカッコいい。けれど、みゆりさんは雫さんのお願いを断った。


「そっか……。でも、ごめん。私が行ったら余計に拗れちゃう。仲直りするなら、私が行くのはズルだよ。でも、できる限りのことはする。なんでも言って」


「そう……ですよね」


 暗い顔で彼女は肩を落とす。数ヶ月前、雫さんは「姉様と由奈が揉めちゃって」と言っていた。俺の知らない何かがあって、2人の関係は終わったものなんだろう。


 亜美さんだって同じ理由で会いにくいはず。真偽はどうであれ、良い思いはされないだろう。雫さんの支えになって、由奈さんの逆鱗に触れない適任が一人いるじゃないか。


「そのお願い、俺じゃ力不足かな?」


 振り絞った提案。目を細めて彼女を見ると、ううん、と首を振った。


「お願い。ありがとう」


 彼女の素直な感謝が聞けるなんて思っていなかった。共に、そこまで追い詰められているんだと少し怖くなる。


 2人に見届けられながら、由奈さんのもとへ向かう。


「それで、由奈さんがいる場所がどうして分かるの?」


「あの子が家以外で1人になれる場所なんて限られてるから。それに、こう言う時は初めて会ったところにいるのが定番でしょ」


 冗談めかして言うけれど、表情は暗いまま。きっと、親友だからこそ喧嘩した時に互いのことがなんとなく分かってしまうんだろう。


 歩くこと数十分。人通りが少ない裏道を抜けて、大きな公園に入ると草むらの中を進んでいく。その先にあったのは古びたバス停みたいな雨宿りに作られた場所だった。


 そしてそこに体育座りで座り込む由奈さんが。俺は背中を押して、振り返る彼女に不恰好なウィンクをする。


「行ってくる」


 深呼吸をして由奈さんの方へ走って行った。遠いのと、小声で会話しているのとで声は聞こえない。けれど、見たところ順調そうではなかった。不意に、由奈さんが立ち上がる。


「もう良いって! 自分が思ってること言えば良いじゃん! 哀れだと思ってるんでしょ。だから黙ってたんでしょ。皆んな、勝手に決めつけて、分かってくれない」


「分かんないよ。教えてくれなかったじゃん。隠してたから、見ないふりしてたのよ。ごめん……傷つけるつもりはなかったの」


「そうやって謝ってばっかり! 雫だけは違うって思ってたのに……。雫だけは、分かってくれるって思ってたのに」


 由奈さんは泣きながら彼女から離れて行く。そして、雫さんはバタリと膝から崩れ落ちた。「決裂」そんな言葉が頭をよぎって、何しに来たんだと自分を叱責する。


 どうする、雫さんを慰めるか? それとも由奈さんを追うか? 俺は雫さんのそばにいてやりたい。けれど、雫さんが隣にいて欲しいのは俺じゃない。なら、彼女を連れてくるのが最善なはず。


 俺は由奈さんを追う。泣きながら走っている少女に追いつけないほど鈍臭くはない。


「あの、由奈さん……」


 彼女はびっくりしたように少し跳ねて、涙を拭いながら振り向いた。


「千早くん、だよね? 何かな?」


 作り笑いだけど、先ほどのやりとりを見ていなかったら分からないほどに完成された仮面。普段の彼女がどんな人となりなのかが分かる。きっと、誰にも悪い顔せず生きてきた人なんだ。


「雫さんと何があったか聞いて良いですか?」


「言わなかったらどうする?」


「雫さんの前に引っ張り出します」


 因みに言っても引っ張り出す。


「ひゃー、それは嫌だね」


 わざとらしく笑って、俺を睨む。敵意剥き出しだ。


「どうして喧嘩したんですか?」


「雫が私に気を遣ったの。全部知ってて、知らないフリをした。それが気持ち悪かった。私、養子なの」


 最後に付け加えられた言葉に声の出し方を忘れる。それがさも当たり前のように彼女は続けた。


「どう思った?」


「……その、ごめん。色々あったんだなって」


 素直に答えないと意味がないって分かったから、そのまま吐き出す。


「そう、みんなそう言う。でも、そうやって区別される方が嫌だよ。私は養子でも幸せだった。他の家族と遜色ないぐらい幸せだった。だから、勝手に憐れまれるのが嫌なの」


 俺をストレスの吐き口に、彼女の心が叫ぶ。


「雫は私が養子って知ってたのに、私が言うまで知らないふりをしてた。きっと、言わない方が私を傷つけないって思ったんだろうね。雫は養子ってだけで区別しない子だって思ってたのに」


 何を言うべきだろう。俺は彼女を知らない。俺の目的は仲直り。波風立てるべきじゃないけれど、方法が思いつかなかった。


「雫さんは由奈さんだから気遣ったんじゃないかな? その相手を思う気遣いは間違ってないと思う。それに……」


 言おうか迷って、続けた。


「区別される方が嫌なんて言いながら、由奈さんも『雫さんだけは』って区別してるじゃないか」


 区別はどうしたって生まれてくる。それが悪いことだとは思わない。強制されるのも勝手に分けられるのも仕方ない。けれど、それは相手の想いを無碍にして良いわけじゃない。


 山内だって、クズだけどクズなりの過去があった。だから、一方的に見限るなんて間違ってる。二人のように親友なら尚更。


「何が言いたいの?」


「雫さんの話を聞いてあげて欲しい」


「さっき聞いた」


「それは君が聞きたかった本名?」


 俺の質問に彼女は固まる。彼女が聞きたかった言葉は「哀れみ」でも「気遣い」でもない。そして、それを聞かせてあげられるのは他でもない雫さんだけなんだから。


「もう一回だけ、聞いてあげて欲しい。きっと、本当は分かってるはずだから」


 由奈さんを思って、彼女は誕生日にしかみゆりさんに会わない。由奈さんを思って、そのルールを破り家まで走ってきた。由奈さんを思って、俺たちに頭を下げた。


 由奈さんを分かって、彼女がいる場所を言い当てた。由奈さんを分かって、知らないふりをしていた。


 なら、解はもう出てる。


 俺は由奈さんを彼女の元に連れて行った。正しくは勝手に走って行ったわけだけど。


「私、養子なの」


 ベンチに腰掛けていた雫さんに、由奈さんは迷わず声をかけた。おそらく、彼女がこの事実を聞くのは三度目。


「そうなのね。それがどうかした?」


 これが正解なんだろう。区別されてきた由奈さんが聞きたかったのは区別なんかぶっ壊す答え。雫さんにしか出来ないわけだ。遠慮もクソもない。


「ねえ、千早くん」


「どうかしました?」


「雫をよろしくね」


 もう完全に分かりきった笑顔をしているが、何も分かってない。俺が雫さんと何をよろしくするんだ。


「誤解してません?」


「そうよ、コイツは奴隷。当たり前のことをしただけなの」


「まだその奴隷ってやつ続いてんの!?」


 数分前の泣き声が、笑い声になって天に昇る。


 赤い糸が絡まり始めたのは恐らくこの日から。

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