青空の下で

第1話

 私を殴って下さい。

 私は最低な人間です。

 馬鹿、無表情、悪臭、悪いところなら私にはいくらでもあります。しかし私には長所がない。何もないのです。

 ダメージジーンズにヘソ出しファッションの女と、いかにもなヤンキー風な、刺青だらけの男たちがコンビニ前でつるんでいます。あの人たちに頼めばやってくれるでしょうか。

 まずは頬をひっぱたかれた。目を閉じた瞬間にお腹に一発蹴りを入れられた。痛む部分を腕で守ろうと前屈みの体勢になると、今度はお尻を殴られた。地面にひれ伏す。あとはされるがままだった。セーラー服はあちこちが破れ、スカートのプリーツは取れて裾は解れ、白い運動靴は瞬く間に茶色くなった。口の中が、血の味がする。

 というのは事実ではありません。全て私の妄想です。でも私はこうなることを望んでいます。

 誰か、私の妄想を現実のものにして下さい。


 小嶋さん、瑠璃ちゃん、鳳蝶ちゃん、朱音ちゃん、蘭ちゃん。自分を叱ってくれる人がいるというのは、幸せなことなんです。

 いつからこうなったんだろう。小学校の頃は、いつもみんな一緒だったのに。小嶋さんのポジションが、かつては私の場所だった。

 林間学校だって、運動会だって、学芸会だって、私たちは何でも共にした。私は覚えてる。六年生の卒業間近の遠足で約束したこと。中学生になって、他の小学校出身の子と出会っても、うちらは一緒にいようねって。あの時のクラスメイトの半分近くは受験して他所よその学校に進んだけど、私たちはみんな地元だから、それは他のグループよりも簡単なことのはずだった。卒業式の日に撮った、涙のせいで写りが最悪な写真は、卒業アルバムに挟んで大事に大事にとってある。

 私の場所は小嶋さんに乗っ取られ、そして四人は歪んでしまった。


 筆箱に常備しているカッターを握りしめる。河原にある公園のベンチで過ごす一時。堤防を降りたところにあって、遊具はゲートボールに使うらしいものしかない。最近ではそんなことをするお年寄りもおらず、周りには誰もいない。

 ごめんなさい。私が悪いから。私のせいでこうなったから。

 私を殴って下さい。

 もう立ち上がれなくなるまで、身体中を痛めつけて下さい。

 その場に落ちていた小さな石を手に取り、地面に叩きつけた。コンクリートで舗装されていない剥き出しの地球は、それを割るには柔らかすぎて、もちろん小石は壊れない。なんで壊れないんだよ、くたばれ、この石ころめ。何度も何度も、拾い上げては叩きつける。一向に割れそうもない石を見ていたら、なんだか胃がムカムカしてきた。

 制服の袖を捲り、カッターの刃を当てる。冷たくて気持ちいい。手前に引くと、すうっと何の抵抗もなく私の皮膚は裂けた。

 みんな同じ服を着て、みんな同じ時間に同じことをして、みんなみんなみんなみんなみんな。みんなって何? こんなところで、私は何がしたいの? 同じことの繰り返しはもう飽きた。

 ここにあるのは水の働きで細かく砕かれて、もはや砂となったものばかりなのに、これひとつだけは石ころのままだ。河口近くに小石があるなんて、理科で習ったことと違ってる。そう、これは悪目立ちだ。他のみんなと違うから。こいつも、きっとこの辺りの砂たちに叱られる。

「みんな」なんてなくなればいいのに。そうすれば私は、こんな目に遭わずにすんだのに。

 今度は何も持っていない左手で砂を掴み、ゲートボール場の芝生の上に撒き散らした。ああ、清々する。橋を渡る輸送トラックの運転手も犬を連れて散歩するおじいちゃんもみんな幸せそうで、それに対して私は一人、ここで砂と戦っている。西に傾きかけた太陽に照らされて、砂が力を帯びているように見えた。

「おい! 姫野! そこで何やってんの!」

 背後から声がした。誰よ、こんなところまでつけてくる奴は。

「姫野だよな、おい。そこで何やってるんだ。」

「ごめんなさい。すみません。」

「謝んなよ。何度も聞いてるだろ、何やってんだ。」

 もしかして、見られていたかもしれない。こんなところで、こんなことをしたのがバレたら、いったいどうなるんだろう。

「切っただろ。さっきそれが見えて驚いた。近づいたらヤバそうなオーラ出てたからここで気配消してたんだよ。お前気付いてなかったろ。振り返ってこっち見ろ。俺は小嶋たちの差し金じゃねえぞ。」

「なんでここにいるのよ。」

「部活サボってこの辺ウロウロしてただけだ。暇潰しだよ。とりあえず腕見せろ。」

 声の主が土手を降りて駆け寄ってくる足音が聞こえた。

「痛くないか?」

「全然。」

「嘘つけ。」

 傷口を指で思い切り押さえつけられた。近付いてきた男子は同じクラスの園田くんだったと、やっと判った。私とは生きる世界が違う人。だから私は自分からは関わらないし、向こうも今日まで話しかけてきたことはない。

「いった」

「ほら見ろ。こっち来い。手当てするから。」

 右手を掴まれ強引に連れて行かれた先は、土手を挟んで反対側にある細い道路沿いにある、ごく普通のアパートだった。

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