第3話

「違うの。違うのよ……。」

「じゃあ学校? 何があったの? 教えてちょうだい。お姉ちゃんが何に苦しんでいるのか知りたいのよ。」

「お姉ちゃんじゃない。」

「え?」

「私はお姉ちゃんなんかじゃない‼」

 違う。私をお姉ちゃんと呼ぶ人にわかるわけない。私はお姉ちゃんじゃない。

「幼稚園のころ仲良かった美羽ちゃん、覚えてる? あの子にも弟がいてね、言ってた。弟なんていらないって。」

「姉ちゃん、ひどいよ!」

「弟がいると自分が除け者にされるから。頭では理解できててもね、心からわかることはできないの。下の子が優先になって、自分は親の目に見えなくなる。誰も私を最優先にしてくれない。そんなこと、誰にも言えるわけないじゃない。唇と目が汚くなった原因は自分で自分を傷つけてるからだなんて。」

 あの日、Twitterで「皮膚むしり症」を見つけた時、私の周りは時間が止まった。私は病気だったんだ。私は正常じゃないんだ。そう思うと、うれしくもあり、悲しかった。私は家族のせいで異常になったんだ。私はつらいんだって、認められたんだ。

 でも、結局、私は何がしたいの? 自分でも自分がわからない。突然意味不明なことを言い出して、母も弟も、私は困らせている。私は自分の主張ばかりぶちまけている。こんなの、自己中だ。

 ああ、また剥きたくなってきた。

 自分で自分の悪口を言うとき、頭の中で自分の悪口を叫ぶとき、私は皮膚を剥きたくなる。皮膚がダメなら、睫毛だ。それを繰り返しているうちに、私の顔はボロボロになった。私はボロボロなんだ。私は汚いんだ。私は要らないんだ。

「ああ、もう‼」

 私は部屋に飛び込んだ。そのままベッドに直行。枕を濡らす。

 いつの間にか私の意識は夢の中で、気が付いた時には朝を迎えていた。

「おはよう。」

 先に起きてゲームをしていた直希と朝ごはんの支度をしているお母さんとあいさつを交わす。

「ねえ、ちょっと待って。」

「何よ。」

「これ、昨日の夜調べたんだけど、精神科の病院。唇と睫毛、治したいわよね? ごめんね。何も気づいてなくて。今日学校終わったら、一緒に行こう?」

「わかった。」

 母が提示した紙は、メンタルケアクリニックのチラシだった。今まで大学病院で勤務していた優秀な先生が最近開業したらしい。

「これ、直希。ゲームやってないで学校行く準備しなさい。」

「はいはい。」

「『はい』は一回でよろしい。」

 母と弟の何気ない会話が私の心に重くのしかかる。お父さんは日が昇る頃に出発して、お母さんが一人で見送る。いつもランドセルを背負って駆けていく弟を、私とお母さんで見送る。今日も元気で頑張ってね、そんな思いを込めて。お母さんは、弟が家を出てすぐに出勤する。私は戸締りをして、最後に出発する。誰もいないのだから学校をサボっても特に誰にとがめられるということもない。でも、私は意地でも毎日真面目に通っている。でも。

 今日くらいいいかな。

 理由はいくらでも作れる。昨日泣いて、目が腫れているのを見られたくないから。仮病を使ってもいい。英語、数学、国語、理科、社会。主要五科目なんて呼ばれているけど、人生でそんなもの必要? 私は要らないと思う。もっと大事なものがあるはずだ。それなら、勉強に追われなくたっていいじゃない。サボったっていいじゃない。休んでもいいじゃない。

「どうしたの?」

 あ、しまった。ボーっとしていた。母は心配そうに私の顔を見つめる。そして何事もなかったかのように直希に檄を飛ばした。

「直希! もう行く時間でしょ。また朝ごはん食べずに行くつもり?」

「別にいいでしょ、腹減ってないんだから。もう行く!」

「こら! ちゃんと食べなさい!」

「じゃ、母ちゃん。み、瑞希。行ってきます!」

 私ははっとした。瑞希って呼ばれた。直希が私のことを「瑞希」って呼んだ。思わず、また涙が零れそうになる。

「わ、私ももう行こうかな。」

「食べないの?」

「お腹すいてないや。ごめん。」

「もう。一生懸命作った意味がないじゃない。」

「行ってきます。」

「行ってらっしゃい、瑞希。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る