第二幕

第一場

 愛実ちゃんがく風景は、どこかで見たような気がするものが多かった。海辺の街、古びた学校、満たされない子どもたち。愛実ちゃんの頭の中にあるひとつの世界が、まるで実在するみたいに鮮明なのかなって。普通の中高生がマンガを貸し借りするときみたいに、何日かに分けてデータを送ってくれた。分割されていても、繋がっている。確実にこの世界は実在する。わたしは知っている。

 あの日、ローカル線の始発駅から乗る客は、楽器を担いだ高校生ばかりだった。担当の楽器によっては自分で持ち運ばない子もいて、愛実ちゃんはそのうちの一人だった。楽譜が入った鞄を持って、でも、その荷物は妙に大きい。駅のホームに立っている姿は、どこか浮いているように感じた。なんか変だと思ったけど、話したら違った。すごい子だった。

 土手を見て、

「あの場所に大の字に寝転がったら気持ちいいんよね、きっと。」

 普通の女子中学生を見て、

「あの子は"アオイハルカ"って感じよね。

『青い春、か?』でアオイハルカ。」

 車窓から見える景色に向けて、私がスマホのシャッターボタンを押したら、

「綺麗やね。人工だとしても、架空だとしても、逆になんでもない『普通』の自然だとしても、全部が妬ましい。」

「なんか、柔らかく撮るんやな。小さいものもくっきり残したくなるんやけど、それは、ええなぁ。」

「ねぇ、きみってさ、音楽よりこっちの方が、好きなんじゃない?」

「なんで?」

「そんな気がするから。」

「どういうこと?」

「あ……ごめん、ここで降りるの。」

 愛実ちゃんが先に降りて行くその時、後ろ姿をカメラロールに収めた。やはりどこか浮いて見える。

 あの写真には、アオイハルカさんも写っている。


 夏目愛実という名が本名かどうかなんて知る由もなかったけど。

 夏目で思い浮かぶ人名は、夏目漱石。六つ目をよく読むと、ところどころで「先生」の匂いがした。「希」という文字を使う熟語でパッと思い浮かぶのは「希望」、そこから友希や瑞希。結ばれているという意味で「結」。人々をあんなにくっきりと美麗に描く人が「愛実」と名乗るのは、うまく言えないけど、なんかわかる。

 画面の向こう側の「愛実」は、あの時のミフユちゃんだった。


「結局大丈夫やったんか?」

「大丈夫、ではないんやろな。もう寝とったお父さんも叩き起こして、ド深夜に家族会議始まって、ほんと重苦しかったんやけど、なんか、まあ、絶対に死なせてはくれないってことはようわかったよ。千晴くん……あーえっと、

「呼び捨てでええよ。」

 千晴は、生きろって思っとるん?」

「まあ、死んではいけないとは思わないけど……。もし昨日あのまま死んどったら、こうして会えてはいないんよ。これも、ねぇ見て。」

「……うん。やっぱり好きやわ。カメラも進化して、柔らかさも進化。」

「管弦楽団、あれ、もう二年前やよね。」

「うん。」

 駅舎は大きく、ブティックや食料品店が立ち並んでいた。その建物の外には、もう使われていない電波塔が見えている。そのまま塔に導かれるように扉を開けて外に出ると、中学生くらいの子供たちがローラースケートで遊び、キャッキャッと高い声を上げていた。

「なんよ、これ。行ってみない?」

 ミフユちゃんがわたしを誘うけど、言いながらどんどん先に行ってしまう。螺旋階段を登ると、そこからは太陽と周りの建物がよく見えた。

「空が真っ青や。水が光っとるなあ。」

 小さな看板にこの場所についての説明が書いてあって、たくさんの細かい文字が詰め込まれている。青い空と光る水、そしてミフユちゃん、広角に設定して全体を収める。

「ねえ、なんかすごいたくさんの人が入ってくよ。」

 わたしがレンズを向けている間に、ミフユちゃんの興味はすでに別の方向を見ていた。

「なんやろね?」

「行ってみない?」

「ええよ。」

「あ、これだ。」

 案内板にポスターが貼られている。

「ミュージカルや。私、みたことないわ。」

「行く?」

「せっかくやし?」

 劇場の方を向いて、並んで歩いてゆく。

 となりに座って鑑賞して、時々横を見て、それに気付かれると、気恥ずかしかった。気が合うんやな、と。

「すごかったな。なんか楽しいな。ねぇ、千晴……」

 ミフユちゃんの視線があさっての方向を向いている。

「どうしたん?」

「なんかさ、あの人かっこよくない?」

「あのお兄さん?」

 こっそり指さした。

「そうそう。」

「わたしも思った。」

「撮ってみてよ!」

「まって、急すぎるて!」

 顔を見合わせてにこっと笑う、と言っても、背丈はそれなりに違う。そして、反対方向へ進むときも並んで歩いた。



「お前また自撮りか?」

「自撮りじゃなくてメイクが……なんか後ろにいる人がめっちゃ兄ちゃんのこと見てる。あ、もう見てない。うわ、こんなところでイチャつくなよ。」

 いや、でも彼女の方、

「さてはかわいいって思ってるな。」

「可愛い妹に誘われて、これだけ素晴らしいものを観れて、サイコーだ。」

「ナルシかよ。」

 内カメラで顔を確認している妹は、きっと贔屓のことしか考えていない。ただ、楽しそうにしている姿を見るのは久しぶりだ。公演中は完全に世界に入ってしまっていたこと、それだけが悔やまれる。



 あのままわたしたちは駅へ向かった。

 必ずまた会おうね──


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