卒業
午前十時に市長から卒業式をやるかやらないかの発表があって、本当に今日が最後になるかもしれないと覚悟した。それはみんな同じだったみたい。
まず、朝登校したら、話題はもちろん「卒業式はどうなるのか」。「今日卒業式だって」とみんなが言っていた。「うそでしょ……」と思ったら、ふいに喉にくっと形のない塊が詰まった。教室の黒板には、槙野先生の似顔絵とクラス全員の名前、そして真ん中に大きく「3-1」。
本来は朝学習の時間だけど、誰一人として勉強なんかしていない。でも、とがめる子はいなかった。八時半をすぎた頃、ようやく教室に槙野先生が来た。
「昨日のニュースを見ましたか? 私も夕方のニュースで知って……」
「もしかしたら今日が最後かもしれません……」
語尾が波打つように震えていた。
三年生全員が体育館に集合したのは、八時四十分くらいだったと思う。
「十時に予定通り式ができるのか発表があります。もしかしたら今日が最後かもしれないので、先生方ひとりひとりからお話をして過ごします。式ができないのなら、その後卒業証書を渡します。できるのなら、簡単に式の練習をします。」
こんな感じで学年主任が前置きして、いよいよ先生方が順に話し始める。トップバッターは井島先生。
「本当なら一組の先生から順番のはずですが、一組の先生がどうしてもいやだとおっしゃったので、俺から話します。」
少し笑いを取る。
「今まで授業の初めに話をしてきたのは、みなさんに少しでも社会に興味をもってほしいからです。様々な話をしてきましたが、俺は家族の話や下品な話はしたことがありません。」
そんな井島先生の話は、まさかのトイレについて。シュッとして便器を拭くやつ、あれをいつ使うのかについて、昔、生徒が始めに使う派と最後に使う派で議論していたのを聞いたらしい。最後派の人は、次に使う人のことを思ってのことだったそうだ。いつも全く知らない人のことを気にかけて想っている、そんな人になってほしいと。また、家族ネタははじめからおもしろいことがわかっているから話さないのだと。井島先生の、先生としての信念が見えた。つまらないことをいかにおもしろく、興味をもってもらうか。
次は槙野先生。自身の経験について。
「教員になりたいと思っていたけど、試験に落ちて、一度は民間企業に就職しました。二年働いて、講師として学校で働かないかという話がきました。葛藤がありました。上司からは『ここで辞めるのは逃げることだ』と言われました。でも、自分の頑張りたい場所はここじゃないと思ったから、転職しました。学校で働くようになって、再び、教員になりたいと思うようになりました。試験を受けたけど、落ちて、次の年も落ちて。結局受かるまで何年かかったと思いますか?
五年です。
やっぱり、何回でも不合格の通知をもらうと落ち込みます。」
一度、いや、何度も挫折してるんだって、初めて知った。
「人生には、たくさんの選択があります。目標があっても、あきらめたっていい。でも、そのひとつひとつを大事にしてください。
あの誘いがなかったら、私はここで頑張ろうと決めていなかったら、私は今、ここにはいないから。」
私に重なるところがある気がする。人生とは、きっと、先生が経験してきたようなもので間違いないのだと思う。
加害者になって、毎日が憂鬱で、でも、あれから、怒涛の勢いで頑張って。
先生も私も、後悔はしていない、きっと。
三番目は新川先生。しょっぱなから涙声。
「私は三年間持ち上がりで受け持つのはこれで三回目になります。実は、先々週に一回目の子、先週に二回目の子が私に会いに来てくれました。どの学年の子にも、それぞれ思い入れがあります。一回目の子たちは、初めて受け持った子だから思い入れがあるし、二回目の子たちは卒業式の時に臨月で、そのあと産休に入ったから。
3回目のあなたたちは、復帰と同時に異動になって、慣れた学校から離れて初めての子たちだから。」
それは知ってる。
「新天地で、たくさん不安があった。
1年の時も、2年の時も、ずっと叱ってばかりだったと思う。でも、3年になって、少しだけ、怒ることも減ったね。」
熱さはずっと変わってないよ。
「これから先、高校、大学へ進んで行って、何度も苦しむことがあると思う。でも、何があっても、生きていてね。生きてさえいれば、必ずいいことがあるから。少なくとも、私より先に逝ったりだけはしないでください……」
私は生きている。
絶対にこの命を無駄にしたりはしない。
四番目は原田先生。
そういや、こないだの水曜日にも泣いてた。四組のみんなからサプライズされて感動して。そんな原田先生の4組に、なんだか寒さも吹き飛びました。
「えー、私はさっと切り上げます。知ってるかもしれないけど、私、一昨日も一回泣いてますからね。もう泣きません。」
離任式で毎年、離任する先生の話聞きながら泣いてるじゃん、そんなの原田先生だけだよ。
「君たちが小学校から中学校に上がる時、私たちは小学校の先生からひとりひとりについて話をききます。その時、みんなが口をそろえて『いい子たちです』と言っていました。嘘じゃないよ、ほんとだよ。どんな子たちが来るのかなあと思っていたら、本当にみんないい子たちだった……。私は次、高校の先生方に、みんなのことを、いい子たちですと言って送り出せます。そのことが何よりも、私たちにとってうれしいです。」
最後声震えてて、慌てて話を終わらせたように見えた。
ずっと私は嫌われ者だった。嘘じゃなくてほんとなら、私のこと、いい子だと思ってたのかな。
宮内先生は「人生は一次関数」の話を、直美先生は昔の旅していた頃の話を、体育の先生はバナナの皮で滑って転んだというくだらなくておもしろい話をしていた。
一次関数のグラフは直線。傾きがプラスなら右上がりで、マイナスなら右下がりになる。傾きの値を決めるのは自分なんだって。直美先生みたいに、イラつく時は舌打ちじゃなくて「ペッ」って言ったら、プラスにできるかも。バナナの皮でコケてもすぐ笑い話にできるのは、それが本当にバナナだったからで、私の例え話に使うとしたら、とても笑えないね。
私はずっと付けてきた記録を「結仁記」と名付けました。結仁は「ゆうじん」と読んで友人との掛け言葉。古典で習う先人が残した随筆は素晴らしい作品だけど、私は作品を書いているつもりではありません。これは単なる記録で、結びつきも倫理で出てきた「仁」も素敵だけど、くっつければ無くなる。だからこれは、不要物なのかもしれません。
そして、最後に、ひとつだけ。
私は私の過去を善悪とともにひとの参考に供したいのです。しかし、私は自分が穢れた人間として後世に残ることに耐えられない、弱くて意地穢い人間なのです。全ては貴方だけに打ち明けられた私の秘密ですから、すべてを胸の内にしまっておいてください。
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