懺悔の記し

#1

 苦しかった、小五の春。

 私は小さい時からずっと、常に何かしらに追われていました。特に、音楽教室には、大切な何かを置き忘れてしまったのだと思います。たぶん、あの頃です。

 コンクールに出ないか、と先生に勧められました。私は、このような選択を迫られた場合は必ずイエスと答えるものだと思っていたので、出場することになりました。いくつかの課題曲の中から私が選んだものには、グリッサンドという弾き方が指定されているところがありました。正しいやり方を知らず、教えてもくれず、いつしか指の皮が剥けて、練習の度に鍵盤が薄く赤色に染まりました。

 先生はとても”親切”で、タダで別の曜日にもレッスンをしてくれました。ある時、あまりにも演奏が良くないということで、お叱りを受けました。よく覚えていませんが、夜の十時、十一時くらいまで教室にいたと思います。全て私のためです。上を向いて歩こう、とアドバイスされました。

 その後は、より一層頑張る、ということを母親に求められました。私はもう二度と行きたくないと思ってました。でも、もう今さらやめるなんてできないと思い、真面目にやりました。本番の演奏が終わった直後、観客から見えなくなったところで、良くなかったところについてご指摘を受けました。それでも結果は金賞で、次に進むことになりました。しかし、本選と学校の林間学校の日程が被っていました。親の方針で、習い事よりも学校を優先することに決まりました。先生から、いつも「笑え!」や「根暗!」と言われていました。帰ってから最初に会った日には、楽しかったかどうか訊かれましたが、イエス以外の答えは知りませんでした。

 笑うことができなくて、弱くて、何も感じない。そんな十一歳になっていました。



 小学生になると、たいていのは地域の子供会に入りますよね。私だって、例外ではありません。私はそこでKちゃんに出会いました。もしこの少女が私の生活の行路を横切らなかったならば、おそらくこういう長いものを書く必要もなかったでしょう。

 Kちゃんにとっての私は、さあ、どう思われているのでしょうね。

 入学したばかりの頃の写真が私のアルバムに入っています。私とKともう一人の友人が手を繋いで掲げている写真です。三人ともまだ幼く、そして笑顔でした。


 私は、学校ではとても友達の少ない子供でした。

 小学校一年生の時、クラスに一人不登校気味の子がいました。その子をAちゃんと呼ぶことにします。たまに登校することが出来たAに私が声をかけたことがありました。それがきっかけで、私たちは仲良くなりました。当時六歳でしたから、かれこれ十一年の付き合いになるのかと思うと、感慨深いものです。三年生の時には、私とA、そして新たに仲良くなった亜美ちゃんの三人でいつも一緒にいました。手術ごっこをすることが一番多かったと思います。Aが家にある要らない消しゴムをもってきて、それを病気の人間に見立てて手術するのです。

 そんな平和な年月はあっという間でした。

 四年生のクラスでは、亜美と、新しい友達のBちゃんと一緒にすごしていました。Bは、周りの大人はもちろん、少しでも自分と合わない子に対して「うざい」などと言い、少しも口をきこうとしませんでした。特に嫌っていたある女の子からは、いつも逃げていました。距離が少し近づくだけで、彼女は走り去っていきました。

 私は「友達と一緒に過ごす」ことが当たり前と思い込んでいました。私が気付いていなかっただけでしょうが、一人でいる子なんていなかったと思うのです。一人になることが怖かったのです。恥ずかしいと思っていたのです。私はBになんでも合わせましたし、亜美はなんでも私に合わせていました。

 実は、おそらく亜美は生まれつき知能が低かったのだと思っています。勉強は低学年の内容でも全く出来ず、当時からテストは十点台ばかりでした。

 そんな状況で、私はBがよく使う言葉である「ウザい」の意味を知りました。人を嫌うということを知りました。それまでの私は、不平不満を抱いたとしても、その人に対して特に何も思いませんでした。この頃から、輝乃と同じように「ウザい」を元に行動するようになりました。亜美は相変わらず私に付きまとっていました。


 さて、また進級の春を迎えました。次は五年生です。

 この年同じクラスになったのは、友結ゆゆという子と、亜美と、Kでした。初めて、Kと同じクラスになりました。


 始めのうちは、私はいつも亜美と二人で過ごしていました。

 しかし、どうしたことでしょう。亜美はなぜか暴力的になっていきました。少しでも私に不満があると、叩かれました。どこよりも大切な手を切ったこともありました。彼女が何を思っていたのか、私には想像もつきません。

 私は亜美の暴力を、まずは母に訴えました。

 すると、母は過剰なほど反応しました。家庭訪問の際には亜美の話ばかりでしたし、そのおかげで亜美の暴力がピタリと止まったと言うと、今度は私のランドセルを勝手に開けて連絡帳を取り出し、先生宛の文書をしたためました。見返せば、母が私を大切にしてくれていることはわかるような気がします。当時の私に、そのようなことを考える余裕などなかったのですが。

 私は確かに、暴力の被害者でした。しかし、面倒なことに、母からの連絡によって私は「良い友達がいない子」というレッテルを貼られました。

 友結は、五年生の春の体育の授業で、鉄棒をやった時に仲良くなりました。私は鉄棒が得意でした。しかし、友結は苦手でした。友結は私に、コツを教えてほしいと頼みました。それから休み時間には友結、私、亜美の三人で鉄棒の練習をするようになりました。

 私と友結は、みるみるうちに仲良くなりました。鉄棒の練習という名目がなくとも、一緒に過ごすようになりました。友結と亜美が親しかったかどうかは、正直言って、私にはよくわからないのですが、いつも三人で過ごしていました。

 私たち三人の関係が安定してきたころ、それを乱す存在が現れました。

 それはKです。

 Kは、それまでは、ただのクラスメイトというだけで、何とも思っていない存在でした。子供会で仲が良かったのは確かですが、それは子供会の中における人間関係であり、五年一組の人間関係の中では、まったくもって重要ではなかったためです。あまりよく覚えていないのですが、友結と仲良くなりたかったのか、私に近づきたかったのか、だいたいそのような理由と推測しましたが、彼女が私たちの仲間に入りたがるようになったのです。

 コンクールの本選を休んで出席した夏の林間学校は、何事もなく終えることができました。秋の運動会も、林間学校と同様でした。

 しかし、私たちは、最低です。

 Kをいじめました。

 ある日、友結が言ったのです。

「Kのこと、どう思う?」

 私は返答に窮しました。友結の性格は、もうよくわかっていました。曲がりなりにも友達でしたから。輝乃のように「ウザい」をわかっていて、多用していました。

 私が何も答えず「うーん……」と黙ってしまうと、友結は次の一言を放ちました。

「Kってウザくない?」

 この質問に対する答えの選択肢は2つあります。イエスかノーです。でも、よく考えてみてください。この質問は、どちらを選んだとしても、私には不利になるのです。

 イエスと答えた場合、私とKの関係を、一瞬にして壊すことになります。友結に同調すれば、友結はKを避けるに決まっているから。友結がKを避けるなら私もKを避けなきゃいけなくなるから。また私は殴られる。

 ノーと答えた場合、友結を否定することになり、それでは私がKの立場になります。友結が嫌いなKに味方する私も、友結の嫌いな人。

 私はこの二つを天秤にかけ、ほんの一瞬で、答えを出しました。「わかる~」と答えました。こうして、私はKを避け始めました。亜美も共にKを避けました。Kが私たちに近づいてくると、すぐに逃げました。Kの悪口を書いた手紙を、三人で共有しました。Kをことごとく仲間外れにしました。

 ある日、いつものように三人でKから逃げた時、Kは大声で私にこう問いかけました。

「奈菜は私のこと嫌いなの?」

 私はこの時も返答に窮しました。イエスでもノーでも、私は後で追い詰められると分かっていたから。

「嫌いになってほしいの?」

 私はこう答えて、なんとかその場をしのぎました。意図なんてありません。当時流行っていた少女漫画のセリフを、たまたま思い出しただけです。


 それからしばらく経ち、季節が冬本番を迎えた頃、ついにKは音を上げました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る