#2

 あの日のことは、一生忘れないでしょう。

 私を逃さまいとする黒い影、私が歩けば地面に付く染み、忘れることなどできないでしょう。

 真冬の水曜の朝、登校してきて教室に着くと、黒板に大きく「一、二時間目は自習」と書かれ、教卓の上には二時間分の自習プリントが積まれていました。私は「なぜ?」と戸惑いを感じながらも、友結や亜美と共に喜んでいました。そんなところに担任のW先生がやってきて、まずは私だけを呼び出しました。少し話すだけと聞いたので、大した用件ではないと思いました。

 私は何も考えずに、先生についていきました。行き先は、特別教室ばかりが集まった南校舎の一階、相談室でした。

 あのフロアは、冬になると冷気がとどまり、そして薄暗い場所です。また、相談室は掃除されておらず、埃っぽい部屋でした。そこで、まずはこう訊かれました。

「最近どう? みんなと仲良くやれてる?」

 私は、イエスと答えました。

 直感が、私に訴えかけたのです。イエスと言え、と。

 嘘をつくことに対する罪悪感というものはありませんでした。さも当然のように嘘をつき、Kをいじめる。それが私の日常でした。

 私は相談室から解放され、すると今度はKが相談室に入っていきました。二時間自習と聞いていますから、この時には、私に一時間話を聞いた後、あとの三人にも説教をして、それで終わりだと思っていました。

 Kが相談室に入っているあいだ、私はずっと相談室の向かいにある特活室にいました。独りで過ごすには広すぎて心細く、また、暖房はありませんでした。何もすることがなく、ただ適当な椅子に座って、二時間半ほどボーっとしていました。

 私は三時間余りにわたって先生たちに拘束され、友結や亜美を含む他の子たちが何をしているのかすら、知ることが出来ませんでした。

 私とKは二人で、一旦教室に戻されました。何が起こったのか、私はすぐ友結と亜美に伝えました。Kは何食わぬ顔で席に着いていました。

 そのあとすぐ、W先生が教室に入ってきました。そして大声で友結と亜美を呼び出し、連れて行きました。

 何も言われなくても、私は分かりました。教室を出ていく二人に私は目で訴えました。覚悟しろ、と。覚悟を決めないと、あの相談室に入ったら出てこられません。私は察していました。いじめ事件を解決しようとしているのですから、そう簡単には解放してくれないでしょう。

 私はこの日、正式にいじめ加害者になりました。

 予想通り、四時間目が終わり、給食が終わり、掃除の時間が終わっても、二人は戻ってきませんでした。昼休みになり、一人で過ごしていると、教務主任が私のところにやってきました。

「ちょっと来てくれる?」

 何も言われなくても分かりました。またあの相談室に行くのだ、と。彼は、Kにも同じように声をかけていました。そして、相談室に当事者全員が揃うと、いじめに対する説教が行われました。私と友結と亜美が並んで座り、反対側にK・W先生・学年主任のX先生が、教務主任がいわゆるお誕生日席に座りました。X先生も出てきたということは、五年一組だけでなく、五年二組の授業の時間まで奪ってしまったということです。自分はとんでもないことをしたのだ、と改めて理解しました。

 あの日受けた説教の内容は、実は全く覚えていないのです。一体どんな話をしたのか、まったく記憶にないのです。しかし、断片的に覚えている部分が一か所だけあります。学年主任が私たち三人に問いかけたのです。彼女は、まずたまたまその場にあったボールを指さして言いました。

「このボールを壁に投げつけたら、どうなると思う?」

 この質問に対し、友結や亜美など皆黙っていましたが、私は言いました。

「跳ね返る。」


 あれから、卒業までずっと、学校の居心地は最悪でした。

 W先生からは、無視されたり、わざと通知表の成績を悪くされたりしました。X先生からも無視され、また、彼女はことあるごとにジロジロと睨みました。

 私はもう、何もかもがどうでもよくなりました。友達なんて、こんなものなのです。どうせ、いつか必ず壊れるんです。

 思い返せば、いつも友達は一年間でした。友達はいつの日か友達なんかじゃなくなる。友達なんて、その程度のものなんです。


 あの日の一週間後、友結は衝撃的なことを口にしました。

「もう奈菜とは遊ばない。」

 理由を訊くと、母親に私とは仲良くしてはいけないと言われたそうなのです。私は涙が止まらなくなりました。Kをいじめて、暴力から逃れようと必死にもがいて、たどり着いたところでは結局、私は独り。私の周りには、誰一人いない。

 あれを言われた休み時間のすぐ次の授業では、ずっと泣いていました。クラスメイトは、さぞかし不審に思ったことでしょう。その時、なんと私を無視していたはずの新美先生が、私の肩をトントンと叩いたのです。優しく、本当に優しく。W先生は、私をどう思っていたのでしょう。


 六年生のクラスでは、Cちゃんという子と親しくなりました。彼女との関係は、一年も経たずに壊れました。二学期くらいから、優里は私と一緒にいることをやめ、他の子たちと一緒にいるようになりました。私はいつも独りですごすようになりました。

 五年生の時にいじめをしたという事は、おそらく六年三組では知られていなかったのでしょう。友達同士なら、あれのせいで嫌な思いをしたことはありません。

 先生方は、五年生から持ち上がりで六年生の担任になりました。一組のW先生も、二組のX先生も、みんな私たちの罪を知っています。私が罪人であることを知っています。何をやっても誰も評価してくれない。いつでも誰にでも、私は嫌われる。ピアノでも、学校でも、家でだって、大切にされていると思っていませんでした。

 私には、覚えている限り信じられる人がいません。そもそも、信じるとは何ですか? 信用は? 信頼は?

 親も友達も先生も、誰も私を知らないんです。何もかもを明かした人は、誰一人としていません。自分を他人に「理解してほしい」と思うこと自体が傲慢とさえ思えます。私が他人を百パーセントわかることができないのと同じように、私のを他人が百パーセントわかることなんて、有り得ないんだから。


 本気で将来の夢と言えるものを見つけたのは、あの日が初めてでした。あの日のことも、私はきっと忘れられない。もちろん、疑問はあります。果たして、私は希望を抱いていいのでしょうか。私は人を傷つけたのに、自分だけのうのうと幸せになっていいのでしょうか。

 先輩も同期も後輩も全員を思っている生真面目なリーダー、それが私にとってのヒロインなのですが、指揮官になる後押しをしたのは冒頭での主人公でした。仲間を信じて危険な現場へ向かう者、指示を出すという形で危険から仲間を守ろうとする者。それぞれがそれぞれの役割を担い、みんなが互いを信じていて、あれが、絆です。後になってから思いました。私はきっと、仲間を欲しているのだと。絆が欲しいし、信じるという気持ちを知りたい。私だって、誰かを信じてみたいんです。でも、どうしてもできない。何もかもすべてはただの綺麗事で、つまり絵空事です。

 中学生になった私は、”死ぬ気で”勉強するようになりました。毎日勉強するのは当然として、さらに良い評価をもらうためなら何だってやりました。先生に対してボロを出さずに媚びを売ろうと、私は今までの自分を抹殺して「気に入られる子供」になりました。大人が気に入る子供はみんなだいたい同じですから、気に入られる子の特徴の配合を、先生ひとりひとりに合わせて調整すればいいだけのことです。初めは無理をしていても、慣れれば自然のことになりました。

 結果、高校受験では、第一志望に合格できました。

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