第22話 ふたりの皇子、それぞれ

※不快で残酷な表現があります。苦手な方は、退避をお願いいたします。



 

 

 ◇



 

「ぎゃああ!」


 後宮にある豪奢ごうしゃな部屋で、清宮きよみや龍樹りゅうじゅ陽炎かげろう部隊の護衛を盾にしつつも、震えあがっていた。

 

 守りを固めたものの、ねちょりぐちゅりと音を立てながら、容赦なく次々と目の前で喰われていく者どもを見て、恐怖で気が狂わんばかりになっている。

 

「やだ、やだ、やだああああああ!」


 血と涙と糞尿まみれになった龍樹に、美麗な第二皇子の面影はどこにもない。

 蜂起したはいいものの、なぜか後宮にはあやかしが溢れた――いよいよ青剣あおのつるぎの力が失われたか。それとも『護国』に逆らったその代償か。

 そのどちらでもあるだろうが、知る由もないままに、襲われている。

 

 いかに皇雅の誇る術式部隊『陽炎かげろう』であろうと、大量のあやかしに抗う術は、単体では持っていない。全ては紫電しでんの武力、白光びゃっこうの補助、そして黒雨くろさめの暗躍ありきであるのだから。


「なんとかしやれ! しりゃれ! ぎゃああああああああ!」


 絶世の美貌もどこへやら。

 叫ぶ清宮の、絢爛けんらんで重たい十二単の金糸が、薄暗い中ぎらぎらとしている。

 

 それもまた、次々と喰われていく陽炎部隊の返り血でどす黒く染まり、しとどに湿り、動きを封じつつある。

 脱ぎ捨てれば良いものを、栄華に追いすがるためかそれとも単に思いつかないだけなのか。ずりずりと引きずってにぶく逃げるのみだ。


「やだ、やだあああああ! だれぞ! だれぞおおおおおおおおおおおおお」

 

 龍樹もまた、戦うなど微塵みじんも頭に浮かばない。逃げるという発想もない。

 ただただ誰かなんとかしろ、と泣き叫ぶのみである。

 

 

「あーあ。オイラもやだよーこんなの。はーあ。でもなー、沙夜のお願いだもんなあ」


 ――と。


 ぶつくさ言いつつ、ばさりと大きな黒い翼をはためかせて突然その場に現れたのは、烏天狗の愚闇ぐあんだ。


「うわぁ。きったねーから、お首元。失礼しまーす」


 ぐい、と龍樹の首後ろの布を持ち、引きずって部屋の外の濡れえんまで出るや、バサバサと雑に飛び立った。

 ぽかんと口を開けてそれを見送る清宮が、ねろねろと黒い影に覆いかぶさられ「ぎや」と短い悲鳴を上げる。それを見ずに済んだのは、龍樹にとってきっと不幸中の幸いだったであろう。

 

「城まで運びますんで~」

 

 どこかのほほんとした声を聞いて我に返った龍樹は、空中にも関わらずジタバタと暴れ始めた。

 

「ひ!? ぎゃあ! ぶぶぶぶ無礼なっ」

「ええ? んじゃ……手ぇ、離します?」

「ややややめろっ」

「へえへえ。うっかり離すと落ちて死にますからね。黙っててもらえます?」

「っひ、ぎゅ、ぐ」

「ハハ」


 

 ――あれでも魅侶玖は、弟のことを思っているんだよ。だから、助けてあげて。ね。


 

「こんなのでも、ねぇ……」


 烏天狗の呟きは、皇城の空に消えた。

 

 

 

 ◇

 


 

「ギー。なぜここに連れてきた?」


 離宮にある池を背にして、魅侶玖みろくは眉間にしわを寄せる。

 

 宙に向かって刀を正眼に構える傍らには、紫の狩衣を優雅に着こなす最強の鬼が、不思議な指印を組んで立っていた。驚くことに、「ボロン」と気を発するであやかしを滅している。魅侶玖は、その隣で剣を構えているだけで何もしていない。

 

「来臨の機が整ったと言っていたが……」


 

 ――ねちょり、ねちょり。



 近づいてくるあやかしを滅しながら、ギーは「しかり」としか言わない。

 回廊や庭には、何人もの武装をした人々が倒れている。龍樹に呼応した陽炎部隊に襲撃を受けたふたりであったが、ことのごとくギーが蹴散らし、ここまでやってきた。

 命までは取らなかったつもりが、

 

「ぐはぁ」

「ぎゃ」

 

 悲鳴のする方へ顔を向ければ、あやかしがのしかかって

 

「……むごいな」

「同情は禁物ですよ、殿下」

「冥へ引きずられるというのだろう。分かっている」


 ギーが口角を上げたのが、見ずとも気配で分かる。

 


 ――んで……



「? 何か言ったか?」

「ふくくく。やはりか」

「ギー?」

「聞こえたなら、応えるがよい」

「……わかった」



 ――呼んで……


 

 魅侶玖は体の力を抜いて、刀をだらりと下ろした。すー、ふー、と丹田たんでんに力を入れて深く呼吸を繰り返す。



 ――呼んで……真名まなを……



 青剣あおのつるぎの眷属。その『真の名』を先代皇帝よりたまわることが、継承の儀には盛り込まれている。

 

 ギーがそれを魅侶玖へ与えることを決めたのは、三百年前と同じように『青剣を持つ』があるかどうかをからに他ならない。

 

 魅侶玖には資格があり、その証拠に、が聞こえている。

 

 夕星ゆうつづの描いた儀が、今まさに成ろうとしているのだ。

 ギーの胸の内に溢れるのは、安らぎか寂寥せきりょうか。本人ですら、分からない。

 

 

伯奇はくき!」



 魅侶玖の張りのある声が、曇天どんてんとどろいた。



「うん」


 返事は、池の方から聞こえる。

 振り返ると、赤い太鼓橋の上に人影がある。


 白い髪に白く濁った目の、水干すいかん姿の少年だ。

 いつかここで会ったな、確か名前はハクと言ったか……と魅侶玖が思い返していると、柔らかく微笑まれた。


「頑張ったね、魅侶玖」

「え……?」


 特別なことは何もしていない。何も思い当たらない。


 首を傾げる魅侶玖をにこにこと見つめながら、少年はふうわりと飛んで――物音ひとつさせず、ふたりの側に降り立った。その姿は、前に見た時よりも少し


「瑠璃玉の忠誠を得ること。それが僕を眷属とする条件だよ……まあ、代々皇帝の中には得られない人も当然いてさ。継承の儀で無理やりにってことも多かったけど。君は自分で得たから、すごいね」

「瑠璃玉の、忠誠?」

「沙夜は、君が国を良くすると心から信じている」

「っ!」


 魅侶玖はたちまち目を見開き、息を呑んだ。


「けれど、継承の儀の前にそれを裏切ったら、僕も失う。心して」

「っ、絶対に裏切らない。誓う!」

「はは。良いけど。やっぱり危ういなあ」

「危うい、とは」


 ハクの目が、細められた。


「きれいなままだと、けがされたら戻れないんだよ」

 

 魅侶玖には、やはり想像もつかないことだった。


「さて。表に出ているのも疲れちゃうからさっさと……あ、来た来た」

 

 回廊を走り抜け、こちらへ向かってくるのは、大きな黒い狼の背に乗った、青い小袖こそで姿の女だ。黒髪をなびかせて、大きく手を振っている。

 

「みんな、無事っ!?」


 ギーが、するりと指印を解いた。

 あれほどうごめいていたあやかしたちの姿は、気づけば全て消えている。


「ふくく……さぁいざいざ。迎えようか」

 

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