第8話 また、出会ったのは
「ねえすず。ここから離宮って遠いのかな?」
「あら。
「! 愚闇、行っても良い?」
「良いんじゃないですかね。主殿には近づかないよう言われてますけど」
「やった」
「ふふ。いってらっしゃいませ」
すずに見送られた沙夜が、
『果ての宮』と
皇城には外堀や天守閣があり、通常の執務や接見は城の中で行われている。
皇帝と皇太子の居住区(寝所)である後宮には、特別な行事を除いては一握りの限られた高官と女しか入れない。
後宮には主殿と呼ばれる、皇帝や皇太子が主に過ごす場所の他、皇妃や女官の数だけ色々な建物がある。それらはいわゆる寝殿造のように、屋根があって外壁のない、板張りの廊下で繋がっており、大きな中庭をぐるりと囲うことから『回廊』と呼ばれている。広すぎて迷う。
沙夜のいる『
「みんな部屋に籠っていて平気なのかな? 暇じゃない?」
「ははは。確かに」
「わん」
後宮の女たちは、基本それぞれの部屋で過ごす。日がなおしゃべりをしたり、手紙を書いたり歌を詠んだり、楽器を弾いたりしているのが常なのだそうだ。
村で忙しく働いていた沙夜にとっては、あまりに退屈で耐えられない。
そのため愚闇と玖狼と共に散歩するのが日課となり、また自然と、
そんな、ある日のこと。
日課となった散歩をしていた沙夜は、離宮にある池の前にしゃがみこんでいる、小さな背中を見つけた。
ねずみ色の
(いつも誰もいないのに?)
「誰だ」
すかさず愚闇が鋭い声を発する。
驚いたのか、小さな肩がびくりと跳ねた後で尻もちを突いたので、慌てて駆け寄った。
「だいじょうぶ!?」
「沙夜っ、じゃなかった、
焦る愚闇は沙夜を止めるが、遅かった。
「だって、転ばせちゃったもの」
灰色の少年は、そっと背中に手を添える沙夜を見上げてふふっと笑う。
「びっくりしたあ! さよ?」
「はい」
返事をした瞬間、びたりと動きを止めた沙夜は、それからごくりと息を呑んだ。
少年は眉尻を下げて苦笑する。
「そうかんたんに、へんじしたらだめだよ。これは、そのけいこく」
「しまっ」
愚闇が絶句するのを背後で感じながらも、沙夜はすぐに動き出し、そのまま少年の手を持って立たせてやる。
「そうなのね。知らなかったわ」
「ふふふ」
ぱんぱん、と片手でお尻を叩いて砂を払う彼の目は――白く濁っていた。
「目、見えないの?」
「みえるよ」
「ああ、良かった!」
「やさしいなあ、さよ。きにいったよ。ぼくは、ハクだよ」
「ハク?」
「うん」
手を繋いだまま、ハクは愚闇を振り返った。
「そこのからす。そう、けいかいするな。ぼくだよ」
「!」
「おろかな
「あなたさまは……」
ハッと我に返った様子の愚闇が、即座に地面へ片膝を突いて深く
「こら。さよがこわがるだろう。たって」
「は」
「ハク? 愚闇がひな? ってどういう」
「からすてんぐだからね」
「へ?」
言われた沙夜もバッと振り返ると、愚闇の背中からは黒い大きな翼が生えていた。
「ですね」
「烏天狗ぅ!?」
「しらなかったの? それはわるいことしたかな」
「いいえ。寝ずの番を心配されるので、いつ言おうかと思っていたところです。というわけで、オイラは寝なくて平気ですからね」
「えええええ!!」
沙夜の目は、限界まで見開いたままだ。だんだん目の表面が乾いてきても、衝撃のあまり
その間もふたりは、淡々とやり取りを続けている。
「ギーは、げんき?」
「お元気でいらっしゃいます」
「よかった。そとにでたのひさしぶりだから。いろいろきかせて」
「は!」
「さよ? そこ、すわろ?」
離宮の濡れ縁へと促されても、一歩も動けない。
「てことは、ま、さか、ギー様も」
沙夜の脳裏には、銀髪赤目で紫の狩衣姿が麗しい、紫電二位の姿がありありと浮かんでいる。
「なまえとみためで、わかるだろう?」
「いやいや、いやいや! ええ!? ええええええ」
「あはは! さよ、おもしろい!」
無邪気に引っ張られて、ようやくすとんと木の板の上に尻もちを突いた。
「ぐーあーんー!?」
目を剥く沙夜へ、烏天狗はやれやれと言うかのように肩を
「はいはい。この通り、オイラたちは人間と共に暮らす
「ってことは、他にもいるの!?」
「まあ。多くはないですけどね」
ハクがにこにこしながら、沙夜の横で
「ええっ!?」
「さあ、どうぞ。へんなものは、はいっていないよ。ね、ぐあん」
「はい。ハク様の『おさゆ』は縁起物にございます」
ふたりの圧に押されて、とりあえず椀を傾けた沙夜は――
「! おいし」
飲んだ瞬間思わず放った言葉で、ますますハクを上機嫌にさせたのだった。
◇
「
濡れ縁の上から足をぷらぷらさせるハクが、無邪気に言う。
「けしてくれてありがとう、さよ」
「え!? いいえ、その、夢中で」
「うん。からだへいき?」
「はい」
白く濁った目で、じっと目を覗きこまれた沙夜は、無駄にドキドキしている。
少年の顔であっても、非常に整った顔立ちで鼻筋が通っていて、唇は赤い――圧倒されるような、何かがある。
「うーん。むりしたらだめだよ。
「えっ何が!?」
「あれ。しらないの?」
沙夜は早口で、村があやかしに食われたため、祖母の遺言に従い皇都に来て愚闇に助けられ、
「わー。たいへんだねー」
ハクはにこにこと棒読みで、白湯をすする。
「ハクも、もののけ?」
「まあね。きになるだろうけど、ぼくがなにかは、いえないんだ。ごめんね」
「そう……わたしの中の、なにが起きたの? わたしがあやかしを消したのよね?」
「うーん。いえない。けど、さよが、けした」
沙夜は、ふーっと大きく息を吐いて椀を持った手を膝に乗せた。
愚闇が玖狼と並んで、庭から心配そうに見ている。
「ばあばがここに導いたからには、何かあるとは思っていたの」
「うん」
「いつかは、分かる日が来る?」
「うん」
「そっか」
ハクはにわかに真剣な顔をして、沙夜の左手首の組紐をそろりと触る。
「それまでこのおまもりは、けっしてはずしてはいけないよ」
すると、身体が温まってきた。
「ばあばにも、同じことを言われた……」
ポカポカと元気づけられるような気持ちになることが、不思議でならない。
「そっか」
「ねえハク。またここに来てもいい?」
「もちろんいいよ。あえるかは、わからないけど。あとぼくのことはだれにもいってはだめだよ」
それでも、ハクといる時間が心地よかった沙夜は、素直に頷いた。
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