第二章 錯綜する、糸
第7話 腹違いに、思惑あり
沙夜が「今日から
後宮には「
皇妃もしくは皇妃候補として後宮へ
更衣というのは、その女御に次ぐ位置づけだと聞いて、沙夜は
更衣となると専用の部屋が与えられ、部屋には名前が付き、以降は個人の名ではなく部屋の名で呼ばれるようになる慣例だ。
身の回りの世話をする侍女までつけられ、つい最近までただの村娘だった自分にとってあまりにも大きすぎる変化に、一体どうしろと! と首をひねるばかりである。
しかも、女性には全く興味がないと
図らずも沙夜の名は、皇都の貴族女性の間中に響き渡ってしまった。つまり、高位貴族全ての耳に入った、と言っても過言ではない。
さすがにギーが状況を
『今はなにかと物騒である。侵入したあやかしのこともあるし、護衛をつけよう。見知った者を行かすゆえ、安心するがよい』
当然、「護衛!?」と驚く沙夜が迎えたのが――
「ねえ
「くぅ~ん」
「えーっと、
「仲良くはない! 呼ばれ慣れないから名前がいい! 敬語やめてーーーーー!」
「はっは。ご命令とあらば」
「命令って!」
通常は女しか入れない後宮だが、暗黙の了解で護衛(と監視)のため
愚闇が表立って歩けるよう『魅侶玖の命』として押し通したギーの配慮は心強くありがたかった。が、『更衣』は愚闇の階級より上のため、配下として扱わなければならないと聞いて困惑するしかない。
(自分は何も変わっていないのに……一瞬でそんなことになるだなんて。切ないな……)
◇
ようやく落ち着いて身支度ができるようになった、ある朝のこと。
鏡台の前で侍女のすず――二十五歳で年上だからと、沙夜が『おすずさん』と呼んだらこっぴどく叱られた――に整えられながら、他愛もない会話をしていた。
武家出身のすずは、公家の人々とは違って嫌味もなくさっぱりとした話しやすい女性である。
これもまたギーの采配だと聞いてホッとした沙夜は、それでも何度も聞いてしまう。
「愚闇もすずも、私みたいなただの村娘に従うのって、嫌じゃないの?」
「まあ!
「ちょうきなんかじゃないってば!」
部屋の名前で呼ばれるのも、何かと魅侶玖のお手付きみたいに言われるのも、沙夜にとってはなかなか受け入れがたい。
「ひひひ」
「んもー愚闇、笑ってないでなんとか言って!」
「
「ちーがーうー!」
「おん、おん!」
「
「わん!」
「
「……わかったわ」
すずに声を掛けられ、重い腰を上げる。
未だに着慣れない
後宮主殿近くの小部屋で、今や大嫌いになった時間が始まるため、大げさなぐらいの気合いが必要なのだ。
「
「げ……はい」
キッ。
音が鳴るぐらい睨んでくる
平民が更衣になるのは異例中の異例。当然沙夜は、家で習ってしかるべき基本すら全く知らない、ド素人だ。しかも沙夜の『更衣』という身分は尚侍より上なのだから、このような態度も致し方ないと
「……すみません」
「ほんに、なぜ殿下はこのような田舎娘を」
このように強く
そんな尚侍も、沙夜には護衛として愚闇が常に付き従っているため、すずいわく「これでも大人しい方」らしい。
沙夜が、あれで!? と驚いたら、すずはコロコロと笑いながら「何人もいじめ抜いて、辞めさせているのですよ」とそら恐ろしいことを言った。
強制的に女官として必要な勉強の時間を入れられ、環境に慣れるのに必死のうちに、あっという間に時が過ぎていく。
毎日もたらされる気苦労と肉体疲労が、祖母の遺言や離宮で見たあやかし、それを自分が消したかもしれないという事実から、目を
――その間、皇城内では当然、さまざまな陰謀や欲望が渦巻いていたのだが。
◇
「なぁんだ。ただの田舎者じゃないか」
その、宵。
沙夜が自室の机に向かって文字の練習をしていると、唐突にそんな言葉を投げかけられた。
いきなりそのようなことを言われて、
「……どなたです?」
沙夜は慌てて袖を持ち上げて顔を隠す。後宮での女官は、みだりに男性に顔を見せてはならないと教わったばかりだ。
「僕のこと知らないの? やっぱり平民の、どこの馬の骨とも知れない小娘だねえ」
その男性は、許しもなくずかずかと敷居をまたいで部屋に上がり込んでくる。
「あのっ!」
非常識な振る舞いではあるものの、気づくと愚闇もすずも畳に額をこすりつける勢いで座礼していた。かなり高位の人物なのは確かだ。
その証拠に、
仁王立ちのまま、彼は「これ」と持っていた
「
(あ、嫌い。)
「慣れぬゆえ、ご無礼をお許しください」
沙夜は素直に、袖で顔を隠しつつ膝ごと向き直ってから、頭を下げた。三つ指を突いて、三角になるように――と尚侍のお小言が思い出されて余計に
「いいよ」
再び袖を持ち上げ、ゆっくりと上体を起こす沙夜の前に片膝を突いて、彼は
「うーん。とりたてて器量良しでもなし。兄者はお前の何が良かったのかな?
兄者ということは、こいつが噂の第二皇子だと確信し、口を開く。
「
沙夜の部屋は主殿から最も遠い場所にあるため、『果ての宮』と
目的地としない限り、来られるような場所ではない。
「……ふうん」
す、と片膝立ちの姿勢から、
早く帰って欲しいと思いながら、袖越しに畳の
「
さきほどちらりと見た龍樹は、美少女と
立烏帽子から胸元まで下りている黒髪は、つややか。目の色は、少し赤みがかったとび色。白磁のような肌に、華奢な手首。自分よりよっぽど美人だと思ったが、声音と口調に性格の悪さがにじみ出ているのを残念だとも思う。
魅侶玖とは、骨格から仕草まで似ても似つかない。そういえば、腹違いと言っていたなと思いだす。
(この人きっと、性根が歪んでいる。綺麗なのに、もったいない。)
「多少は言葉が通じるみたいだから、聞くけど。……どうやって、兄者に取り入った?」
そのひん曲がった心が、どろりとした感情を乗せつつも柔らかな声を発する。耳心地の良い、軽やかな音だ。歌でも詠んだら、誰もが耳を傾けるに違いない。
「取り入る、とは」
「そのまんまだよ。兄者は身も心も固いからね。どのような
「足を、拭きました」
「え?」
「わたくしは離宮のお掃除番でした。殿下の
「兄者の足を、拭いた?」
「はい」
「それで
「はい」
「それを、誰が信じると思う?」
憤った様子を隠しもせず、龍樹はさらに問うが沙夜は負けなかった。
「事実です」
――あやかしのことは、黙っておこう。絶対その方がいい。
「まあいいや。名前、覚えたからね、
捨て台詞を吐き、ようやく去っていく背中に向かって沙夜は深深と座礼をしながら、言葉を投げた。
「恐悦至極に存じます」
第二皇子までもが、わざわざ
瞬く間に後宮へ知れ渡り――沙夜はますます肩身の狭い思いを味わうことになった。
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お読み頂き、ありがとうございます!
何に使うのかな?と思ったら、後ろに紙を貼ってメモしたり、式次第とかのカンペ書いてたらしいです。おもしろいですね。
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