第6話 更衣(こうい)に、なる



「……夕宮ゆうぐう陛下のえにしの者ということか。なぜ黙っていた!」

「お調べ申してからご報告をと思った次第で」

「はん。お前らはいつもそうだな。肝心なことはそうして届けぬ」


 布団に寝かされている沙夜を見守りつつ、男たちが言い争っている。

 

「殿下こそ。なぜに離宮などに」

「それに答える義務はあるか?」

「……」


 ようやく声の静まったころを見計らうかのように、玖狼くろうが寝ている沙夜の頬を湿った鼻でこすった。


「くぅ~ん」

 

 沙夜のまぶたがぴくりと動く。ぎゅっと眉根が寄ったものの、それでもまだ目は開かない。

 

「……ん……」

「わふん!」

 

 玖狼の声に反応するかのように、ゆっくりと瞬きをし、やがて大きな黒い瞳が見えてくる。


「く、ろ……?」

「はっはっ」


 左頬をぺろぺろと舐められ、くすぐったそうな顔をする沙夜の様子に、周囲の男たちは安堵あんどの息を漏らす。

 

「……ぶじ……? よかった……」


 徐々に意識が覚醒してきた沙夜は、寝かされている布団を手が届く範囲でぺたぺたと触っている。肌触りに、落ち着かない様子だ。

 

「目が覚めたか。おまえ、沙夜というのか」

 

 突然掛けられた声には、びくりと反応する。恐る恐る見上げる沙夜を、枕もとの男が上から覗き込んだ。

 

「あなたは……?」

魅侶玖みろく

 

 簡素な答えが返ってくるのに、沙夜は戸惑った様子で何度かごくりと喉を揺らす。

 

「み、みろく?」

「そうだ」


 周りに別の気配を感じたのか、体を起こそうと試み始めた。

 

「寝たままでいい」

 

 咄嗟に魅侶玖が気遣って止めたのには、かぶりを横に振った。

 無理やりに起きる沙夜を、魅侶玖は黙って支えてくれるのに礼を伝える。


「ありがと……貴方は……離宮の、人よね?」

「ああ」

 

 相手の確認が取れた沙夜は、安心した様子でホッと息を吐く。


「はは。これはこれは、げにお珍しいことよ」


 黒い束帯そくたい姿で頭に白いもののまじった男性が、布団の足元に綺麗に座していた。沙夜と目が合うと柔らかく笑む。

 

 だが起き上がった沙夜は、ここが掃除をしていた離宮の一室と分かるや、動揺しはじめていた。皇族しか使うことのできないところに、平民の分際で寝かされていたなど、恐れ多すぎることである。どう振舞ったら良いのか、分かるはずもない。


「え、と」

「沙夜殿。それがしは左大臣、九条くじょう夢之進ゆめのしんと申す」


 動揺している沙夜を見かねた誰かが、横から口を出した。

 

「夢。そんな急に名乗っても、沙夜がびっくりするだけだよ」

「むぅ」

「あ! ギー様っ!」

「やあ。目覚めてよかった」


 左大臣の隣でゆるく胡坐あぐらをかいていたのは、紫電二位のギーだ。紫地に紅の刺繍が入ったみやび狩衣かりぎぬを身に着けていて、相変わらず見目麗しい。

 

「ギーの知り合いか」

 

 沙夜の枕元に座っていた魅侶玖が、強い目線でギーを振り返る。

 

「ええ。沙夜は、われの手引きにて後宮にはべった次第」

「ならば」

「時期尚早しょうそうにて。殿下におかれましては、どうか御心みこころをお鎮めくださいませ」


 ゆるい胡坐あぐらのまま、両こぶしを畳について頭を下げるギーの銀髪が、肩からさらさらと落ちる。

 沙夜はそれを起き抜けの働かない頭でぼうっと見つつ、飛び交う言葉に思考が追い付かない様子だ。

 

「え、と殿下? 左大臣……紫電二位……あ? え!?」

「ほう。呼称で身分の高さが分かるのか」


 左大臣九条が、面白そうに目を細める。


「ええっと、ばあばが色々、話をしてくれていて」


 幼い頃に寝かしつけられながら聞かされていた、大昔にあったと言われている皇帝や左大臣の武勇伝を思い出すと、胸がしくりと痛む。

 鬼と一緒にあやかしを倒していく、というようなワクワクする物語だが――今はただただ切ない。

 

「ほほう」

「左大臣って確か、皇帝陛下や皇子殿下の次ぐらいに偉い人ですよね?」

「正解!」

 


(明るい笑顔で言いきられちゃった。喜ぶべき?)


 

「おい、夢」

「だって、殿下。私って結構偉いはずなんですよ。それなのにうやまってくれる人が本当に少なくてですね」

「……そんなだからだろ」

「えー」

「ふふっ。可愛い。あっ、ごめんなさい……」

 

 失礼を言ってしまった! と沙夜は焦ったが、またパアッと明るい顔をされてしまった。お伺いを立てるように恐る恐る魅侶玖を見上げると、非常に不機嫌な顔をしていた。

 

「夢……小娘に褒められて喜ぶとか、気色悪いぞ」

「おやおや、殿下。嫉妬ですか?」

「あ?」


 

 空気がぴりっとしてきているのに、ギーが口角を上げて微笑みを浮かべたまま動かないのを見て、沙夜は自分でなだめるしかないことを察する。

 

 

「え、と、殿下ってことは……皇子殿下ですね」

「……まあな」

 

 ふん、と偉そうに顎を上げられた。

 

 途端に沙夜の脳内には、皇子に向かって出て行きなさいと言ったり、勝手に足を拭いたりしていた事実が、次々と沸き起こる。

 今更ながらとんでもなく狼狽ろうばいし、魅侶玖の態度にはうまく反応ができなかった。

 

「ええと……その」


 震えながら掛け布団をめくって彼とは反対側に下り、畳に両手をついて深々と頭を下げ額をこすりつける。

 こすりつけたまま、命を失う覚悟をする――当然、しきれないが。


「おい、なにを」

「離宮でのさまざまなご無礼、知らなかったとはいえ到底許されるものではございません」


 

(ばあばは、こういう事態を見越して、言葉や振る舞いを『遊び』として教えてくれていたのかな。)



「お詫びの申し上げようもございません」



 白い手の間の畳にぼたぼたと落ちる涙が、いくつもの黒い点を作る。

 魅侶玖はそれをぼうっと眺めていたが、ハッと我に返った。


 

「っ、沙夜。おもてを上げよ」

「……ずび。ぐす」

「泣くな。俺も名乗らなかった。よい」

「でしゅが、こうきゅうのものとして、でんかのことを、しらないのは」

「よいと言っている」

「ふぐぅ」

 


 よいと言われても、頭を上げて良いのか分からない。


 

「沙夜は優しい子だね。あやかしに襲われて怖かっただろうに、そんなことを気にしなくてもいいんだよ」


 ギーが音もなく立ち上がったかと思うと、すすすと沙夜に寄り、背後からそっと抱きしめながら伏せていた上体を起こすよう促す。


「本当に無事でよかった。こんな無神経な皇子で申し訳ないね。われが代わりに謝ろう」

「おいこら」

「ぶふっ」


 思わず吹いてしまった沙夜の顔面が、みるみる青くなる。


 

(ぎゃー! めちゃくちゃ上等そうな服の袖に、鼻水! ついたっ!!)


 

「ギーさま! はなみず! ついちゃった!」

「あっはっは。よいよい。可愛いね、沙夜は」


 

(頭を撫でながら耳元で言わないで! 頬が、あっつい!)



 すると沙夜は、魅侶玖に真正面からものすごく睨まれ、その後地を這うような声で名を呼ばれた。

 

「……沙夜」

「ひゃっ」

「おまえ、女嬬にょじゅやめろ」



(今、なんて?)



「え!?」

「今日から更衣こういだ。夢、そのようにしろ」

「っ! は!」


 魅侶玖は言い捨てるやすくっと立ち上がり、どかどかと去って行ってしまった。

 左大臣九条は、座礼でそれを見送る。ギーは沙夜を背後から抱きしめたままだ。お香の良い匂いでクラクラしてしまう。

 

 

(ちょっと! 更衣って、なに!?)



 意味の分からないまま、呆然とするしかできない。


「ふくく……沙夜、大変だね」

「え!?」


 

 

 ――ものすごく、嫌な予感がした。

 

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