第9話 夜に、心を寄せて


 

 音のない、静かな夜。

 なんとなく眠れない沙夜は、縫物にいそしんでいた。すずが「欲しいものは作りますよ」と言ってくれはしたものの、手を動かしていないと落ち着かないからだ。

 

「沙夜」

 

 ふと、御簾みすの向こうから低い声で呼ばれた。

 

「げ」


 わずかな呟きを遮るものは、壁代かべしろと呼ばれる布の他、何もない。

 

「? 都合が悪いか?」

「わ、るくはないです。どうぞ」


 夜宮よるのみやと呼ばれるこの部屋に、魅侶玖みろくがいきなりやってきたことに、沙夜は動揺している。

 助けを求めるようにすずを見やるが、にっこりと微笑んでから丁寧な座礼をした後、引っ込んでしまった。

 

 男性が、夜もけたこのような時間に後宮を訪れる。その意味は、誰でも知っている。沙夜はを思い、ビクビクしてしまった。


(ええええちょっとまって! 心の準備とか体の準備とか……いやいや、嫌だし! すず、行かないでよー!)


 などとグルグル考えていると、戸惑いが魅侶玖にも伝わったようで、苦笑されてしまった。

 

「ああ、ねやを共にしろなどと言うつもりはない」

「ひ! え? ほんと!? ですか」

「俺がわざわざ更衣こういとして召し抱えたのに通わないとなると、それはそれで面倒なことになるってだけだ」

「ああぁ~よかった~」


 大げさに息を吐きつつ、座礼で魅侶玖を迎える。

 もう顔を見られているので、隠すなど面倒なことはしないし、それをとがめられないことに安堵する。

 

「……すまんが、朝までいるぞ」

 

 魅侶玖はどかりと胡坐あぐらをかくと、ばつの悪そうな顔をする。そんな顔をするのなら、本当に形式上のことだろうと信じることができ、沙夜は素直に頷くことができた。

 

「はい。わかりました」


 縫物を唐櫃からびつにしまうのを横目にしつつも、魅侶玖の視線はふすまの向こうの続き間に投げられる。愚闇が控えているのも承知しているということか、と、その細かい気遣いに思わず微笑んだ。

 

 とと、と玖狼が寄って来て、沙夜の膝に横から顎と前足を乗せ耳を伏せる。それを見た魅侶玖は、苦笑いしながら言う。


「沙夜」

「なんです?」

「だいじないか」

「っ。ごほん。はい」


 

(眉間に深いしわを寄せたまま、気遣わないで欲しい。違和感がすごいから!)


 

 控えめに魅侶玖の顔色を窺うと、目の下に隈があることに気づいた。忙しいのだろうかと、沙夜は玖狼の頭を撫でながら心を落ち着ける。


「あの……」

「なんだ」

「質問があるのですが」

「言ってみろ」


 高灯台たかとうだいの上にある、ろうそくの炎がゆらゆら揺れる。

 薄暗い室内で、顔の半分以上が陰っている魅侶玖の本心は、沙夜には読めない。

 

「なぜ、わたくしのような平民のお召し抱えを? あやかしを消したからでしょうか。わたくしは何も知りませんが」

「……そうだな。きちんと話をしなければと思っていた。沙夜には聞かせるべきだと俺は思う。秘密は守れるか?」

「守るも何も。天涯孤独の身ですし、皇都に知り合いはおりません。ご存じでは?」


(先日、左大臣九条様が「調べた後で報告を」と言っていたでしょ!)

 

 暗に抗議をにじませた沙夜の言に、 魅侶玖は眉尻を下げ、肯定も否定もせず続ける。

 

「……皇雅国こうがのくにに伝わるまもり刀の話は、皆知っていよう。その名を、青剣あおのつるぎという」


 この国の民なら、誰もが知っている。

 親兄弟や村人から口頭で伝えられ、皇帝を敬わなければならないと教えられる、皇雅国こうがのくにいしずえとなる話だ。

 

「はい。世に溢れているあやかしから人々をまもるため、先の皇帝がたまわった宝剣あり。それをたてまつる国を護るものである……ですね」

「そうだ。代々皇帝がその宝剣をまつることで、この国の平和が維持されていたが」

「が?」

「皇帝は継承の儀をしないままに冥界へ渡られ崩御、かつ、青剣は失われたようだ」

「っ!!」

「事態は深刻だ。しかし皇城のやつらは、次の皇帝を誰にするかで争っている。誰も民の命のことなど考えておらん」


 ぎり、と胡坐をかいた太ももの上で、魅侶玖の拳が白くなる。


「皇都には皇雅軍がいるが、他の村々は無事で済むまい」

「ええ。わたくしの村も、あやかしに食われました」

「聞いた……すまない」


 あなたが謝っても! と叫びたかったのを、かろうじて沙夜はこらえた。堪えた分、涙となって出てくる。怒りと悲しみと、無力感。あのような惨劇を目の前で見て何もかも失った今、生きている自分のことすら責めている毎日なのだ。


 魅侶玖は座ったままにじり寄り、震える沙夜の背を遠慮がちに撫で、袖で涙を拭く。地味な黒い狩衣かりぎぬから漂う上品な香の匂いに、沙夜の胸が少しずつ落ち着いていく。

 

「本音を言えば、今までの俺は皇帝の座に興味がなかった。だが、即位することで皆が救われるのならとっ……」


 

(ああ。この人も、苦しんでいると分かってしまったなあ。)

 


 それから沙夜は、無理やりに色々飲み込む。飲み込んで、鼻をすすって、彼のはしばみ色の目を見つめる。


「殿下は離宮で、何をしていたのですか?」

「手がかりを探していた」

「手がかり?」

「国宝の、手がかりだ」


 魅侶玖は、眉間に深いしわを寄せてから天井を仰ぐ。


青剣あおのつるぎには、自身を守る眷属けんぞくがいるという。すなわちそれが、皇帝の眷属になるのだと言われた」

「けんぞく」

「そうだ。代々の皇帝は、もののけと呼ばれるものたちから力を借りてきた。眷属として盟約を結んで」

「盟約」

「ギーもそのうちの一人だ。皇帝が不在となり彼との盟約は切れたが、俺が頼み込んで猶予をもらっている。次の皇帝即位まで留まる条件が、青剣の眷属を探し出すことなんだ」

「そうだったんですね」

「俺は、その手がかりが沙夜にあると思って、召し抱えた」

「へ!?」


 沙夜が思わず頓狂とんきょうな声を上げたのを、魅侶玖はじっと見つめる。

 玖狼が心配そうな顔をするので、大丈夫というように沙夜が頭を撫でると、尻尾が一度だけ持ち上がって、またぱたりと畳に落ちた。


「あやかしを消したからですか」

「それもあるが……そなたの目の色が」


 魅侶玖が唐突に、身を乗り出して覗いてくることに、沙夜は戸惑った。



(そういえば、背を撫でられるほど近くにいる――)

 


「綺麗な、瑠璃色だ」

 


 どくん! と心臓が跳ねる。


 

「瑠璃……黒では……?」

「はじめは黒だった。いつからか、瑠璃になった」

 

 ハクが言っていたことを思い出す。沙夜の中のなにかが、起きたばかりだと。


「沙夜。巻き込んだことを許せとは言わない。だが今の俺にとってはどんなことでも、国のためならば」

「……龍樹りゅうじゅ殿下とは大違いですね」


 魅侶玖のげんさえぎるなど、無礼と分かっていても止められなかった。

 彼はそんな沙夜をとがめることはせず、体を寄せたまま会話を続ける。

 

「会ったそうだな。何を言われた?」

「わたくしごときが召し抱えられた、その手練手管てれんてくだを教えよと」

「何と答えたんだ」

「汚れた足を拭いたから」

「ぶっは!」


 盛大に吹かれるとは思っていなかった沙夜は、目を丸くして彼を見つめた。


「ぶくくく、あははは」

 

 挙句、お腹をよじる勢いで爆笑し始めるのだから、どうしたら良いのか分からない。

 

 玖狼が立ち上がって魅侶玖の頬を舐めると、わしゃわしゃと撫でてそれに応える。犬と楽しそうにたわむれるのを見て、ようやく沙夜は緊張を解くことができた。こうして見ると、ただの無邪気な、年の近い青年である。

 

「殿下!?」

「ああおかしい! その時の、奴の顔を見たかった!」

「きょとんとしてましたね」

「ぶっ! ははは! くくくく」

「んもー、そんなに笑わなくても」

「すまんすまん。事実なのもおかしくてな」

「え? 事実だったんです?」

「ああ」


 魅侶玖は玖狼の頭をくしくしと撫でながら、何でもないかのように言う。

 

「手がかりなどと言ったがな。俺になんの見返りも求めず、優しくする人間がまだいたことが……純粋に嬉しかったのだ」 

「殿下……」

「あーあ。なんだか眠くなったぞ、沙夜」


 ぶっきらぼうな照れ隠しには、気づかないフリをする。

 

「そうですね。お布団敷いてもらいましょうか」

「いいのか? 俺の隣で寝るはめになるぞ」

「玖狼がいますから」

「わん!」


 わはは! と魅侶玖は満面の笑みで黒犬をまた撫でる。


「頼もしい護衛だ!」


 玖狼が目をキラキラさせて尻尾を振るのを、沙夜は穏やかな気持ちで見つめていた。

 

 辛いことはたくさんあった。どうにもならない苦しみは、一生抱えて生きていかねばならない。

 だが、第一皇子は国を護ろうとしている。それが分かっただけで、ほんの少しだけ心が軽くなったような気がした。訪ねて来てくれた魅侶玖にそっと感謝をする。

 

「殿下。どうぞこちらへ」

 

 続き部屋にある御帳台みちょうだいへふたりで向かうと、入り口の手前で愚闇が片膝を立て、手燭しゅしょくでもって「良い夢を」と導いてくれた。


「うむ」

「ありがとう、愚闇」

 

 脱いだうちきを掛け、並べられた布団に潜り込む。

 間に玖狼を挟んでとこについた沙夜は、久しぶりに心が穏やかになった気がした。自分以外の人の気配は、心なしか暖かく感じる。



 翌朝、沙夜が目覚める前に去っていた魅侶玖は、ふみを寄越した。

 

『玖狼のお陰で、よく眠れた』


 沙夜は、太くて力強い文字を読みながら、黒犬の頭を撫でる。照れ隠しと感謝が含まれたそのぶっきらぼうで短い文を、何度も何度も読んだ。

 

「さすが玖狼ね」

「おん!」

 

 それから魅侶玖は、離宮の時のように、一日おきに夜宮に通うようになった。

 

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