第15話 不気味な予感



 ヒョウ、ヒョウ。

 ヒョウ、ヒョウ。


 相変わらず続く、後宮の夜に響き渡る不気味な鳴き声は、女官たちを次々とさいなんでいた。


 どこから聞こえてくるのか。

 なんの鳴き声なのか。


 謎に包まれたまま、不快な声だけが夜の後宮を襲っていた――かに思われた。



「夜宮様。しばらくお部屋からは、決して出ないように」

「愚闇……それは分かったけれど、いったい何が起きているの?」

「判然としませんが、何かが入り込んだ様子」

「! まさか、あやかしのたぐい?」

「分かりません。……だが、命を吸っている気配がいたします」

「助けに行かないの!?」

「オイラの役目は夜宮様の護衛です。後宮護衛方がいますから、そちらが対処するでしょう」

「そ、か……」


 烏天狗の能力は分からないが、愚闇の言うことは確かだろう。その証拠に、玖狼が沙夜の側から片時も離れようとせず、耳は立てたまま喉がグルグル鳴っている。


 そこへ、夕餉ゆうげ懸盤かけばんを持ったすずが青白い顔でやってきた。

 

「すず、どうしたの!? 顔が真っ青」

「夜宮様……お、おそろしくて……」


 震える手で懸盤を床に置いてから、ようやく深呼吸をし、落ち着きを取り戻してから告げる。


女嬬にょじゅが、一気に何人も亡くなりました」

「!!」

「原因が、わからず……その、死にざまもまた、おそろしくて……」

 

 すずいわく、顔中が真っ赤な柘榴ざくろのようにただれて死んだのだという。少なくとも五人以上が、同時に。

 よほど恐ろしかったのか、胸元に入れた『護身の札』に手を添えるようにして、背を丸めて縮こまっている。


「朝のお勤めが終わって、いつものように皆でおしゃべりを楽しみながら、すだれに隠れて昼寝をしていたのです。それで、目が覚めたら……あああ」


 ガクガク震える肩を、沙夜は寄り添ってさすった。自分もまた尚侍ないしのかみむごい姿を見た後ではあるが、あれは愚闇が法の下に罰したもの。

 意味も分からず奪われたものとは違う。ましてや、おしゃべりをするような仲の者たちであるなら、なおさら恐ろしいだろう。


「うう、うううう、すみません……」

「いいのよ。そんな大変な時に世話をありがとう。大丈夫よ、すず。ここなら愚闇も玖狼もいるわ」

「夜宮様……」

 

 ぎゅううう、と襟元を握りながら嗚咽おえつするすずの肩を、撫で続けるしかできない。

 

「柘榴……」


 ぎ、と宙を睨む愚闇の視線が、鋭くなった。


 

 

 ◇

 



 夜宮といったか。

 第一皇子殿下に召し抱えられたばかりか、ギー様のお取り計らいで護衛に隠密がつくなどと――もののけとは言っても、おのこ禁制の後宮ぞ。

 平民から更衣などはありえぬ処遇であるし、特別扱いが過ぎるのではないか。

 


 わらわは望まれて参内したというのに、殿下のお声は掛からず、ひとりで無為むいに時を過ごすだけであるというのに……

 

 ああ憎しや、憎し。




 ああああ、憎し。憎うて憎うて――憎しニクシクシクシャシャシャ……


 


 ◇

 


 

 それからの沙夜は、いたずらに時を消費していた。

 

 魅侶玖の見舞いに行くことはできず、かといって後宮の中でできることは、なにもない。

 

 夏の終わりだというのに、日が落ちてもじめりとした空気がまとわりつく。それは何も、気温のせいばかりではない。



 よどんでいる。



 後宮というのは、ただでさえ負のものが溜まりがちのため、それらを浄化する仕掛けが随所ずいしょになされているはずなのだが――機能していないと感じる。


「わたしの部屋って、次々不幸がやってくる、呪いの宮って言われてるみたいだね。果ての次は呪いかあ」

 

 呆れたような、諦めたような顔をして、沙夜はつぼ庭を眺めながら独りごちる。

 

 

 ヒョウヒョウと鳴くような不思議な声は、夜になると必ずやってくる。

 

 

 心がざわつく。言いようのない不安に襲われるようなこの感覚は――異常としかいいようがない。その証拠に、姫たちは恐怖や焦燥でますます部屋に引きこもり、女官たちは次々辞めていっているそうだ。人手不足のため、すずは何部屋も掛け持ちすることになってしまい、こちらにはあまり来られなくなってしまっている。


 

 沙夜も例に漏れず、悪いことばかり考えてしまっていた。だからこうして、愚闇や玖狼が話し相手になってくれているのは、ありがたかった。


「……あやかしを消せたんなら、けがれは消せないのかな」

「っ、それは! だめです」

 

 即座に否定する愚闇に、沙夜はくすりと笑ってから、部屋の片隅で跪坐きざ(片膝を立てて座る)している隠密を振り返る。

 

「だめってことは、できるってことだよね」

「う」

「おのれ愚闇……迂闊うかつにも程があるぞ! ぐるるるる」


 沙夜の脇に寝そべっていた玖狼が、すかさず顔を上げて愚闇を𠮟りつける。


「玖狼、怒らないで。なんとなくだけどね、不思議な力が湧いてくるような感覚があって」

「「!」」


 沙夜のげんに、ふたりは黙って耳を傾ける。

 ヒョウ、ヒョウと鳴く声が遠くなったり近くなったりする。

 

「魅侶玖殿下に、目が瑠璃色になったって言われてからかな。胸の奥が、熱いような、懐かしいような」


 愚闇が背後でごくりと息を呑む一方で、玖狼が諭す。


「そうか……沙夜。おぬしの中にあるものは、特別なものだ。だが、決して拒まないで欲しい」

 

 たち、と柔らかな玖狼の足裏が、木の床を打つ。

 立ち上がった獣は、何かを確かめるかのように沙夜の顔をじっと覗きこんだ。

 

「とくべつ? こばむ?」

「うむ。強い力を持つのを単純に喜ぶ者と、望まぬ者がおるだろう? 沙夜は後者だろうからな。受け入れよ、さすれば道は繋がる」

「さすが玖狼、わたしの性格をよく分かってるね。そっか……受け入れる……」

 

 複雑な表情をして胸に手を当てる沙夜に、たまらず愚闇が言葉をかけた。

 

「俺らが、ついてますから!」

「うん」

 

 

(みんな、死んじゃった。けど、わたしは今、ひとりじゃない。)

 

 

 ほわりと胸の内が温まる。それから、感覚が研ぎ澄まされた。視界がより澄み渡ったようで、今まで目に入らなかったものも見える気がする。

 

「ありがとう愚闇。……なにか、様子がおかしくなってきたわ。そんな気がしない?」

「え? ……! 確かに」

 

 どこがどう変というわけでもない。なんとなく嫌な予感がする、という程度の違和感だ。

 

「うぅむ、まずいな。なんぞ来よるか」

 

 玖狼がグルルルルと低い唸り声を出しながら、耳をぴくぴくと動かす。


「来るって、何が」


 沙夜のその問いには、愚闇が無言で抜刀することで応えた。護衛の殺気は、危険な相手に対しての牽制けんせいでもあるのだ。


 と――


 ふっ、と辺りがもう一段暗くなった。

 

 宵の口の薄暗さが漂っていた外の空気は、気づけば濃い紫色に染まっている。


「ふは。まるで冥だな。

「玖狼!?」

「案ずるな沙夜。さあて、鬼が出るか蛇が出るか」

「どっちも嫌だよ!?」

「がっはっは!」


 チャキ、と忍刀のつば音が鳴った。

 愚闇から、更なる殺気がほとばしる。



 シャー、シャー、シャーッ……



 空気音のようなものを発しながら、やって来たのは――

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