第11話 決意す ~魅侶玖 抄~
俺が
頻繁に行くと、沙夜が困るだろうと思っただけだ。
案の定、後宮では「
夜風をそぞろ歩いて、俺は静かな空気を吸い込む。
玖狼のぬくもりなのか、沙夜の持つ空気なのか。
不思議と心が落ち着いて、よく眠れるあの部屋に、できれば毎日行きたい。
すっかり定位置になった離宮の濡れ縁に腰を下ろし、庭の池に浮かぶ月を眺める。
ここから一歩でも外に出ようものなら、あやかしが
沙夜を召し抱えた決定打は、確かにここであやかしを消したのを目撃したからだった。
が、俺が誰か知らずとも明るく優しく接してくれる彼女に――人として惹かれていたのも事実。
左大臣九条の調べで、暮らしていた村が全滅した後自力で皇都までたどり着き、夕宮陛下の書状を見たギーが後宮へ招き入れたことへの、裏付けが取れた。
過酷な道のりだったのは、想像に
祖母の遺言を握りしめて知恵を絞り、見知らぬ道をひたすら行くその勇気と芯の強さを、尊敬している。
そして俺はそれを聞いたとき、このままではいけないと強く思ったのだ。
この国を
富や名声、権力ばかりを追い求めている皇城や後宮に嫌気がさしていた俺は、皇帝など龍樹がやればいいとすら思っていた。
国が滅ぶということに、現実味がなかったからだ。
だが、今はどうだ。
実際は沙夜のような善良な民の命が、
俺は、そういった事実を想像だにして来なかったことに、
「今までの俺は、ぬるま湯に浸かっていただけだ」
厳しい現実からもっとも遠く、権威と権力に守られた皇城の中で漫然と過ごしていただけだ。
そのことに気づかせてくれた、沙夜のまっすぐな瞳を思い、胸の中で感謝をする。
「今のままでは、ダメだ。俺が、やらねば」
ぎりりと拳を強く膝の上で握る。
月に決意をするかのように、あえてその文言を口にする。
「
――と、生暖かい風が吹いた。
「やっとけつい、したんだね」
「!?」
ふわりと池のほとりに現れたのは、灰色の髪でねずみ色の
「誰だ!」
即座に立ち上がり、
「ちっ」
もはや自分でやるしかないと、腰の護身刀の柄に手を伸ばすと、少年は意に介さずにこにこしながら歩み寄ってくる。
「うん。つよいこころや、よし。でもすこし、あやうい」
油断せず、
「なるほど、うでもある。いいね」
小さな頭でうんうんと頷かれて、苛ついた。
「貴様なぞに、評される筋合いはないっ!」
「ゆうよが、ほしいのだろう?」
「!!」
「ギー」
少年は、俺から目をそらさないまま、その名を呼んだ。
と――
「お目覚めでしたか」
紫の
月光に輝く銀髪が、妖しい美しさを
「ギーのいったとおり、みろくをきにいったよ」
「はい」
「みろく。ぼくの
俺は、呆然とする。
あれほど探し求めていた存在が、目の前に在ると確信したからだ。
「
刀を納め、バッと地に片膝と右拳を突くと、彼は
「うん。ハクとよんでくれたらいい。さよと、なかよくね」
「沙夜をご存じか!」
「
「なんとっ」
途端にハクは、眉根を寄せる。
「これからがたいへん。けど、きみたちな、ら」
存在が、薄れていく。
「……きっ……」
「ハク様!」
消えゆく存在を、俺はただ呆然と見送った。
「まだお力が戻っておらなんだ」
ギーが俺に寄り添い、その赤い目を潤ませる。
「お前……」
「殿下の決意、われも確かに受け取った。
美麗なもののけが微笑む。その頭には、鋭く黒い角が二本、生えていた。
◇
その、翌朝。
「ギー。顔色が良くない」
朝の執務を終えた後、皇城にある俺の私室に呼び出された紫電二位は、思わず苦笑した。
「殿下。われは、もののけでありまするが」
「知っている」
ふん、と大きく鼻を鳴らす。そういう問題ではない。最近のギーは、明らかに弱っていると感じる。
「俺の力不足で、そなたに多大なる負担をかけ」
「これこれ、いけません」
ふっくっく、と美麗な鬼はその言を遮ると、舞踊のような仕草で膝前に出された素焼きの茶碗を持ち上げた。
「その小さき両肩に、われの
ずず、と音を立てて熱い中身をすする。
「傲慢とまで申すか」
それには、苦笑するしかない。
「気づいたら、抱えていたなと。そう、おわりに笑うが吉」
「!」
ギーは、背負うなとは言っていない。今はそれで十分だった。
「さあて。若君がわれを呼びつけた御用とは、いかに」
「後宮の空気が、
赤い目が細められた。
しゅさ、と紫の
「覚えが、ござりますれば」
「申せ」
茶碗を持ち上げる仕草で、銀糸のような髪がほろほろと紫の上にこぼれ落ちる。
それを自然と目で追いながら、茶をすする。苦味が口内に広がり、胸の奥がじんわり痛む気がする。心労が積み重なっているからか、と漏れそうになる自嘲の笑みごと、ごくりと飲みこんだ。
「元々
「ほろ……んだ」
とん、と茶碗を
「冥にあふるるは、欲。
「ということは、
「ふっくっく、さすが殿下」
俺は、ただただ
「
「皇帝の欲を、『護国』として固定するもの……!」
確信した俺は、ダンッと右膝を立てて畳に足裏を打ちつけた。そのまま膝に肘を乗せ、上体をギーへ向け乗り出す。
「猶予は、あとどれぐらいだ!」
叫ぶように詰め寄るが、鬼はおかしそうに引き絞る口角から鋭い牙をのぞかせるだけだ。
「あまり、ない。
「ハク様は!?」
その問いにはさすがにキュッとギーの眉間にしわが寄った。
「まだ、足らぬ……」
力の抜けた俺は膝を折り、腰をすとんと落とした。
正座し直し、ギリッと目元に力を入れる。
「皇雅軍にも、もはや余力はない。一刻も早く継承の儀をせねばならぬぞ、二位よ」
「気は焦れども、儀は『皇帝』に限られまするゆえ」
冷静になれと言わんばかりに、ギーは自身が持ち歩く赤い雅な扇の
「――平安を 求め
ギーの
「っ血に塗れる覚悟なら、とうにしている!」
「ならば、どうなさる」
「沙夜を使う……だが、
「ふっくっく」
小さくすまないと呟くも、ギーは聞こえないふりをして目を細める。
「ご心配には及びませぬよ、殿下。仕掛け、成せり。様々のことが動き始める、それだけにございますれば」
やはり、鬼は恐ろしい。
密かに、身震いをした。
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お読み頂き、ありがとうございました!
ギーの句ですが、宵蛍は夏の季語です。
儚い命である蛍が、一瞬の輝きを放ちながら平和を求めて飛ぶけれど、血まみれの手を見るだけで終わっちゃうだろうよ、という感じで作ってみました。
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