第11話 決意す ~魅侶玖 抄~



 俺が夜宮よるのみやに通うのを一日おきにした理由は、実は特にない。

 頻繁に行くと、沙夜が困るだろうと思っただけだ。

 

 案の定、後宮では「下賤げせんな者にうつつを抜かしている」「皇帝を継ぐのはやはり第二皇子」といった声が大きくなってきていると聞き、溜息が出る。かつて、自身の幼心においてさえも、金と欲にしか興味のない清宮きよみやをなぜ妃などに……と思っていたのだが、彼女の家は公家くげ筋の中でも最も権威がある。皇帝として致し方なかったであろうことは、理解しているつもりだ。たまたま男を授かってしまったのは、不運としか言いようがない、とも。


 

 夜風をそぞろ歩いて、俺は静かな空気を吸い込む。


 

 玖狼のぬくもりなのか、沙夜の持つ空気なのか。

 不思議と心が落ち着いて、よく眠れるあの部屋に、できれば毎日行きたい。



 すっかり定位置になった離宮の濡れ縁に腰を下ろし、庭の池に浮かぶ月を眺める。

 

 ここから一歩でも外に出ようものなら、あやかしがうごめいているに違いない。罪のない民が死んでいく音は、ここまで聞こえてこない。夜をこうして無防備でいられる場所は、恐らく皇都以外にないだろう。その皇都の平穏も、ギーが休まず紫電を動かしているお陰だ。


 

 沙夜を召し抱えた決定打は、確かにここであやかしを消したのを目撃したからだった。

 が、俺が誰か知らずとも明るく優しく接してくれる彼女に――人として惹かれていたのも事実。

 

 

 左大臣九条の調べで、暮らしていた村が全滅した後自力で皇都までたどり着き、夕宮陛下の書状を見たギーが後宮へ招き入れたことへの、裏付けが取れた。

 

 過酷な道のりだったのは、想像にかたくない。

 

 祖母の遺言を握りしめて知恵を絞り、見知らぬ道をひたすら行くその勇気と芯の強さを、尊敬している。


 

 そして俺はそれを聞いたとき、このままではいけないと強く思ったのだ。

 この国をべる血筋を受け継ぐ者として、まもらなければならない、と。

 


 富や名声、権力ばかりを追い求めている皇城や後宮に嫌気がさしていた俺は、皇帝など龍樹がやればいいとすら思っていた。

 国が滅ぶということに、現実味がなかったからだ。


 だが、今はどうだ。

 

 実際は沙夜のような善良な民の命が、あらがう力も及ばず無惨に奪われていってしまっている。

 俺は、そういった事実を想像だにして来なかったことに、愕然がくぜんとした。


「今までの俺は、ぬるま湯に浸かっていただけだ」


 厳しい現実からもっとも遠く、権威と権力に守られた皇城の中で漫然と過ごしていただけだ。

 そのことに気づかせてくれた、沙夜のまっすぐな瞳を思い、胸の中で感謝をする。


「今のままでは、ダメだ。俺が、やらねば」

 

 ぎりりと拳を強く膝の上で握る。

 月に決意をするかのように、あえてその文言を口にする。

 

皇雅国こうがのくにを、まもる!」

 


 ――と、生暖かい風が吹いた。



「やっとけつい、したんだね」

「!?」



 ふわりと池のほとりに現れたのは、灰色の髪でねずみ色の水干すいかん姿の少年だ。瞳が白く濁っており、明らかに


 

「誰だ!」


 即座に立ち上がり、たもとから笛を取り出す。後宮護衛方こうきゅうごえいがたへ危機を知らせるためのものだ。ぴ、と吹いたつもりが、なぜか音は出ない。

 

「ちっ」

 

 もはや自分でやるしかないと、腰の護身刀の柄に手を伸ばすと、少年は意に介さずにこにこしながら歩み寄ってくる。

 

「うん。つよいこころや、よし。でもすこし、あやうい」

 

 油断せず、三和土たたきから飛び降りながら素早く刀を抜いて構える。

 

「なるほど、うでもある。いいね」

 

 小さな頭でうんうんと頷かれて、苛ついた。


「貴様なぞに、評される筋合いはないっ!」

「ゆうよが、ほしいのだろう?」

「!!」

「ギー」


 少年は、俺から目をそらさないまま、その名を呼んだ。

 と――


「お目覚めでしたか」


 紫の狩衣かりぎぬを優雅に着た紫電二位が、またたく間に姿を現す。

 月光に輝く銀髪が、妖しい美しさをかもし出していた。

 

「ギーのいったとおり、みろくをきにいったよ」

「はい」

「みろく。ぼくのはまださずけられない。これは、ただのゆうよだ」

 

 俺は、呆然とする。

 あれほど探し求めていた存在が、目の前に在ると確信したからだ。

 

青剣あおのつるぎの眷属で、あらせられるか!」

 

 刀を納め、バッと地に片膝と右拳を突くと、彼はまぶしそうな顔をした。


「うん。ハクとよんでくれたらいい。さよと、なかよくね」

「沙夜をご存じか!」

「なんとっ」


 途端にハクは、眉根を寄せる。


「これからがたいへん。けど、きみたちな、ら」

 

 存在が、薄れていく。


「……きっ……」

「ハク様!」


 消えゆく存在を、俺はただ呆然と見送った。

 

「まだお力が戻っておらなんだ」


 ギーが俺に寄り添い、その赤い目を潤ませる。

 

「お前……」

「殿下の決意、われも確かに受け取った。今宵こよいは、良い夜であるな」


 

 美麗なもののけが微笑む。その頭には、鋭く黒い角が二本、生えていた。

 

 


 ◇




 その、翌朝。


「ギー。顔色が良くない」


 朝の執務を終えた後、皇城にある俺の私室に呼び出された紫電二位は、思わず苦笑した。


「殿下。われは、もののけでありまするが」

「知っている」


 ふん、と大きく鼻を鳴らす。そういう問題ではない。最近のギーは、明らかに弱っていると感じる。


「俺の力不足で、そなたに多大なる負担をかけ」

「これこれ、いけません」


 ふっくっく、と美麗な鬼はその言を遮ると、舞踊のような仕草で膝前に出された素焼きの茶碗を持ち上げた。


「その小さき両肩に、われの永久とこしえの時すら背負わんとするその御心みこころは、それこそ傲慢ごうまん


 ずず、と音を立てて熱い中身をすする。


「傲慢とまで申すか」


 それには、苦笑するしかない。


「気づいたら、抱えていたなと。そう、おわりに笑うが吉」

「!」


 ギーは、背負うなとは言っていない。今はそれで十分だった。


「さあて。若君がわれを呼びつけた御用とは、いかに」

「後宮の空気が、よどんでいるとは思わないか」


 赤い目が細められた。

 しゅさ、と紫の狩衣かりぎぬのこすれる音が、耳に心地良い。


「覚えが、ござりますれば」

「申せ」


 茶碗を持ち上げる仕草で、銀糸のような髪がほろほろと紫の上にこぼれ落ちる。

 それを自然と目で追いながら、茶をすする。苦味が口内に広がり、胸の奥がじんわり痛む気がする。心労が積み重なっているからか、と漏れそうになる自嘲の笑みごと、ごくりと飲みこんだ。


「元々青剣あおのつるぎは、冥にて滅んだ国の宝にございまする」

「ほろ……んだ」


 とん、と茶碗を懸盤かけばんに置くギーが、真正面から見つめてきた。その瞳には何の感情も乗っていないように見えるが、そう務めているのかもしれない。


「冥にあふるるは、欲。せいしきぜい、なにもかもを手に入れたいとうごめく『あやかしの国』ありて。それらをべる王の宝ならば、あらゆる欲を叶える力を持つのは必然」

「ということは、青剣あおのつるぎは……結界のたぐいではないのだな!」

「ふっくっく、さすが殿下」


 俺は、ただただ瞠目どうもくしている。


あるじの欲を具現化する。それこそがあの剣の本質。即ち継承の儀とは」

「皇帝の欲を、『護国』として固定するもの……!」


 確信した俺は、ダンッと右膝を立てて畳に足裏を打ちつけた。そのまま膝に肘を乗せ、上体をギーへ向け乗り出す。

 

「猶予は、あとどれぐらいだ!」

 

 叫ぶように詰め寄るが、鬼はおかしそうに引き絞る口角から鋭い牙をのぞかせるだけだ。


「あまり、ない。よどみあらばあるいは、欲の権化ごんげが動き始めたやもしれぬな」

「ハク様は!?」


 その問いにはさすがにキュッとギーの眉間にしわが寄った。

 

「まだ、足らぬ……」


 力の抜けた俺は膝を折り、腰をすとんと落とした。

 正座し直し、ギリッと目元に力を入れる。


「皇雅軍にも、もはや余力はない。一刻も早く継承の儀をせねばならぬぞ、二位よ」

「気は焦れども、儀は『皇帝』に限られまするゆえ」

 


 冷静になれと言わんばかりに、ギーは自身が持ち歩く赤い雅な扇のかなめ親骨おやぼねをそれぞれの手で持ち、パタ、パタとゆっくり広げていく。すーっと吸い込んだ息を体の中に一時留めてから、ゆっくりと音に乗せて吐き出す。

 

 

「――平安を 求め彷徨さまよ宵蛍よいぼたる 血にまみれし 手をや見るらむ」



 ギーのんだ句は、俺の芯に突き刺さった。苦渋の決断をしろ、と告げられている。



「っ血に塗れる覚悟なら、とうにしている!」

「ならば、どうなさる」

「沙夜を使う……だが、にえなどにはせぬぞ!」

「ふっくっく」

 

 小さくすまないと呟くも、ギーは聞こえないふりをして目を細める。


「ご心配には及びませぬよ、殿下。仕掛け、成せり。様々のことが動き始める、それだけにございますれば」



 やはり、鬼は恐ろしい。

 密かに、身震いをした。

 

 

 

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 お読み頂き、ありがとうございました!

 

 ギーの句ですが、宵蛍は夏の季語です。

 儚い命である蛍が、一瞬の輝きを放ちながら平和を求めて飛ぶけれど、血まみれの手を見るだけで終わっちゃうだろうよ、という感じで作ってみました。

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